編集者Sさん(>> リンク)たちによる渾身の詩集、『原爆詩集 八月』(合同出版、2008年)。吉永小百合が推薦文を寄せていて、また、ずっと続けている朗読で聴いたことがある詩もおさめられている(栗原貞子「生ましめん哉」など)。
同じ「感動」するなら、このような悲惨極まる題材ではないほうがいい、と避けるひともいるだろう。しかしそれは間違いだ。悲惨極まる題材は、詩を詠んだ多くのひとたちにとって、選ばざるをえないすべてのものだった。すべてのものであるから、すべての感情と記憶を動員して、ことばにしている。ここでは、ことばはひとであり、ひとはことばである、ということが、全くレトリックでない。
だから、そのうち子どもに対しても、悲惨でショックを与えるはずのものだから読ませない、ではなく、感情の振れ幅をあたえるためにも読ませたいとおもう。
原爆の被害のなかで、子どもたちが亡くなったり、亡くなった母親を探したり、ままごとをしたりしている様子がそれぞれの詩で描きだされている。弱い者への憐憫というより、無差別虐殺という理不尽さが、子どもという存在を見たときに際立ってくるのではないか。
広島の原爆慰霊碑には「あやまちはくりかえしませんから」という文字がある。名越操「焼かれた眼」にはこうある。
「(略) 私の子どもまで/焼いてしまったのです/それなのに/私たちの/あやまちというのでしょうか/原爆は/アメリカが落したのです (略)」
碑のことばは結果的に問題を曖昧なままにし、そしてすべてが黙祷で浄化される面があるのだとおもう。黙祷はほんらい、亡くなったひとたちと想像力によって同一化をはかるプロセスのはずだ。そして祈るなら、現代の戦争被害者にもオーバーラップしていかなければならない。曖昧な抽象化は、いまの米国への軍事協力という真っ向から矛盾することを覆い隠しているわけだ。
Sさんのご家族が詩集におさめられた何編かを朗読し、Youtubeにアップしている(>> リンク)。新聞では、『毎日新聞』(>> リンク)が取り上げて紹介している。
ところで、伊東壮『新版1945年8月6日』(岩波ジュニア新書、1989年)は、原爆の開発・利用の経緯からチェルノブイリまでを、極めて的確に記述している。丸木位里が挿画を描いている。大人も意外によく知らなかったりするので、あわせて推薦したい。
●参考
○青木亮『二重被爆』、東松照明『長崎曼荼羅』
○『はだしのゲン』を見比べる
○『ヒロシマナガサキ』 タカを括らないために
○吉田敏浩氏の著作 『反空爆の思想』『民間人も「戦地」へ』
○戦争被害と相容れない国際政治
○土田ヒロミのニッポン(※『原爆詩集 八月』に、土田ヒロミの写真が多数ある)