小森陽一『思考のフロンティア ポストコロニアル』(岩波書店、2001年)が期待以上に刺激的だった。期待以上というのは、ポストコロニアル問題を巡る諸キーワードを中心にした概説のようなものかとおもい気楽に読んだが、そのようなものではなかったということだ。著者の小森氏については、先日聴いた、「沖縄戦首都圏の会」での講演が、言語に依って立つ者としてことばを重視したものだったことから、ぜひ著作を読んでみようとおもっていた。
著者は、19世紀より、英米という大きな力に晒されて病んでしまった日本の姿を検証する。列強の価値観や論理による自己植民地化、そしてその列強と対等でありたいとねがう精神が、自己植民地化の隠蔽と、他の被支配国を見出すことによる帝国主義的植民地主義の発現の形となったというわけである。被支配の恐怖から支配のポジションを中二階に見出すあり方、ミクロにみれば「いじめ」の構造と変わるところはない。(個人の精神と集団の精神とをパラレルに見比べる方法は、岸田秀の精神分析論を想起させる。)
そして、敗戦後、それまでの自らの姿を見ないよう、責任の取り方も精神形成も曖昧なままであり続けていることを、著者はひとつひとつ告発する。朝鮮半島や沖縄や東南アジア諸国などにおける脱植民地化に積極的にかかわることなく、逆に、沖縄での再植民地化(米国の軍事要塞として)、アジア諸国の新植民地化(経済的進出を通じて)などがなされてきたとする。
「「國體」としての天皇制の存続と、戦争放棄と軍事力の放棄をめぐる新憲法の条項、そして「沖縄の要塞化」は、密接不可分な三点セットとして機能した。古関(彰一)によれば「憲法第九条は、国際社会、なかでも日本の侵略戦争の被害国に対し、天皇制を存続させるための説得条件として必要なものであり、その条件を明確にするには、戦力不保持を憲法に盛り込むことであり、これによって失われる軍事上の保証は沖縄の要塞化であるというマッカーサーの政治的・軍事的判断によって憲法上の規定となったのである」」
さらには、過剰なほどの対米追従や教育の場への介入が、そのような自分たちの歴史と無縁ではないことが示される。いかに明白なものであっても、幾度となく繰り返されるプロセスは、これらが日本社会の無意識エリアに巣食っていることをあらわすものであり、そうしてみれば、現在の諸相はすべて過去とつながっているのである。実際に、1946年に文部省(当時)が発行した歴史教科書『くにのあゆみ』に関する記述をみれば、現在の沖縄戦記述における主語や論理の喪失と重なって見えてくる。
「井上(清)は、『くにのあゆみ』が「日清戦役の原因となったとする壬午軍乱と甲申事変について、「明治十五年(西暦一八八二年)朝鮮の京城で、とつぜんさわぎがおこり、引きつづいて十七年にまたおこりました」と記述していることに対し、「これらが戦争の原因となると書くが、さわぎは誰がおこしたか、朝鮮のことで日本と清国がたたかうとは何のことか、戦争の原因をあきらかにせず、したがってその結果の意味もわからない」と批判し、「韓国併合」にいたる記述に対しても、日本の敗戦時に「朝鮮人民」が「日本から解放されたことをよろこんでいるという事実をどうみるか」という問題をつきつけたのである。」