津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「旦夕覺書」--風・27

2015-02-22 14:58:23 | 史料

                 一、歩の御使番の時年始の御禮廻の為に江戸中見置御案内申事今も可有之候 村井源兵衛・結城孫助拙者三
                   人被仰付候 日本橋にさらし者有之通悪に見申村井拙者は其儘見候て通り近くに糸屋太郎兵衛御用承
                   候者の所へ立寄申候 小者一人残置候 孫助に早く見仕舞候て糸屋太郎兵衛所へ参候へと残置候 孫助様
                   喧嘩被成候由候肝つふし雨降そふに有之雨羽織じゆりん着居申大小の惣掟袋に頭の所紫皮にて結
                   置候とき申事走り々々ならぬ物にて其の後頭に又革にて袋きせ申候 唯今大方其如く成申候と見へ候
                   扨参候て見申候へは見違候様子にて互に何のかのとせり合申故村井に孫助手を取太郎兵衛所へ参候
                   へ拙者は見違候者召連可参とて跡より同道いたし爰は大勢人集り互にとふこふとの穿鑿成兼可申候
                   先是へ参れと申手とらへ参候内に拙者は御通懸と見へ申候無御構御通候へと申によりいかにも其通
                   に候 併奉公人は互の儀に候彼人は見違へて見へ申候 そなたは年寄町に被居候人と見申候へはさのみ
                   疵にも成らぬ事堪忍召れ候へと申候へはいやそこの人とこへいくそと爰にては埒明可申と申候故村井
                   に目配り太郎兵衛二階に村井孫助召連あかり候へと申拙者は下に居候 見物大勢にてとろほふと申集
                   り申故目をいからし高聲にて何者そ町屋の店をふさくと申刀に手をかけしかり申候へは皆々迯散申
                   候 扨太郎兵衛儀罷出申候 太郎兵衛そなたと知る人かと申候へは成程見知り申と申候へは彼の者申様は
                   拙者は日本橋つめ八百屋の何某と申候侍の比興なる男是へ出被申候へ埒明可申なとゝ腹立候故い
                   かにも見違らえ腹立らるゝは尤に候へ共度々申様に町の人なれは奉公人とは替り少も々々疵になら
                   ぬ事太郎兵存のことく拙者は傍輩にてもなく通り懸候故如斯候 太郎兵幸近所の事なれは能々断被申
                   候へ近邊の店の妨にも成候といろ々々断返し申候 扨二階に上り申候へは下にて悪口申故孫助も可出
                   なとゝ仕候を村井とらへ十方なき事見違たる上に町人を相手とはなとゝしかり候由後に咄申候 拙者
                   上り申候時には上に花色の小袖着目に立申とて下なる小袖と着替申時に候 扨々十方なき仕方何とゝ
                   申候へは慥に小刀ぬきたるをとらへ申候へは其儘捨たると覺候と申候 扨最早可歸と申孫助裏道は近
                   くになきかと尋申候故いや々々着物きかへ申事も拙者同心にてなく候 裏道参候候はゝ迯たると可申
                   候 本道可参候 併彼町人何方に残り申事可有候 先に村井中に孫助跡から拙者参候故近邊の町人とも店
                   々に出合申候 拙者申は扨々各やかましき事に合せ申候なとゝ挨拶いたし通り申候 右の役にて上御屋
                   敷へ逗留仕芝へ折々歸候て休息仕候 其時分は舎人殿は縫殿助殿隼人殿は綾之助殿七右エ門殿は八彌
                   殿三人共に御小々姓にて候 織部殿へ参候へは何と替る事はなきか江戸中方々見申頓て江戸巧者に成
                   可申そ 今時分は別て日本橋は人通り多くどろほふ多く巾着小刀なと用心仕候へなとゝ拙者に右の咄
                   申させ様に御申と存候へ共いや々々孫助為に為らぬ事と扣申候 何の替る事も無御座候と一二度申候
                   其後参り候へは少用有之是へ参候へと居間に呼御申候は此中折々噂を申候へ共終に咄不申候 孫助日
                   本橋にて小刀とられ見違候 三人共に同道と承申候 扨委細咄申候へと御申候へはヶ様々々と咄申候て
                   此間折々御噂承申可申上かと奉存候へ共孫助不調法のみに御座候 然れ共御尋に申上間敷道理無御座
                   一々不残申上候 孫助事は召仕候下々迄も人道稠敷しかり申候 侍中も慮外者なとゝ申段候故今度の
                   儀は色々悪口をも申と奉存候 着物も引破りたるなとゝ沙汰仕候へとも左様に無御座目に立申と着替
                   申候 其時分下々多く見知り申候 若狭守様御手廻りの者共も見へ申候へとも歩の御小姓より上なる者
                   源兵衛私も見知り申さぬに無御座候へはたとへ孫助にて皆々憎み申とも私共見知りたるには何とし
                   たる事かと立寄様子承らて不叶儀に奉存候 然は皆下々の沙汰と奉存候由申候へは尤々と御申候 其時
                   分御屋敷中無隠事故元田古八右エ門未縁者にも不成候時かと覺申候老父とも心安く候故拙者に被申
                   候は孫助は柏原殿こん意にて子供衆皆々鑓稽古孫助打太刀にて候由村井は節齋居被申候事拙者は織
                   部殿御懇比の事に候間委細咄置候へと被申聞候 然共老父咄に傳たる者能き侍と申は我身の飾り咄常
                   に嗜み組頭なと我身善悪共に尋申共聖文なと立ぬ者御不審に思召ならは家来を御穿鑿被成候へは知
                   れ申事抔と他人に申譯させ申物に候 勿論一門の事にても昔より縁者の證據として皆影にて笑ひ申候な
                   とゝ被申候なとゝ被申聞候 其時分拙者頭宗像彦四郎組頭糸川長右衛門組脇にて候故拙者申候は定て
                   今度孫助事御聞可有候同道人まで迷惑なる沙汰に逢申候能々御吟味候て可被召置候 以後皆共は御奉
                   公の妨に成申事可有之由申候へは御尤此中も彦四郎殿其心得と見へ御買物奉行藤本左五右エ門・平井
                   太郎兵衛両人糸屋太郎兵衛方へ御遣近邊の町人共にも尋させ被申候故拙者咄に少も相違無之と申候
                   遠坂関内殿前の頭別て故是も尋被申候故元田八右衛門心付被申候へ共ヶ様々々の心得にて織部殿へ
                   も咄不申候由申候へは殊の外心に叶申候哉尤々おれか聞置候少も心に懸申間敷と被申候 其後織部殿
                   に見舞に参候へは折節御次に御出候て小屋玄関にて逢申候へは堀次郎右衛門かおるそはいり咄候へ
                   と御申はいり申候處に小川重右エ門と申織部殿家来と次郎右殿咄居被申候所に参候へは先刻織部か
                   其方の噂にて候由被申候 定て御呵り可被成と申候へはいや々々そふてなく則重右も聞申候先日何そ
                   織部か尋たる事かあるかと被申候故いかにも先頃御居間に御呼寄御尋被成候儀御座候と申候へは其
                   方の被申様事の外感し若き者の扨々感入たる儀あおの心得にて勤申候はゝ後々は御取立可被成物と重
                   右も聞たると被申候へは重右エ門いかにも其通日外いのこの餅澤山に御取被成候事にて織部呵り被
                   申候事次にて承候 其時とは替り事の外誉申され候と笑申候 如斯の事皆々老父被申候事能覺候て事は
                   替り候ても孫助為にならぬと此方より扣申尋被申候時には有様に申却て拙者誉被申候は人の為か我
                   身の為と成申候
                    

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■お安く読む・PHP新書「インターネット的」

2015-02-22 09:29:01 | 書籍・読書

 

   インターネット的 (PHP新書)
        糸井重里
       PHP研究所

  初版は2001・7月だが、最近になって評判を呼んでいるらしい。そう云われれば「読まざあなるめー」とばかりに注文した。
 すっかりインターネットにおぼれている爺としては、良きことも悪しきことも勉強しようという殊勝な思いからである。

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商品説明

 「インターネットそのものが偉いわけではなく、インターネットは人と人をつなげるわけですから、豊かになっていくかどうかは、それを使う人が何をどう思っているのかによるのだとぼくは考えています」 
   糸井重里のこの言葉に、本書のテーマと主張がつめ込まれている。人々のこの新しいつながり方、豊かさ、あるいは新しい価値観(「インターネット的」としている)を、自らが主宰する人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の体験をもとに示していこうという。その行き着くところにユートピア的な世界を見出そうとする、野心作といえる。

 「インターネット的」世界については、さまざまな観点から説明されている。その特徴には、「リンク」「フラット」「シェア」という「3つの鍵」があるとしている。人と人との自由意志的なつながりや、満足し合い、分け合うという意識などが、そこでの重要な価値になっているというのだ。糸井自身が生きてきた広告・メディア業界を支配する価値観、プライオリティーは、その対極にあるものとして批判的に語られている。さらに、信頼や本音の関係を基礎にした「インターネット的思考」や、消費の立場から「クリエイティブ」を実現する方法などの行動指針についても提言されている。体験から「ワン・トゥ・ワン」「消費者主権」といったビジネス用語のウソを暴く記述などもあり、おもしろい。

   インターネットの可能性やその未来像を論じた書物は数多いが、本書は2つの点で際立っている。ひとつは、文科系の視点しかもたない職業的コピーライターの手により、インターネットが鮮やかに表現されている点である。もうひとつは、論じられる世界を著者が実際につくり出し、すでに生きている点である。いまだ「実験中」という雰囲気が漂っている、生々しさのある書物と言えるだろう。バラ色のインターネット観と現在進行形の説得力、そして世界を語る熱気が印象深い。

 

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