Sightsong

自縄自縛日記

ストーレ・リアヴィーク・ソルベルグ『True Colours』

2018-05-15 19:01:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

ストーレ・リアヴィーク・ソルベルグ『True Colours』(2017年)を聴く。

Ståle Liavik Solberg (ds, perc)

ドラムス・パーカッションによるソロ集。

ジョン・ブッチャーやメテ・ラスムセンとの共演が面白かったソルベルグだが、ソロも面白い。かれは音の効果を削り絞って尖った周波数の山を創ることはしていない。それよりも、叩くものも叩かれるものも敢えて柔らかく設定し、叩いた後のそれらのマテリアル内における響きと、場における響きをいちいち試しているように聴こえる。響きの試行は自分自身にフィードバックされているようであり、向かう姿勢もまた柔軟。

●ストーレ・リアヴィーク・ソルベルグ
ジョン・ブッチャー+ストーレ・リアヴィーク・ソルベルグ『So Beautiful, It Starts to Rain』
(2015年)
シルヴァ+ラスムセン+ソルベルグ『Free Electric Band』(2014年)
2016年の「このCD・このライヴ/コンサート」


望月雅彦『ボルネオ・サラワク王国の沖縄移民』

2018-05-15 16:53:16 | 沖縄

望月雅彦『ボルネオ・サラワク王国の沖縄移民』(ひるぎ社おきなわ文庫、1994年)を読む。

現在のボルネオ島北部、マレーシアのサラワク州とブルネイの位置に、サラワク王国があった(1841-1946年)。もとは英国の後ろ盾で出来た国であり、東インド会社を通じた東方への版図拡大の文脈でとらえられる。1941年には日本が軍事支配し、その後敗戦とともに英国の直接支配下に入ることによって、国として消滅することとなった。

ここに、1932年以降、沖縄県の旧伊平屋村を中心とした移民団が入植した。それは、鈴木商店(現在の双日等の源流)やその下の日沙商会による南方事業の一環であった。また、沖縄だけでなく、その後北海道からも入植したという。

本書にまとめられたところによれば、もともと、コメの生産を行う予定だった。ところが、いい農地は既になく、採算性ではゴムに及ばず、結局はコメだけではうまくいかなかった。入植者たちは大豆やタピオカや落花生なども作り、なんとか生計を立てた。もとより募集において、入植者に期待されたコメの生産の経験は乏しかった。また一部は日本に戻り、それを埋め合わせるために呼んだ北海道民についても、開拓の経験をあてにするといういい加減なものだった。国策としても、事業としても、評価できないものであったと読める。

一方、伊平屋の人々が募集に応じたのはなぜか。本書では分析はなされていないが、聞き書きに、「そうでなければ糸満にやらされてつらい漁業をやらなければならないから」とあった。沖縄の中でそのような構造的な困窮があった。

ところで、日本の「南進」にあたっては、糸満漁民の蘭印(インドネシア)への進出も関係していた。東恩納寛惇は、大東亜共栄圏構想を沖縄県が「孤島の宿命」を打ち破り「新沖縄が生きる道」として歓迎してもいたのだった。(後藤乾一『近代日本と東南アジア』

そのように、沖縄全体の困窮、沖縄の中での困窮の違い、日本によるアジア侵略・南進と棄民政策、といった目線から、沖縄移民の歴史はとらえなおされるべきだろう。 

●沖縄移民
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
上野英信『眉屋私記』(中南米)
『上野英信展 闇の声をきざむ』(中南米)
高野秀行『移民の宴』(ブラジル)
松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』(台湾)
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(日系移民)
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー

●ひるぎ社おきなわ文庫
郭承敏『秋霜五〇年―台湾・東京・北京・沖縄―』
加治順人『沖縄の神社』
金城功『ケービンの跡を歩く』保坂廣志『戦争動員とジャーナリズム』
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』


マリア・グランド『Magdalena』

2018-05-15 09:06:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

マリア・グランド『Magdalena』(Biophilia Records、2018年)を聴く。

María Grand (ts, vo)
Jasmine Wilson (spoken word)
Amani Fela (spoken word)
Mary Halvorson (g)
David Bryant (p)
Fabian Almazan (p)
Rashaan Carter (b)
Jeremy Dutton (ds)

前作の『Tetrawind』と同様に、マリア・グランドのテナーは沈静し、落ち着いており、いわば艶消しである。その音色で(にもかかわらず)、特に「TI」から「TIII」までの3曲において、M-BASE直系のフレーズを水平垂直に広く繰り出してくる。このときのラサーン・カーターもまたM-BASE的なファンクであり、艶消しのサックスでのM-BASEトリオは聴いていけば快感になってくる。冷静にM-BASEの自分たちの世界を見せればいいのだと開き直っているような印象もある。

おもに後半での聴き所のひとつはデイヴィッド・ブライアントのピアノであって、華美に和音を使うでもなく、ここぞとばかりに不穏で傾いたフレーズを突きさしてくる。この人は、ルイ・ヘイズ、エイブラハム・バートン、ジョシュ・エヴァンスなどNYの「どジャズ」でも活き活きしているし(今度また来日してレイモンド・マクモーリンと共演する)、一方、ピーター・エヴァンス、ヘンリー・スレッギル、そしてこのM-BASEなど尖った方でもまた個性を発揮している。以前は「どジャズ」だけの人だと思っていたこともあり、次々に予想を裏切られ続けている。わたしとしては今後さらに大注目なのだ。

ピアノはもうひとり、ファビアン・アルマザンが参加している。2曲目の「Imani/Walk By」における煌びやかなフレーズか、これも愉しい。

それにしても、マリアのヴォイスが彼女のテナーと似たような味わいをもっていることが面白い。囁くようで、ちょっと神秘的でもクールでもあったりする。2曲でメアリー・ハルヴァーソンと共演しているのだが、そのときにはさらに世界に靄がかかって足場がぐらぐらする。

●マリア・グランド
マリア・グランド『Tetrawind』(2016年)
スティーヴ・コールマン『Morphogenesis』(2016年)