津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■水前寺成趣園まつり&細川流盆石展

2024-03-04 11:51:45 | ご挨拶

      下記催しについて、主催者さまから資料を頂戴いたしましたので、ご紹介申し上げます。
   開催概要にありますように、多岐にわたる催しが開催されますので多くの皆様にご参会いただきます様ご案内申し上げます。

       

                                 

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■手討達之扣-(16)岡 小平太高森村文七手討

2024-03-04 11:34:48 | 史料

 寛永十戌年七月四日 岡 小平太高森村文七手討

      口上之覚
   當正月四日之夜実父山中松衛門隠宅江鳫(胡)乱躰之者入込候ニ付咎メ懸候処暗夜ニ而取迯申候 然處大
   方見定も御座候ニ付南郷高森手永高森村文七と申者早速押懸申候処又々取迯申候ニ付諸方
   手を廻置候処一昨晩押来候ニ付右四日之夜様子昨十日精々吟味仕候処有筋及白状申候 於私
   身分如何躰ニ難差置旨ニ付討果申候 右始末別紙相添御達仕候 此段可然様奉願候 以上
     七月         岡 小平太

      両人當  十八日之夜半求馬殿へ持参
   南郷高森村私実父山中松衛門隠宅江私儀罷越居申候処當四月四日之夜右隠宅江路次内に
   物音仕候ニ付私儀木太刀を持出見繕候處鳫(胡)乱躰之者入込居候様子ニ付咎懸候得は迯出申候間追
   懸候得は帰り返り不意ニ刃物ニ而切懸り候内抜合せ候間も無御座木太刀ニ而直ニ打懸候内私儀
   植木箱ニ蹴斗つれ転候而挑灯振消行方を見失闇夜ニ而路次内植木等も有之候間何分難見分
   間内之様ニ入込候哉と心付かけ上り候得共焼は無御座窺■繕候処路次口又々物音仕候ニ付懸ヶ
   戻り見候得は実父縁際ニ而行逢候処怪我仕候由ニ而漸縁ニ腰懸ヶ居候様子ニ付深手ニ而も可有之
   哉と乍警様子相尋申候得は鳫(胡)乱者は間内に懸ヶ込候様抔申候ニ付直ニ追懸可申処右之容躰ニ而
   何分摸置かたく當惑仕候内早表口と聲へ具くり戸押放し迯去申候 最早追付間合も無
   御座心覚之者も御座候ニ付先ツ介抱仕居申候 最初私儀盗人と聲を懸候砌実父儀は小月ニ参り
   居縁に有合候株を取り直ニ植込之■ニ廻り居候由ニ御座候 此儀私一向存不申右之通怪我仕候儀ハ
   鳫(胡)乱躰之者見失ひ私儀間内之様ニ懸上り候間と相聞候 夫ゟ怪我改メ見申候処腰ゟ下タ
   三ヶ所疵御座候ニ付追々療養相加へ申候 當時迄之通ニ御座候得共漸平癒可仕哉と相尋申候 右之
   通ニ而御座候得共鳫(胡)乱躰之者は南郷高森手永高森村之文七と申者之様ニ大容見定も御座候ニ付
   早速手配等仕翌朝微明を待押懸申候処取迯申候 夫ゟ諸方手を廻シ置候処一昨晩押来候ニ付昨十
   七日精々及吟味候処実ハ盗賊之心得ニ而入込申候処咎懸候ニ付手向仕候段白状仕候 右之通実親儀
   三ヶ所怪我仕候ニ付何分ニも難差置別紙之通ニ御座候 前条之趣■速御内意可仕筈ニ御座候処右
   之者取迯旨間是非尋出さんと諸方吟味仕候ニ付段々延引仕候 此段可然様御達可被下奉願候 以上
     七月         岡 小平太
      両人當り  十八日夜分求馬殿へ達ス

      御内意之覚
   南郷高森手永高森村文七打果申候儀ニ付而御達申上候 然處山中弥一儀山中松衛門弟山中儀兵衛
   跡相続仕居申候処別居ニて右鳫(胡)乱躰者迯去候已後馳付申候処其後は両人申談方々手分ヶ
   仕及吟味押取申候 弥一儀其砌痛所ニ而居申候へとも右之次第ニ付押而方々吟味等二罷出候ニ付
   痛所も勝レ不申私屋敷内ニ而弥市申談私手付仕候右趣御達申上候 書付調落し申候ニ付
   御達申上候 此段可然様奉願候 以上
     七月         岡 小平太
      両人當り  十九日求馬殿へ達ス

 

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■吉村昭「桜田門外ノ変」を読む

2024-03-04 07:04:07 | 書籍・読書

                                                                      

 万延元年三月三日は、水戸の浪士たちが大老・井伊直弼を襲ったいわゆる桜田門外の変が起きた日である。
そこで昨日は、吉村昭の渾身の小説「桜田門外ノ変」を読んだ。「あとがき」を含め517頁ほどあるが、依然読んだ記憶をたどり
ながら、飛ばし/\にしながらなんとか読了した。
吉村昭氏は、自ら綿密な取材で知られる作家である。
吉村氏はその著「史実を歩く」の中、「桜田門外ノ変・余話」で、特に主人公の関鉄之助の逃亡の足跡をたどられたことを書かれている。

多くの関係者に会われ、また新たな資料なども発掘されながら小説に反映させられた。
氏のほかの作品も同様だが地道な自らの調査によって、それぞれの作品に重みをつけていることを実感する。
昨日、当該地で旧暦ながらその日に事件が起きたことを、行きかう人たちは御存知で在ったろうか。
鉄之助は2年5ヶ月の逃亡を経て捕らえられた。首を討たれ遺骸は小塚原に打ち捨てられたという。
そして、桜田門の事件からわずか8年後には明治維新に至る、怒涛の変革が行われるのである。
鉄之助らの行動が明治維新をもたらしたと考えると、その苦しい逃亡の末の無残な死も報われたと報告せずばならないのだろう。
水戸侍たちは、維新の時代をどういう感慨で迎えたのだろうか。そして幾人の人たちが水戸の浪士たちに手を合わせたのだろうか。
吉村氏の渾身の小説は、彼らの逃亡の末に迎える維新という新しい世界には触れていない。
それは言わずもがなのことである。沈鬱な気持ちの中に読了したため、コップ一杯の焼酎をあおった。

           

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