津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

嘉永七年相州浦出陣東海道道中記(抜粋-安政大地震) -1

2011-03-12 21:23:56 | 歴史

 この道中記は、荒木村重の子孫と伝えられる荒尾の一領一匹の荒木慶右衛門が、相州警備のために出陣するに際して記したものである。(嘉永七年は十一月に安政に改元する)十月十六日集合した一同は山鹿(熊本県山鹿市)を出立した。豊前街道を陸路で上り中国路へ入り、上関から船路で大坂着後淀舟にて十一月朔日伏見に入った。名所旧跡などを見物したりしながら東上、十一月四日勢州亀山の縄手に入ったところで大地震に遭遇している。安政の大地震(安政東海地震 M8.4)である。
       www.bo-sai.co.jp/anseitoukai.htm
       ja.wikipedia.org/wiki/東海地震

                  
                  (十一月四日)
                  地震縄手     並松左右沼アリ
                  此処通懸り当六月十四日地震ニ而亀山
                  御城ヤクラ 塀 カベ抔散々損し誠に
                  目を驚かし地震之噂抔いたし
                  所々損所見通り縄手並松左右ニ而
                  十丁計之処半分計通り懸候処
                  五ッ半比と覚いつ方となくゴヲゴヲト
                  ライ聲もおとりたる天地をさけび
                  よふなる変成音いたし往来之人々
                  顔見合而仰天いたし候中道■次第次第ニ
                  ユリ出し大地震ニなり暫ユリ人足
                  人馬皆々足踏留メ難成千鳥足ニ而
                  右よ左よと倒レ馬乗之人は
                  落馬致無残籠の人は籠よりぶり出し往還
                  筋前後足元之無差別壱尺
                  弐尺七八寸 五六寸幾筋か千々ニ引
                  割泥水吹上ケ往還に満水いたし通路之人馬
                  駄津うセながら倒れたすけ
                  呉れと喚嗁べ共たれとて助ル人モ
                  なし 私し共初皆々彼の割目ヲ
                  飛越■■■よふよふと並松ニ取付居
                  実ニ一命終り候と存神仏江祈念の
                  聲々あわただ敷旅人ハ世直し
                  世直しととなへし 聲々誠ニ身ニシミ
                  夢うつつともわからぬ不時之仰天ニ
                  候処猶並松よりユリハナサレ最者ヤ弥以
                  一命士中ニ割込レ候と心決仕其アハレ
                  言語同断をそろしきとも何れとも
                  言語難盡筆紙述候而又々並松ニ
                  よふよふと取付神仏江祈念仕候 漸
                  半時計りユリ次第ニ終候
 

                            (続) 

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         祈

2011-03-12 08:56:34 | 徒然

 TV報道で全国各地の被災状況をリアルタイムでみておりますと、本当に神も仏も無いものかと言いたくなりました。熊本の地で何事も無い生活をしておりますことを、申し訳ない気さえ致します。皆様がご無事にお過ごしであられますよう、ただただお祈り申上げます。

(九州新幹線全線開通の記念すべき日ですが、全ての行事をストップしてのスタートとなりました)

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古文書の文字--読み

2011-03-11 08:45:46 | memo

 先日のブログで「全き」を書いたが、私の古文書解読はまったくの独学だから、読み下しが■だらけである。古いノートに勉強し始めの頃のメモが挟まれていた。今ではなんとか読めるようになったが、当時は辞書や崩し字辞典で苦労した文字である。

・稠敷 (きびしく) ・只管 (ひたすら) ・就中 (なかんずく) ・就其(それについて) ・仮令 (たとい) ・都而 (すべて) ・爰元 (ここもと) ・為何 (なんたる) ・倡方 (いざないかた) ・無攄 (よんどころなく) ・為躰 (ていたらく) ・然而 (しかれども) ・有増、荒増 (あらまし) ・袷恰 (とにもかくにも) ・態々 (わざわざ) ・穴賢 (あなかしこ) ・日外 (いつぞや) ・幾許 (いくばく) ・奉為 (おんため) ・急度 (きっと) ・委敷 (くわしく) ・聢与 (しかと) ・一二 (つまびらか) ・胡為 (なんすれぞ) ・無墓(はかなし) ・奈何 (いかに) ・候半 (そうらわん) ・出来 (しゅったい) ・畢竟 (ひっきょう) ・饂飩 (うどん) ・前廉 (まえかど) ・如早晩 (いつものごとく) ・必多度 (ひたと) ・開結 (ひらきむすび) ・承届 (うけとどけ)

・弥 (いや、いよいよ) ・令 (せしめ) ・具 (つぶさに) ・縦 (ほしいまま) ・挊 (かせぎ) ・稜 (かど) ・礑 (はたと) ・甘 (くつろぐ) ・抑 (そもそも) ・遖 (あっぱれ) ・剰 (あまつさえ) ・聊 (いささか) ・偖 (さて) ・行 (てだて) ・纔 (わずか) ・捗 (はかどる) ・抔 (など) ・太 (はなはだ) ・徒 (いたずら) ・扣 (ひかえ) ・自 (より) ・洽 (あまねし) ・奈 (なんぞ) ・能 (よく) ・

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「江」のおかげ? にぎわう柏原織田家の地元

2011-03-10 15:50:48 | 歴史

 家紋や武家家伝でお馴染みの、「播磨屋」さんのメールマガジンが送られてきた。NHKの大河「江」の影響で、柏原織田家の地元がにぎわっているらしい。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E6%B3%A2%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E8%97%A9
柏原織田家といえば細川家とは縁の深い家である。

 織田信長の直系で一番近いのは、二男織田信雄の二男・高長の流れだとされる。高長が細川家家臣薮内匠政一(12、000石)の女婿として長岡主膳信友と名乗り、細川忠興の下にあって細川妙庵(幸隆)亡き後豊前竜王城を預けられていたという事実はあまり知られていない。綿孝輯録は、「織田信雄の二男也、豊前ニ御呼被成、藪内匠か壻ニ被成、妙庵主御卒去後竜王城御預被置候処、今度御立退(慶長十六年)、無程公儀ニ被召出、織田出雲守(一ニ出羽守)高長と改、従四位下侍従ニ叙任、弐万石被下候(以下略)大和松山藩初代藩主・・四代目以降柏原藩主」と記している。
 父信雄の遺領について、天童藩織田信昌と相続を争い細川忠利・前田利常の応援をうけて幕府の裁定を得て、大和松山の宇陀藩藩主となった。(31、000石)。高長・長頼・信武と続いたが、信武代に「宇陀崩れ」という家内の騒動で信武は自裁、嫡男信休が二万石減封されて丹波の柏原に転封される。その孫信旧(ノブヒサ)に細川宣紀の娘(岑姫)が嫁いだ。岑姫の兄・細川宗孝が江戸城中で誤って殺された事件では、この織田信旧が事件の処理に奔走したと伝えられる。残念ながら岑姫は24歳の若さで亡くなってている。くだって弘化年間宇土支藩11代立則の弟・泰三郎が柏原藩織田家養子に入った(信教)。残念ながら19歳の若さで亡くなった。
 じつはこの柏原藩は、元々は信長の弟信包が初代藩主で三代続いたが、無嗣断絶している。信包の嫡男信重は相続争いに敗れ、伊勢・林藩主となった(10,000石)。その室は管領斯波氏の末・津川義近の娘であり三男津田次郎左衛門(三十郎長相)は細川家臣となり三百石。同じく細川家臣の伯父・(義近二男)津川辰珍(1,200石)が三十郎に七百石を分知するという面白い出来事があった。 

 
                細川宣紀---+---宗孝===重賢                
                        |
                        +---重賢
                        |
                        +---岑姫   
               長岡主膳信友         ∥        宇土細川藩12代立則弟・泰三郎
 +--信長---信雄---高長・・・・・・・・・・・・・・・・信旧・・・・・・・・・・・・===信教
 |             ∥大和松山・宇陀藩初代藩主 丹波柏原藩・初代藩主    
 |      薮政一---女   
 |
 +--信秀---信包----+---------------信重
               |             ∥---津田十三郎長相
               |         +---女
               |         |
               |  斯波義銀---+---津川辰珍
               |
               +--信則(柏原藩)

ちなみに薮氏の先祖は薮伊賀守、織田信長に仕え伊勢で戦死した。その子政一(内匠)は「中村式部少輔一氏に仕、江州日野の内二千九百石領地、後九千石同伯耆守代様子有之致仕京都牢人頭 忠興豊前召寄壱万石、のち大隈(兄)知行二千石加増、都合壱万二千石 元和五年八月五日歿・八十一歳」

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再購入

2011-03-10 14:11:07 | 書籍・読書
孝明天皇と「一会桑」―幕末・維新の新視点 (文春新書)
 
    文藝春秋

 我が高祖父・上田久兵衛についていろいろ書き付けているが、京都での活躍の時代を知る上での大事な参考書である。4~5年前に購入したと思うのだが、行方知らずとなった。
狭い我が部屋のどこかにあるはずなのだが・・ない。あまりうろうろ探し回っていると、また奥方から文句が出そうなので、二冊目を購入することにした。新書は安価だから助かる。 

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司馬遼もどき

2011-03-10 08:39:15 | 徒然

 ここ数日寒の戻りの寒さが続き、外に出るのが億劫である。啓蟄は過ぎたが虫たちも迷惑な話ではある。散髪に行かなければならないのだが、これとて面倒でいささか伸び放題になった。寒くて昨日も出かけなかった。
 私は100%とは言わないがそれに近い白髪頭である。いまさら染める訳にも行かぬ白髪頭が、伸び放題になると「司馬遼もどき」になるのだ。「もどき」とは、以前出かけた折の床屋さんの言である。「司馬遼」とは、言わずもがなの司馬遼太郎氏のことなのだが、「おれはあんな穏やか面じゃあないからね」というと、鏡に映った私の顔をちらっと眺めて、・・・「そうですね」とのたまう。失礼なやつだ。

 そろそろ散髪に出かけようと思っているのだが、また言われそうな感じがする。
床屋を変えるのも大人気ないが、「もどき」もしゃくではないか。朝の洗面所で鏡をのぞきながら、どうしようかと思案中である。

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史料所在-岡山大学・池田家文庫

2011-03-09 15:28:34 | 歴史

細川家の侍帳にかかわっている人間として、大変興味深いのが岡山大学の池田家文庫の史料である。
          http://www.lib.okayama-u.ac.jp/ikeda/

クローズアップで見ることが出来ないのが残念だが気になる絵図がある。以下の二件である。コピーサービスが出来るのかどうか、当ってみたいと思っている。

 T3-8 肥後国冨岡城図 55.2×116.8
 (端裏書)「肥後国冨岡城図、寺沢兵庫頭忠高肥前唐津ニ在城、天草冨岡ニハ城代三宅藤兵衛居」、(端裏貼紙)「六一番」

 T3-9 肥前島原一揆之城図 109.3×171.5
 (端裏書)「三島原一揆之城」、(端裏ラベル)「記号:松、番号:八九」

 

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大坂の陣--豊臣氏を滅ぼしたのは誰か

2011-03-08 21:54:53 | 書籍・読書
      大坂の陣---豊臣氏を滅ぼしたのは誰か (河出文庫)
 
               河出書房新社

 NHKの大河が評判悪いですねー。全く見る気がせず、時折いつか持ち直すだろうと、スイッチを入れますが・・・変りませんね、台本が悪すぎる。ドラマですから史実通りにとは言いませんが、それはないよなーという場面が多すぎますね。

 本とて当りはずれはありますが、さてこの本は同だろうと思いながら注文しました。 

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全き

2011-03-08 20:58:54 | 徒然

 例えば宛行状の

       百石如先規充行之訖
       全可領地之状如件
       は

       百石先規の如く之を充行(あてがい)訖(おわ)んぬ
       全く領地すべきの状如件(くだんのごとし)
                            と読むと理解してきた。

 処が最近「全き(まったき)」とする資料を見つけた。

恥ずかしながら、私はこういう読み方があることさえ全く知らなかった。
上の読み方にしてからが「全て・・・・」と理解していたのを、間違って読んでいることに気が付いたのもそう遠くないことである。「全き」などの読みには驚いてしまった。

追いうちをかけるように、護貞様の著「細川幽齋」を読んでいたら、幽齋公が薩摩から越前へ領地替えになった時の慶長四年の証書を、護貞様は「目録は別紙にこれあり候 全き御知行あるべきの状件の如し」と書いておられる。
やはり「全き」が正しいのか、これには参ってしまった。さて如何・・・ご示教たまわりたい。

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美の回廊展

2011-03-08 19:06:53 | 熊本

 熊本県伝統工芸館で、「熊本の工芸『美の回廊』展が催されます。

                http://kumamoto-kougeikan.jp/cn9/pg507.html

 熊本城の「不開門」まえにあるこじんまりした建物ですが、熊本の素晴らしい工芸品が展示されており、観光の一翼を担っていくものと思われます。

私がご紹介するのは、ひょっとしたら初めてかもしれませんが、期待を裏切らない処です。

               どうぞおいでまっせ・・・・・・

 

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豪華キャスト

2011-03-08 09:03:05 | 徒然

                  浅野左京大夫幸長(1576~1613) 
                  黒田甲斐守長政(1568~1623)
                  池田三左衛門尉輝政(1564~1613)
                  加藤左馬助嘉明(1563~1631)
                  細川越中守忠興(1563~1645)
                  加藤肥後守清正(1562~1611)
                  福島左衛門大夫正則(1561~1624)
                  本多佐渡守正信(1538~1616)

 皆さんは上方落語に「荒大名の茶の湯」という演目があるをご存知だろうか。
           http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug461.htm
私はまったく知らなくて、「細川」でサーフィンしているうちに出会ったという次第である。
筋立ては上記サイトから御覧いただきたいが、すごい登場人物でそれも茶の湯が主題というのが面白い。さすがに利休七哲の細川忠興は主役をはっているようだ。
登場する豪華キャストを(年齢順)並べてみたが、この茶会は徳川の天下取りの懐柔策の一手いったところか。内容はともかくとして、このメンバーが打ちそろいお茶をいただくということも、ひょっとして有ったのかも知れない。鶴光師匠のDVDが出ているというから、ぜひ拝見したいものだと思っている。

東京では「荒茶」と演題を替え、林家正蔵がその名跡を継ぐときに鶴光に教えを受け持ちネタにしたとかいう。しかし如何にも大坂らしいネタに思える。

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古地図とめぐる東京歴史探訪

2011-03-07 23:17:02 | 書籍・読書
         古地図とめぐる東京歴史探訪 (ソフトバンク新書)
 
                   ソフトバンククリエイティブ

       「切絵図・現代図であるく 江戸東京散歩」はいつもデスク近くにあります。
   時にはGoogle Earthなどを駆使しての散歩も楽しいものです。
   又はまってしまいそうです。

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啓蟄や・・・

2011-03-07 14:46:48 | 俳句

                  啓蟄や出るに思案の雨となり

                  為書きの墨書も添えてひなかざり

                  迷い道思案の先や沈丁香

                  崩し字の解ひらめきて春の温

                  古絵図の目当ての寺の辛夷かな

 

                  

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細川幽齋・忠興--加藤重徳--郡宗保の関係

2011-03-07 09:14:01 | 歴史

 荒木村重の有岡城に幽閉された黒田如水に、牢番を勤めた加藤重徳は温情をもって接している。後開放された如水はその恩に報いるべく、重徳の二男を養子(黒田一成)とした。
この加藤重徳の妹が細川幽齋の側室であるとする系図が残されている。(九州大学所蔵 筑前黒田藩・大老-美奈木黒田家系図 )

 一方細川忠興の側室・松之丸の父・郡宗保の妹が、先の加藤宗保に嫁いでいる。
加藤一成と長兄吉成、又黒田蔵人に嫁ぐ妹等の生母である。松之丸とはいとこの間柄である。

 加藤重徳と郡宗保は共に伊丹氏であり、重徳が二代、宗保が三代遡ると共通の祖・伊丹大和守雅盛につながっている。

 忠興は重徳の娘婿・黒田蔵人を召抱えているが、その際黒田長政と争うように異常な熱意でこれを召し出している。
        http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/05787a95508ea34550c379921bbf7baa
よくよく考えると義理の仲ながら、従兄弟ということになる。

                      +--- 吉成
      +------加藤重徳    |   黒田如水養子
      |       ∥--------+--- 一成(筑前黒田藩・大老-美奈木黒田家)
      |  +----●      |
      |  |            +------●
      |  |                 ∥
      |  |               黒田蔵人(細川家家臣)
      |  |
      |  |               松井興長
      |  +---郡宗保---松之丸      ∥=====寄之
      |               ∥-------古保    ↑
      |   麝香(光壽院)  ∥
      |     ∥-------忠興---+--忠利
      |   細川藤孝         |        ↑
      |     ∥            +---------寄之
      +------●(大法院日周)

 私は忠興と側室・松之丸(藤)の出会いが、どのようなものであったのかを興味深く考えてきた。今般の美奈木黒田家の系図にある、藤孝側室・大宝院が加藤重徳妹であることを考えると、細川--郡--加藤の関係や黒田蔵人召しだしに関する事情が、ほんのりと見えてくるように思われる。

(以前細川忠興と郡宗保・加藤重徳に関する略系図「郡宗保の枝葉-筑前黒田藩 2009/12/02」をUPしていたが、幽齋の側室と思われると加藤重徳の妹の存在を知り、再度略系図の作成を試みた。GOOブログではプレビューが別画面表示になったため作業は困難を極める。ちょっと込み入ったものは今後は無理かもしれないと感じている。)

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好発進

2011-03-06 17:20:32 | 熊本

 J2開幕戦 ロアッソ熊本 × 東京ヴェルディ は 1:0でいただきました。J1めざして好発進です。

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