先の史談会例会の資料の中にあった、熊本日々新聞の記事である。
二回ほど招聘講師としてお出でいただいた「菊池の伝統を伝承する」ことに精力的に活動されている坂本博氏ご夫妻が、かって菊池の地によく見られた「紫草」を復興させようと努力をしておられる。
以前お出でいただいたときにお話を伺っていたが、話は具体的に動き出していた。
二回ほど招聘講師としてお出でいただいた「菊池の伝統を伝承する」ことに精力的に活動されている坂本博氏ご夫妻が、かって菊池の地によく見られた「紫草」を復興させようと努力をしておられる。
以前お出でいただいたときにお話を伺っていたが、話は具体的に動き出していた。
私は随分以前、黒岩重吾の古代史に関する小説を随分読んだ。
「天の川の太陽」や「落日の王子」「斑鳩王の慟哭」、そして額田王を扱った「茜に燃ゆ」もあった。
万葉集にある、額田王と天武天皇の相聞歌についてもその時知った次第である。
―天皇の蒲生野に遊猟(みかり)したまへる時、額田王のよみたまへる歌
茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる
―皇太子の答へたまへる御歌 明日香宮ニ御宇シシ天皇
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾(あれ)恋ひめやも
万葉集にある、額田王と天武天皇の相聞歌についてもその時知った次第である。
―天皇の蒲生野に遊猟(みかり)したまへる時、額田王のよみたまへる歌
茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる
―皇太子の答へたまへる御歌 明日香宮ニ御宇シシ天皇
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾(あれ)恋ひめやも
「茜に燃ゆ」の表紙にある額田王の髪に飾られたこの花を、私はずっと「紫草」と思い込んできたが、調べてみると「紫草」の花は可憐な白い花だと知って、十数年ぶりに改めなければ成らない。