津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

間違いですから・・・・・・・・・

2011-09-23 12:14:54 | 熊本

 先に「高麗門」の遺構が発見されたことをご報告した。
意外と情報が少ない上に、熊本県の下記情報に於いて所在の場所が間違っていることに気づいた。

         http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/ruinkourai.html ・・・・・これ間違い。

 月曜日に熊本県文化課に連絡する手間が増えてしまった。

正確な位置はこちらからどうぞ・・・
         http://yumeko2.otemo-yan.net/e351055.html 「地図」をクリックして下さい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 城下町図を眺めていると、この高麗門の前は勢屯になっている。
そして時代が替わっても、目の前に大身の屋敷が位置付けられている。
     ・志方半右衛門  (高麗門・塩屋町之図63)  御弓廿張(頭)千石(寛文四年六月・御侍帳)
     ・中根治兵衛            ( 同 64)  御物奉行・千石 (御侍帳・元禄五年比カ)
     ・柏原弥七郎            ( 同 65)  六百石 大組付
     ・柏原弥七左衛門         ( 同 66)  御鉄炮三十挺頭 五百石

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寺山修司の俳句入門

2011-09-22 21:04:03 | 書籍・読書
   寺山修司の俳句入門 (光文社文庫)

          光文社

 2006年9月が初版というから、寺山修司没(1987)後の発刊である。
データベースを読むと次のようにある。
「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹―寺山修司の出発点は俳句である。高校時代より、後の広汎な表現活動の萌芽を感じさせる完成度の高い作品を作った。本書は、単行本初収録作品を含む寺山の俳句についての「文章」「発言」を網羅したはじめての画期的な試みである。寺山ファン、俳句愛好者のみならず、これから俳句をはじめようとしている方にも絶好のもの。」

正直なところ寺山の作品は読んだことはないが、なんとなく魅力的な人である。読書の秋の一冊にしたいと思う。

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京都の秋

2011-09-21 23:04:08 | 展覧会

<特別展覧会>

細川家の至宝
─珠玉の永青文庫コレクション─

H23.10.8(土)~11.23(水・祝)

 

肥後松井家の名品-武家と能-
            於:京都相国寺承天閣美術館
            時:平成23年10月1日~12月4日

 
肥後松井家の名品-武家と茶-
            於:京都茶道資料館
            時:平成23年10月1日~12月4日

 

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武将幽齋と信長--細川家古文書から

2011-09-21 16:25:06 | 書籍・読書

武将・幽斎と信長―細川家古文書から

 ご紹介したつもりでいたが、どうやら勘違いをしていたようだ。地元の熊本日日新聞に掲載されたものが書籍化された。同社発行(2011/07) 定価1,260円

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夏・・・そして秋

2011-09-20 22:50:06 | 俳句

      打ち水や刹那 赤橙黄緑青藍紫

      阿形吽形 ま中は秋の風の道

      鬼百合や 訪ねる村の起伏かな

     

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遅れ馳せながら・・高麗門

2011-09-19 10:54:48 | 新聞

 今朝ほどある方と電話で話していたら新町の高麗門の話になった。
八月の末その遺構と思われるものが発掘されたと報じられた。
すっかりご紹介するのを忘れていたが、遅ればせながら熊本日日新聞の記事をご紹介しておく。

      http://kumanichi.com/news/local/main/20110831003.shtml

 熊本城下への出入りを見張る重要な門の一つとされるが、近々現場を拝見したいと思っている。

      

随分以前のものだが、地元新町のブログに往時を偲ぶ高麗門の絵が紹介されている。
      http://shinmachi.otemo-yan.net/e68837.html
「切妻造で・・・」と紹介しながら、入り母屋で描かれていたりしてご愛敬だが、その規模の大きさは見てとれる。2009年には「新三丁目御門」の模型を作られたり、活発な活動をされる新町のみなさんに、敬意を表すると共に「高麗門」の模型も是非御願いしたいものだ願っている。
      http://shinmachi.otemo-yan.net/e150718.html

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細川幽齋の出自について

2011-09-18 21:35:07 | 歴史

http://ci.nii.ac.jp/els/110001049596.pdf?id=ART0001212069&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1316349189&cp=

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藤崎八旛宮例大祭

2011-09-18 18:31:21 | 熊本

                         

今日は藤崎八旛宮の秋の例大祭である。随兵祭ともよばれ勇壮な馬追い祭りとして知られる。68団体の飾り馬が藤崎八旛宮から新町のお旅所まで、朝随兵・夕随兵と称して往復する。
台風の影響もあってお天気が心配されたが、どうやら持ちこたえて良いお祭り日和となった。

 細川家では小倉藩時代から行われていたのか、古い記録に有力家臣が飾り馬を五匹・三匹などと出したことが知られている。また誰某が「随兵頭」を勤めたなどの記録も残っている。

 私も若い頃一二度出たことがあるが、そのたびに昼の休みにビールをたらふく飲んで酔っ払ってしまい、夕随兵は棄権した記憶がある。

 祭が終わると熊本は秋の気配が濃厚になる。

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藤孝事記 古典文庫564

2011-09-17 16:58:30 | 書籍・読書

 「日本の古本屋」から、タイトルの本を注文。

 先にご紹介した「細川幽斎・戦塵の中の学芸」に小川剛生氏の論考「細川幽齋--人と時代」がある。氏の幽齋生母周辺に関するこの論考は、出典を明らかにしてのことだから大変興味深い。

 ・清原宣賢には二人の女子があり、姉が足利義晴女房・智慶院、妹が三淵晴員室である。
 ・幽齋は細川刑部大輔の養子となり、のちに母の縁により晴員夫婦に預けられた。
 ・三淵藤英や宮川尼は「智慶院の妹」の所生である。
 (智慶院は晴員に嫁いだのではなく、妹(養源院)とその夫である晴員に預けた(養子?)ということか・・・・)

 この説の出所が「船橋説」と呼ばれるもので、これがタイトルの本に所載されているというわけである。その内容も「細川幽斎・戦塵の中の学芸」に紹介されており、清原枝賢女で六角義賢室の「寿光院」の証言だとされる。そして枝賢の妻が、幽齋の養父・細川刑部大輔の後家であると言っているのだ。

 山田康宏氏の「細川幽齋の養父について」と合わせて考えると、いままで言い伝えられてきた小野武次郎が綿考輯録に書き記した細川家の出自に関する一連の記事に、赤信号が灯ってしまった。「永源師檀紀年録」なども改めて、読み返さなければ成らない。

 

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細川家家臣-大館(中原)氏

2011-09-16 11:55:00 | 歴史

 「細川家家臣略歴」をみると、「十代相続寸志」の家として「百石・御蔵米三百石」の中原家が見える。その家祖は大館治部大輔晴忠とある。大館(舘=たち)常興日記を書き残した尚氏(常興)の孫である。
       大舘常興日記 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%98%E5%B8%B8%E8%88%88%E6%97%A5%E8%A8%98
       大館尚氏とは http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%A4%A8%E5%B0%9A%E6%B0%8F
       デジタルライブラリー「大舘常興日記」
         第一 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772558
         第二 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772559/1
         第三 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772560
         第四 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772561
         第五 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772562
         裏書 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772563

 尚氏は将軍義晴の側近として名を知られているが、幽齋の実父三淵晴員の姉・佐子局についてこの常興日記で書き記している。その尚氏の孫・晴忠が細川家に仕えているというのも、因縁めいた話ではあるし、また「十代相続寸志」という身分にもちょっと首をかしげている。
これは先祖附を改めて読まなければ成らないと思っている(昨日図書館に行ったのに・・・)

又設楽薫氏の論考「将軍足利義晴の嗣立と大館常興の登場--常興と清光院(佐子局)の関係をめぐって」が、吉川弘文館の「日本歴史 2000-12月(631)p33~50」にあるらしい。
これを何とか手に入れようと思案中である。

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細川幽齋-戦塵の中の学芸

2011-09-16 10:27:03 | 書籍・読書
    細川幽斎―戦塵の中の学芸
 
        笠間書院

 日本歴史学会の『日本歴史』730号(2009年3月号)に、「細川幽斎の養父について」という山田康弘氏の一文が掲載された。「和泉守護家細川元常の養子ではなく、淡路守護家細川晴広の養子だった」という、センセイショナルな内容であった。

 その後間もなく刊行(2010年10月30日)された「細川幽齋-戦塵の中の学芸」において、山田氏は「足利将軍直臣としての細川幽齋」という一文で更なる補強をされている。

 又小川剛生氏の「細川幽齋-人と人生」も、山田康弘氏に足並みを揃える如き論考で、綿考輯録の編者・小野武次郎によって今日まで語られてきた幽齋周辺の人間関係が、大いに揺らぎ始めたことを実感する。

 細川幽齋を語る時、今後はお二人のお説を避けて通ることは出来ないのではないか?
大変興味深いことではある。

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図書館浴

2011-09-15 20:01:48 | 徒然

 本当に久しぶりの図書館行です。数家の先祖附その他の資料をコピー、一般閲覧室に戻り相も替わらず俳句に関する本を借りました。

 図書館に出かけるとエンジンが始動する感じで、いよいよ侍帳の改訂に向けて頑張らなければという気に成ります。「雑撰録」から入江平内に関する記事を発見、これらを反映させようと思っています。

 先月の「史談会」で勉強した「玄猪」についての記事も発見、その由来が記紀に遡ることを確認、久しぶりの図書館浴は実り多いものでした。今後は又、度々訪れることになりそうです。

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「文鎮につば」その後

2011-09-14 19:26:40 | 徒然

 7/28日「文鎮につば」を書いた。その後オークションで「刀の鍔」を手に入れた。まったく飾りっけの無い丸い鉄の塊に穴が穿たれているだけの代物だが、実物を手にするとさすがに「文鎮」にしようという思いは不遜であると思い至った。黒光りする鉄片を毎日両手で撫で回している。

 我が家に一振りの脇差と切腹用の小刀が残されている。いずれもまったく手入れをしていない。祖父も父も昭和19年に共に亡くなったから、仮にその時期に手入れをしたとしても70年近い歳月が経過していることに成る。過日本当に久しぶりに脇差を取り出して眺めてみた。刀身には錆が出ているし、根来塗りを思わせる鞘も乾燥しきって一部ひびが入っている。ちょっと驚いたのは、柄巻の下に九曜の紋(陰紋)が裏表に二つずつはめ込まれていたことだ。
 細川家の九曜紋は、信長の小柄に施されていたものを忠興公が気に入り、許しを得て家紋としたと伝えられる。我が家の脇差にそれを見るとは思わなかった。広く使われていたのであろうか。
刀の銘を見たいのだが一本の目釘が外れない。柄巻を壊してまでやる勇気はないし・・・いずれにしても一度専門家のお手を煩わさなければ成らない。
柄巻の仕事などどのようにするのか興味があってぐぐってみたら、文部科学省に「日本刀の職人たち」という動画サイトがあった。
    VOL1 刀鍛冶
    VOL2 日本刀の研磨
    VOL3 白銀師
    VOL4 鞘師
    VOL5 装師
    VOL6 柄巻師
    VOL7 装剣金工
これが中々面白い。このような人たちの手に依り一振りの刀が完成するのだ。

午後の数時間をこれを拝見して過ごした。

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立待月

2011-09-14 09:31:24 | 俳句

 今年は運が良かったのか、中秋の名月、十六夜の月と連日群雲の邪魔も無く見事なお月様を鑑賞することが出来た。そして今日は旧暦十七日で立待月である。
九月の月は毎日のようにその名を替える。「十五夜以後、月の出はしだいに遅くなり、十六夜(いざよい)の月は山の端にいざよい、十七夜は立ち待つほどに出」から立待月というのだそうだが、「十八夜(居待月・いまちづき)は座し居て待ち、十九夜(臥待月・ふしまちづき)は臥して待ち、二十日(更待月・ふけまちづき)には夜半近くと遅くなる。」 なんと風雅なことではないか。

 明治三十五年の九月十九日、子規は三十五年の生涯を閉じた。高浜虚子の送別の句 

             子規逝くや十七日の月明に 

は、その日が陰暦八月十七日のことであったことによる。まさに立待月のその日である。
旧暦で考えると今日子規の命日である。
熊本は今日も暑い一日になりそうだが、綺麗な「立待月」に会えることだろう。
早々にPCを閉じて、句集に親しむことにしよう。

 

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秋の美術館情報

2011-09-13 11:43:31 | 熊本

 財団法人・島田美術館では、9月7日から12月25日の間「三齋細川忠興の遺産-其の弐」展が開催されています。
      http://www.shimada-museum.net/event.html

 

 一方、熊本県立美術館「細川コレクション・永青文庫展示室」では、「細川家の絵師たち-江戸絵画の精華」が、後期展示に入っています。9月25日迄の予定です。

      http://www.museum.pref.kumamoto.jp/event/kikaku/20110708-0925_hosokawakeeshi/index.html

 その他の予定は以下の如くです。

      2011年9月23日(金)~11月6日(日)
      『印象派の誕生』

      2011年9月16日(金)~11月6日(日)
     『今西コレクション名品展』

      2011年10月4日(火)~12月18日(日)
     『参勤交代-大名たちの大移動-』

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