Sightsong

自縄自縛日記

エルヴィン・ジョーンズ(1)

2008-08-28 23:59:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

名ドラマー、エルヴィン・ジョーンズが亡くなってから4年。当然新録音は出ないわけで、エルヴィンが話題になることも少なくなっている。昔のジャズ世代にとっては「コルトレーンのサイドマン」という面が大きいのだろうし、中上健次も『19歳のジェイコブ』でエルヴィンの音をそのような風景として扱っていた記憶がある。しかし、リーダー作も悪くないのだ(暑苦しいのも多いけど・・・)。

エルヴィン・ジョーンズは、晩年には、毎年のように新宿ピットインで演奏していたから、何度となく聴きに行った。はじめて目の当りにしたとき、最初の一音で目が覚めた感動をよく覚えている。楽しそうに唸りながら全身をゆっくりと動かしつつ、スティックは斧のようであり鞭のようだった。最後にエルヴィンを見たのは、たしかブルーノート東京にトミー・フラナガンとジョニー・グリフィンとの共演を聴きに行ったときだ。トミフラはエルヴィンのもっとも評価するピアニストのひとりだったが、エルヴィンはそこに聴きにきていたのだった。もうトミフラも、グリフィンも、エルヴィンも、鬼籍に入ってしまった。

もっとも聴かれているとおもわれるエルヴィンのアルバムは、リチャード・デイヴィスとの『ヘヴィ・サウンズ』(Impulse、1968年)だろう。ついこの間、歌舞伎町の「ナルシス」に寄ったらターンテーブルに載っていたので、また聴こうという気になった。最初に聴いたときは、フランク・フォスターの愚直ともおもえるサックスが好きになれなかったが、そんな偏狭な考えを捨てると、ベースとドラムスの重すぎる対決(魁皇、対、誰だろう)が快感だ。エルヴィンが珍しくギターを弾いた「Elvin's Guitar Blues」もリラックスしていて良い。

菊地雅章との『ホロー・アウト』(Philips、1972年)は、逆に重量がなくなる。張りつめた空気のなかで、先鋭な菊地がエルヴィンに煽られることなく絡み合っている感がある。ジーン・パーラのベースがスタイリッシュなのも気にいっている。ちょっと「銀界」は緊張感がありすぎて眠くなるのだが、フリーでの対決が素晴らしい「Apple」や、菊地の定番「Little Abi」なんかは何度聴いても格好良い。なんでも、録音の翌日に、リー・モーガンが射殺されたということだ。そのリー・モーガンが録音したばかりのルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで、これも録音されている。