北井一夫『境川の人々』のオリジナルプリントが観られるというので、浦安フラワー通りの「ギャラリーどんぐりころころ」まで足を運んだ。近所なので、ベビーカーを押しながらゆるりと出かけたといったところだ。もちろんここは、境川のすぐ近くだ。
このオリジナルプリントを観るのははじめてである。写真集の表紙にもなっている橋の写真や、家の中のおばあさんと小さい娘の光が滲んだ写真など、好きな作品を間近でじろじろ鑑賞できて、やはり感激する。
右頁の写真も展示されていた
北井一夫、秋山武雄、大西みつぐ(蕎麦屋の中の展示なので観なかった)など錚々たる写真家たちによる浦安の写真が、「浦安写真横丁2008」というイベントで展示されたのだ。ついでに、旧大塚家という文化財住宅で展示されていた、秋山武雄作品を覗いた。もの干し竿、貝売り、海苔の天日干しなんかが見事に記録されている。なかでも、七五三なのか、着飾った女の子たちが並んだ背後に、いまもあるボウリング場「サンボウル」の印である大きなピンが見えるのが、新旧混じっていて面白い。写真家の秋山さん本人に「いいカメラですね」と話しかけられて(私はライカM4を下げていた)、秋山さんのカメラを見ると、それはライカM7にワインダーを付けたものだった。
別の文化財住宅である旧宇田川家で行われたトークショーも聴いた。蝉の声が聞こえる旧家だ。
北井さんの穏やかで飄々とした話し振りはいつもの通りだ。『境川の人々』は、浦安町(当時)の依頼により製作されたものだが、これを持って船橋市に『フナバシストーリー』製作を持ちかけたという裏話を聞くことができた。また、『境川の人々』が町民に無料配布された当時、新たな住民がこれを持って古い街並みを散歩する光景がよくみられたということだ。これは、DVD写真集『北井一夫全集2』でも聞かれる。
秋山さんが語る浦安は、被写体としての魅力を持った地域であったということだった。家業を続けることの条件として写真を続けていた十代のころ、早朝に、浅草から浦安まで自転車で片道2時間をかけて毎日通っていたという。自転車は家業にも使うので、さっさと帰らなければならない若き日の秋山さんにとって、撮影の持ち時間は10分だったらしい(笑)。秋山さんによると、当時、都電が葛西橋まで続いていて、そこから先はもの凄いでこぼこ道とハス畑、今とは隔世の感がある。私も、よく深夜帰宅の際に、古くからのタクシー運転手さんに教えてもらった話ではあるが。
ところで、トークショーの間、縁側の向こうの塀から顔を出して話を聴いたり、ペンタックス67で撮影していた外国人がいた。トークショーが終って家族と合流すべく歩いていた私に「あっライカM4!ケースはルイジ?」などと声をかけてきたそのひとは、ジョン・サイパルさんという高校の英語教師だった(>> リンク)。別の場所で、サイパルさんも67で撮ったモノクロプリント(バライタ紙)を飾っていた。視線がいい意味で発散していて好感を持った。
私が写真にウツツを抜かしている間、息子は、浦安市郷土博物館で、昔の貝の掘り方などについて教えてもらっていた。それもあって、東京湾のあさりを買って帰り、夕食は海老とあさりのフォーにした。