Sightsong

自縄自縛日記

ニキータ・ミハルコフ版『12人の怒れる男』

2008-08-26 23:59:49 | 北アジア・中央アジア

『黒い瞳』では憎めないマルチェロ・マストロヤンニを演出したのが印象深いニキータ・ミハルコフによって、シドニー・ルメット『12人の怒れる男』がリメイクされた。面白そうだというので、面白い中東集団で観に行った。

舞台はロシア。裁かれる少年はチェチェン人。オリジナルを換骨奪胎しながらも、ロシアやチェチェンにおける大きな矛盾をどんどんと提示してくる。2時間40分の長い映画だが、まったく飽きることがなかった。もっともルメット版も緊迫した展開の良い映画なのだが、これを観たあとでは、いまに至るまで幾度となく作られる「アメリカ正義物」の元祖として深みのないものにさえおもえてくる。(というより、米国社会の無意識が、自らの正義をあえて自らに証明し続けなければならないほどの強迫観念を呼び起こし続ける病根は何か、というところだ。) ルメット版では、長い審議を終えて「真実に到達した」ことのカタルシスが得られるわけだが、本作はそれでは終らない。

それにしても、陪審員12人の個性がきわだっている。どこまで真面目なのかわからない滑稽さもある。何といっても、「カフカス出身」の医者が、被告に不利な証言が不自然であることを言わんとして、ナイフを持って踊るシーンなどはもう一度観たいとおもう。

その医者が、少年の属性(チェチェン、貧困)に起因する偏見から自由になれない陪審員の発言に対し、「それではカフカス出身だからといって、○○も、セルゲイ・パラジャーノフも、ニコ・ピロスマニも、能無しだったというのか!」と怒ってみせる台詞がある。その○○というのがわからなかったのだが、映画のサイトを見たら書いてあった。ショタ・ルスタヴェリという12世紀の詩人のようだ。

ルスタヴェリや、生活に根差した絵を描いたピロスマニはともかく、芸術至上主義のようなパラジャーノフは、グルジアで自国の誇りのように考えられているのかどうか、誰かに教えてほしいところだ。というのも、以前ウクライナ人にパラジャーノフの話をしたら、あんたは上流社会だねと随分笑われてしまったことがあるからだ。

●参考 フィローノフ、マレーヴィチ、ピロスマニ 『青春のロシア・アヴァンギャルド』