芥川龍之介の作品に「忠義」があるが、これは細川家7代目宗孝に対する板倉勝該の殿中刃傷事件を取り上げたものである。
事件そのものではなく、彼に仕えた二人の武士のそれぞれの生き様を軸として語られている。
その中には次のような狂歌が紹介されているが、私はこのことについては詳しくは知らない。
三斎の末なればこそ細川は、二歳に斬られ、五歳ごとなる。
三斎の末とは宗孝公の事、二歳は大方「青二才」であろう。三歳と二歳を足すと「五歳ご=ご最後」という江戸っ子のダジャレである。
私が所蔵している上妻文庫の写の中に「隱見細倉記」というものがある。細は細川、倉は板倉を表す。
原文を読み下しながらタイピングを並行して、その内容をご紹介しようと思いいたった。
目次は次のようにあるが、何せ読み下しながらの作業なので少々時間がかかりそうであることを、予めお許しを願っておきたい。
(目次)
1、細川越中守殿八月十五日月次登城之事
附板倉修理(勝該)殿乱心越中守殿手負
1、越中守殿腰物御徒目付衆預り事
1、越中守殿中ノ口ゟ平川通退出事
1、小用所繪圖之事
1、水野監物殿江修理殿御預之事
1、大御目附衆目附衆ゟ書上之事
1、越中守殿手疵容躰之事
1、水野監物殿江修理殿御引渡之事
1、越中守殿江 上使之事
附 上使之事
1、越中守殿頼之御城坊主衆之事
1、修理殿一類中御目通并指扣之事
1、修理殿跡屋敷有馬中務大輔殿江御預之事
1、八月十五日詰合之御城坊主町奉行所ニ而吟味之事
1、越中守殿死去并法名之事
1、越中守殿殿中慎之事
1、修理殿家来、并供之者御預之事
1、監物殿江修理殿御請取行列之事
1、監物殿ニ而修理殿切腹一件之事
1、修理殿江被仰渡之御書付之事
1、検使御役人中之事
以上