妙應院様初而御入國萬治四辛丑二月五日上使稲葉美濃守様御出御小袖五十白銀五百枚御馬壹疋同三月廿七日江戸御發駕四月廿八日に熊本御着座同日江戸江為御禮長岡監物殿住庵被差立候
辛丑六月朔日改元寛文元年
献上
黒繻子 籃鶴一箱 昆布一箱 御樽一箱
右之刻御船中より直に豊前小倉小笠原右近太夫様へ御寄被遊候御仕舞被成鶴崎江小倉之御供御家老澤村宇右衛門友好・坂崎清左衛門・柏原新左衛門・小姓組十人此時之江戸留守居番長岡九郎兵衛十左衛門殿■親父四千石人持
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桑山左衛門殿江三齋公被■候節御書之写
五月十三日之御状拝見申候 扨上様御息災之由目出度存候事
一、駿河大納言殿甲州江御越候由兎角何之道にもかた付不申候ては成不申事に候 朝稲彌太郎近年大納
言殿江被成御付候 駿河在府之由此比此地江被参貴老江被参候時様子御尋候へは御気色替事は無
之候 はり程の事棒之様に申成候と被語候由主君之事を加様に御成下候時左様に贔負に被申は奇特
にて候へ共此中之ことく歴々之者子供を理不儘に御切候外別之気違は有間敷候事
一、馬之儀先書にも承候 年寄候故能も悪きも馬は入不申候事
一、松奥州彼年寄在江戸御奉公成間敷候間隠居被仕頭をそり有度由大炊頭江申来候由世間に沙汰仕候
得とも貴老なとは一圓無御存由左様に可有之候 右之分に被申上候は如御書中気違か色を被立類に
て可有候 されとも謀叛可仕と被存候はヽ政宗被上事十月可為時分候 上りきわに被申出其往来之面
に當所務取こまるへき儀と存候 然を前永に被申出候事不思議千萬に存候 是こそはりを棒に申候か
気違かにて可有之と存奉候
一、貴老両御所様江御目見候様子被仰越尤存候積殊之外強候へ共御食事さへよく候へは餘之事は入不
申候 珍重存候 私此中無病に候つる當月に入積差出申候 いつも五月は如此候 大發無之候間可御心
安事
一、島弾殿腫物同前之由貴様御父子御迷惑推量申候事
一、浅采女殿困之左様可有之と存候笑止にて土杢事さのみ痛不被申由珍重存候事
一、永傳十本丸へ口々夜々被詣息災之由珍重存候事
一、南光坊被炊大事と申候へ共又々能候由是おしき人にて候事
一、國師噂此前同前之由苦々敷儀候事
一、藤大學別儀も有之間敷體之由左様に可有之候 雅楽殿ひいきにて候間神明三寶もよけて通可申候
谷大學身上可有御覧事
一、渡勘兵衛事少能様子有之由被召出か帰参此両條之内帰参に成候へは笑止と存候
一、御出頭衣之怖はやとくよりのことにて巳之刻之かヽやきはや申之下刻目出度頓而御口切たヽ一人御慰
候由尤存候たヽ一疊の上に風爐御すへ御采女土杢にも無御見せ御一人御樂之山無餘儀候 當暮か
来正月早々可罷下間私も池を掘り島をつき其中に堂をたて其中を半疊餘團一人之茶給所可仕と命を
あらまし申候恐々謹言
五月六日 三齋
桑左様
御返報