「蓑田乙次、勝木瀬助手討不首尾」につきましては、原本に乱丁がみうけられましたので、一旦現況でご紹介を停止し、熊本県立図書館で再度点検をしたうえでご紹介したいと思います。
尚、事件の詳細がまだ紹介できておりませんでしたが、過去に「風説秘話」でこの事件のことが取り上げておりましたので、こちらをご覧いただければ幸いです。
約28頁に及ぶ最長の記録が残されている事件である。2月9日に起きたこの事件は「手討不首尾」とまず書かれているが、本人はいまだ
前髪を残した少年であり、差し許しがたき侮辱を受けたがその場で討ち取ることができなかったことを指している。
相手は柏原新左衛門(用人・4,500石)の家来であるが、兄・蓑田左五左衛門は犯人の引き渡しを求めて折衝を行い、身柄をうけとり、
2月14日にこれを討果した。
その記録が膨大になっているのは、この事件に関する諸方の対応や、手続き等があったようにうかがえる。
完全解決までに半年に及んでいるが、これを数回にわたりご紹介する。
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寛政十二年二月十四日 蓑田乙次勝木瀬助手討不首尾
寛政十二年二月十四日 宮村平馬組蓑田左五左衛門弟
蓑田乙次 柏原新左衛門家来勝木瀬助打果
口上之覚
柏原新左衛門家来勝木瀬助儀蓑田乙次江慮外之様有之候ニ付右瀬助を乙次実兄蓑田左五左衛門
ゟ所届ニ付無程新左衛門方家来を以引渡申候可申候間此段左五左衛門方へ御通達可被及候 以上
二月十四日 岩間 恰
糸田長右衛門殿
■■■瀬助を新左衛門家来付添参り左五左衛門江引渡ニ相成候ニ付門内ニ而受取討果申候 尤彼ノ方物頭
壱人歩之者四人付添高張に丸三張箱挑灯壱ツ灯せ参り候由
口上之覚
私末弟蓑田乙次儀柏原新左衛門家来勝木瀬助と申者去る九月於途中難差通所外仕候ニ付
新左衛門方留守支配岩間恰方ニ申請所届仕今夕引渡ニ相成申候ニ付乙次儀右瀬助を打放申候尤乙次
儀未タ前髪も有之候者之事ニ付私助太刀も仕候 此段御達仕候間可然様奉頼候 以上
二月十四日 蓑田左五左衛門
中路加兵衛殿
浅香清太夫殿
口上之覚
今夕柏原新左衛門殿家来勝木瀬助儀蓑田左五左衛門ゟ所届ニ付引渡ニ相成左五左衛門弟蓑
田乙次幼年ニ付左五左衛門助太刀仕瀬助を打果申候 此段私共見届申候間御達仕候 以上
二月十四日 蓑田左五左衛門五人組
塩山孫太夫
楯岡小七郎
宮部一郎右衛門
完無し
口上之覚
私弟蓑田乙次儀柏原新左衛門家来勝木瀬助と申者去ル九日難差通慮外仕候ニ付新左衛門
方留守支配岩間恰方江申談所届仕今夕引渡ニ相成申ニ付乙次儀右瀬助を討放申候 尤乙次儀
前髪も有之候ニ付私助力も仕候 依之如何程ニ相心得可申哉奉伺候 以上
二月十四日 蓑田左五左衛門
中路加兵衛殿
浅香清太夫殿
口上之覚
私儀柏原新左衛門方家来勝木瀬助と申者去ル九日於途中難差通慮外仕候ニ付新左衛門方支配岩間
恰方江申談所届仕今夕引渡ニ相成申ニ付討放申候 尤左五右衛門助太刀も仕候 依之私儀如何程ニ相心得可
申哉奉伺候 以上
二月十四日 蓑田乙次
右両人完
一左五左衛門ゟ之覚書當番御奉行町孫平太方江十四日之夜九ツ過持参逢申候而演舌を加江相達申候
事且兄弟伺之書付両通も懐中いたし居候ニ付兄弟伺之書付は今晩御用番江奉伺候方存候間
御向合之段及向合候処伺之方存候由返答有之候 彼之方ゟも達之覚書今夜中可被相達旨被申聞候
左候而御用番長岡左馬助殿宅江罷越筆頭三宅次郎八取次ニ而右伺之両通相達始末之趣も一通り
及演舌候 尤左五左衛門・乙次江は相慎居候様申達置候段申達候処両通受取被置相慎居申候
趣も被致承知今晩は達不被申旨同人を以返答有之候事
但右書付小七郎(楯岡)ゟ請取申候節本行之通慎被居候様申達ニ及候様小七郎を以申達無候
且閉門等之事も心を付置候事
一平馬靏崎留守ニ付月御番頭藪内蔵允殿江清太夫十四日之夜持参被御達候書付
覚
宮村平馬組蓑田左五右衛門弟乙次儀去る九日於途中柏原新左衛門家来勝木瀬助と申
者難差通慮外仕候ニ付新左衛門留守支配岩間恰江申談貰受今暮過引渡ニ相成乙次儀
右瀬助を討果申候 尤乙次儀は未タ前髪も有之候者之儀ニ付左五左衛門助太刀も仕候由
此段御達仕候 以上
二月十四日 浅香清太夫
一足軽及浪人又は陪臣之歩段以下百姓町人等打果候達方有之節は先在宿仕候様組頭差圖
有之候由兼而承居候処氣取違御用番江今晩慎居候様申達候処不都合ニ相聞可申と心付御役
所江罷出町孫平太呼出口之間二而右之趣咄仕左馬助殿手前程よく取斗被呉候様申達候處
孫平太返答此節之儀矢張昨晩被申達候通ニ而宜敷由ニ候事
但本行之儀以前申達候趣不當候ハゝ左五左衛門方も右之稜申断候心得ニ而候得共本行之通ニ付
手数ニ不及尤慎居候様申達候事ニ付閉門候事も前晩心を付候通ニ而差置候なり
口上之覚
私組合蓑田左五左衛門末弟蓑田乙次討果申候柏原新左衛門家来勝木瀬助死骸片付之儀如何程
ニ可仕哉御内意奉伺候 以上
二月十五日 楯岡小七郎
中路浅香完
付札 此儀御用番江も相達置候死骸之儀柏原新左衛門方ゟ所届有之候ハゝ勝手次第彼ノ方江引渡
ニ相成候様可有御達候 以上
二月十五日 御奉行中
完なし
右瀬助死骸片付方之儀御奉行中ゟ付札之趣ニ付糸川七左衛門を以柏原方如何様之■様ニ候哉
恰方江懸合ニ成候処彼ノ方ゟ所届ニは相成不申由ニ付左五左衛門ゟ死骸片付方いたし候由ニ付
小七郎持参ニ而覚書左之通
口上之覚
昨十五日御同意相伺申候柏原新左衛門方家来勝木瀬助片付方之儀ニ付而書付御奉行中ゟ之付紙
之趣ニ付右新左衛門留守支配岩間恰方ニ懸合申候処新左衛門方ゟ所届無之由ニ付段山町
真宗正鏡寺相頼右死骸片付申候 蓑田左五右衛門身分奉伺置申候ニ付右之段私方ゟ御答仕候 以上
二月十六日 楯岡小七郎
中路・浅香當テ
右書付并明細書同十六日御役所江清太夫持参當番御奉行白石清兵衛江口之御間相達受取
二月十六日 奉行所
切メ
中路嘉兵衛殿
浅香清太夫殿