昨日大分県立図書館で松平忠直の配流について少々勉強した。
大分先哲資料館でみた大分県に分立した諸藩の位置図
大分県下は旧藩時代は、中津藩、杵築藩、日出藩、府内藩、臼杵藩、佐伯藩、岡藩、森藩の八藩、それに飛び地として熊本・島原・延岡藩の三領が入り乱れている。
又、日田を主とする幕府領があり日田には代官所があり九州内の天領を支配した。加えて木下氏(交代寄合衆)の立石領、旗本時枝氏の時枝領が存在し「八藩七領」と呼ばれる。
府内藩(竹中家→日根野家→大給松平家)と熊本藩の豊後領である鶴崎のあいだに幕府領がある。
これは元和九年(1623)越前宰相・松平忠直が大分府内藩(中川氏)に配流となり萩原の地の置かれたが、ここが岡藩(中川氏)の領地であった為この地を天領となした。
岡藩は替地として乙津を与えたがこれものち天領となし、再替地三佐海原を岡藩領とした。いずれも大分市の東、鶴崎(熊本領)に隣接する範囲に集中している。
忠直の賄領(5,000石)は「大分郡の内、秋岡・曲・津森・片島・羽田・下郡・千歳・山津・三川・乙津の十村、速見郡の内、北石垣・鉄輪の二村」である。
忠直監視のために萩原横目が置かれた。細川家の鶴崎領からするとこの萩原の地は目と鼻の先である。
萩原にあること三年、寛永三年人里離れた津守へ移され、罪を得た中川氏に代わり府内藩主・日根野氏の預り人となった。
慶安三年九月死去、56歳。27年に及ぶ配流の生活であった。