青木亮『二重被爆』(2005年)を観た。タイトルの意味するところは、広島と長崎のふたつの地で被爆してしまったことだ。不運という言葉だけでは語ることができない受苦の存在だが、実際に何人もおられるようだ。
映画に登場する山口彊さんは、三菱重工長崎から広島に出張中、同僚と被爆し、すぐに戻った長崎でも被爆している。長崎で原爆の光を見た途端に海に飛び込んで助かった、と映画でも語っているその同僚は、今年春、亡くなっておられる。(『毎日新聞』2008年4月30日、>>リンク)
いまだ原爆症認定基準の拡大もあり被爆の問題は風化しえないとおもうが、この「二重被爆」についても、補償などの考慮がなされていないことが、映画で示される。現在、「被爆者援護法」に基づく「被爆者健康手帳」には、第1号(直接被爆者)、第2号(入市被爆者:爆心地の近くに入った者)、第3号(救護等で被爆)とカテゴライズされている。そして、この分類においては、「二重被爆者」は正当に位置づけられないことを、故・伊藤一長・前長崎市長(2007年に銃撃され亡くなる)が、映画でも語っている。
山口彊さんは、歌集『人間筏』を自ら出している。筏とは、川に浮かんだひとびとの姿だ。そのなかの短歌をいくつか詠みながら、気持ちがこみ上げて続けられない姿がある。山口さんは、今年も、長崎に原爆が投下された8月9日の報道においても、経験を語り継ぐことを述べている。
「うち重なり 灼けて死にたる人間の 脂滲みたる土は乾かず」
ところで、東松照明『長崎曼荼羅』(長崎新聞選書、2005年)は、後で視る者としてのまなざしを、写真と文章に結実させている。
「廃墟の究極に原子野がある。究極兵器と呼ばれている原爆によって破壊された都市や人間の変質した姿である。いうまでもなく広島・長崎の廃墟のことである。原子野は、二〇世紀中葉にはじめて登場した全く新しいタイプの廃墟である。それは、核時代を生きるものの誰もが怖れている世界の終焉を先取りした光景の一端である。
私は、いまでも長崎を撮りつづけている。」