NHKの有働アナは御両親が熊本出身だそうだから大変親近感がある。それにしても「脇汗事件」とか「付けまつげポロリ事件」「胸寄せ事件」など、放送事故にも成りかねない事柄を、さらりとかわす度胸はさすがと言うべき大物だ。紅白の総合司会後、独立するのではないか等と昨今いろいろ取り沙汰されている。彼女の動向は来年のTV界の台風の目になりそうだ。
「有働」を「うどう」と読めれば熊本人と良く言う。そして熊本が有働氏のルーツの地であるとされる。熊本の歴史がお好きな方は、佐々成政が城村城を攻めたとき、隈部勢の中にあって大活躍をした隈部氏が家老「有働大隅」とその一族の勇士の名前を思い出されるであろう。いわゆる熊本国衆の一族と言うことになる。
山鹿郡城村籠城之次第 (一) 山鹿郡城村籠城之次第 (ニ)
隈部軍記 - 2 「多久大和降参之事 付 冨田安芸討死之事」 隈部軍記 - 3 「隈府城陥事 付 隈部親安敗軍之事 」 隈部軍記 - 4 「 隈部親安城村の城ニ楯籠事 付 合戦之事 」 了
その後は帰農したのだろうか、しかしながら地方の有力者として身をなしたものと思われる。
「有禄士族基本帳」には次のような方々の名前が見える。有働アナウンサーのご先祖様もこの中に多分居られるのではなかろうか。
- 有働岩太
- 有働文〇
- 有働丈二
- 有働幸都
- 有働健太郎
- 有働孫次郎
- 有働三郎
- 有働源次郎
- 有働真男
又、「牢人片付け」には有働泰庵なる人物の名前が見える。
神風連の一人・有働数彦は21歳で参加し、志破れると人前に骸をさらすことをよしとせず、雁回山中で一人密かに自害して果てた。
後年発見され遺品から数彦であることが判明した。
大君の御楯となりて武士の名をば傳へむ萬代までに
一方、北海道に新天地を求め屯田兵として篠路兵村(現・札幌市北区屯田)に雄飛した有働常雄等がいる。
いつの時代にも現状を打破して、前を見据えて行動する有働氏の姿がある。来年は有働アナウンサー飛躍の年と成らんことを切望したい。