41、
文化九年牧新五組
口上之覚
山鹿郡中村手永相良村伴(儀)助と申者當二月二日ゟ召抱置申候處今夕難差通筋御座候ニ付打放申候
此段御達仕候以上
七月十三日 枩岡文左衛門
覚
私家来今夕手討仕候儀は別紙御達仕候通ニ御座候 右始末之儀は私儀今朝用事御座候而罷出候ニ付留守内
用事申付置候處罷帰候上右用事一向に相調不申候ニ付尚又申付候処一ニ違背仕却而母私江對シ様々
法外之悪口雑言候ニ付得斗申諭候へ共増々悪口相募言語道断之次第ニ付呵付申候処自分不調法ニ而
は曽而無御座断抔と申儀は難相成自分如何様相成候共不苦と悪口及重畳申候ニ付何分難差置打捨申候
以上
覚 山鹿郡中村手永相良村
儀助
右は私儀去る十三日手討仕候家来名前右之通御座候 然處其節御達仕候書付伴助と相調名前相違仕不
都合之儀ニ奉存候 依之尚又名前御達仕候 以上
七月十六日 枩岡文左衛門
42、
この回の記事については、2014・2・14日に取り上げの、■「百間石垣うしろ跳び」のあの山東弥源太殿のことをご覧いただきたい。
井芹川で釣りをしていた際に刀を盗まれたという、弥源太殿痛恨の事件である。
43、
文化十二年横山壽七郎組
御内意之覚
私弟河井三郎右衛門儀薮田岩次相手ニ相成候旨趣難分御座候断別紙之通ニ御座候 然處昨十日朝飯後吉
田鷹之允私宅江罷越薮田岩次今日江戸出立ニ相成候筈之由右は兼々至而親友相交候ニ付右出立
之様子前夜彼ノ方江態と罷越相知せ候由依之為見立途中まで罷出可申と三郎右衛門へも親友之事ニ付
同道可致之由ニ御座候 右ニ付三郎右衛門儀岩次出立之様子初而承り申候ニ付則鷹之允同道ニ而宿元罷出申候
其後之様子如何有之候哉且此節之一件旨趣之処若は心附候儀無之や岩間次左衛門同人江今朝承り合候処鷹之允
より申聞候趣昨日三郎右衛門同道ニ而大津道筋壱里塚邊迄罷越候処外ニ見立相濟罷帰候人江逢申候ニ付
岩次出立之様子承合候処何レモ二里塚邊ニ而相分申候由ニ御座候 鷹之允事は是ゟ直ニ罷帰り可申候と申聞候得共
三郎右衛門儀は兼而親友之岩次此節出立之事一向知せも無之第一懸合置候事も有之候得右之趣
如何とも不申聞置定而留守江夫々筋を付置候ニ而も可有之候得共何分不致候而は難相成候ニ付大湯宿迄
にても可罷越宗ニ而於其場両人引分申候 勿論其後之様子は如何様とも存不申候得共前文之様子ニ付此節之
儀ニ至り候而も可有之候や尤懸合之旨趣鷹之允手前ニ而も是又相分兼候得共右之次第承り候侭而御内意
御達仕候 以上
三月十一日 河井清右衛門
完なし
これにて「手討達之扣」は全て完了いたしました。