Sightsong

自縄自縛日記

シカゴ/ロンドン・アンダーグラウンド『A Night Walking Through Mirrors』

2018-05-20 18:16:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

シカゴ/ロンドン・アンダーグラウンド『A Night Walking Through Mirrors』(Cuneiform Records、2016年)を聴く。

Chicago / London Underground:
Rob Mazurek (cor, sampler, electronics, voice)
Chad Taylor (ds, mbira, electronics)
Alexander Hawkins (p)
John Edwards (b)

シカゴ・アンダーグラウンド・デュオのふたり(ロブ・マズレク、チャド・テイラー)に、UKのふたりが加わった形。

この相乗効果がすばらしい。シカゴのふたりであればもう少しシンプルな到達点が見出されたであろう。これに、冗談のように粘っこく強いジョン・エドワーズの弦と、燃えるようなエネルギーを放出するアレキサンダー・ホーキンスが重なることによって、絶えず分厚くあり続けるサウンドが創出されている。タイプは異なるが、ジャコ・パストリアスの傑作『Word of Mouth』の有機的な分厚さを思い出す。

●チャド・テイラー
ジェームス・ブランドン・ルイス+チャド・テイラー『Radiant Imprints』(JazzTokyo)(-2018年)
ジェイミー・ブランチ『Fly or Die』(-2017年)
ヨニ・クレッツマー『Five』、+アジェミアン+シェイ『Until Your Throat Is Dry』(JazzTokyo)(2015、16年)
エリック・レヴィス『In Memory of Things Yet Seen』(2014年)
ジョシュア・エイブラムス『Represencing』、『Natural Information』(2008-13年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
マーク・リボーとジョルジォ・ガスリーニのアルバート・アイラー集(1990、2004年)
Sticks and Stonesの2枚、マタナ・ロバーツ『Live in London』(2002、03、11年)

●アレキサンダー・ホーキンス
ザ・コンバージェンス・カルテット『Slow and Steady』(2011年)

●ジョン・エドワーズ
ユリエ・ケア3、リーマ@スーパーデラックス(2017年)
ジョン・ブッチャー+ジョン・エドワーズ+マーク・サンダース『Last Dream of the Morning』(2016年)
エヴァン・パーカー+ジョン・エドワーズ+クリス・コルサーノ『The Hurrah』
(2014年)
三上寛+ジョン・エドワーズ+アレックス・ニールソン『Live at Cafe Oto』(2013年)
ジョン・エドワーズ+オッキュン・リー『White Cable Black Wires』(2011年)
ロル・コクスヒル+ジョン・エドワーズ+スティーヴ・ノブル『The Early Years』(2004年)
パウル・ローフェンス+パウル・フブヴェーバー+ジョン・エドワーズ『PAPAJO』(2002年)


『南京事件 II』

2018-05-20 10:13:49 | 中国・台湾

「NNNドキュメント'18」枠で放送された『南京事件 II』(2018/5/20再放送)を観る。『南京事件 兵士たちの遺言』(2015/10/4)の続編である。

前回から、清水潔ディレクターらのもと、さらに取材が進められてきたことがよくわかる。もちろんそれは歴史研究の積み重ねという観点では当然の結果ともいうことができる。

●敗戦直後から、陸軍は連合軍からの戦争犯罪の追及をおそれ、内部資料を焼却した。市ヶ谷では3日間煙が立ちのぼり続けたという。しかし戦後になって、その燃え残りが発見された。やはり、南京攻略の資料が燃やされた中にあったことが裏付けられた。
●となると、一次資料として、前回で紹介された陸軍の歩兵第65連隊の従軍日誌がさらに重要視される。その分析が、前回から進められている。
●すでに非武装・非抵抗の住民を殺すことは国際法で禁止されていた。だが、日本軍は住民を集め、機関銃や銃剣で虐殺した。
●これに対し、実は武装していたのだという反論があった。しかし、それはあり得なかったことが、従軍日誌からわかった。
●また、いちどは川に逃がしたが向こう岸からの銃撃に驚いた住民たちが戻ってきて反乱を起こし、それに対し自衛するために殺したのだという反論もあった。しかし、この歴史修正主義的な言説にはルーツがあった。すなわち、南京事件否定の本はだいたいは60-70年代に出てきた本(鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』、1973年など)を根拠としており、それらの本は1960年代に65連隊長であった両角業作氏が福島の地元紙に寄せたインタビューを原典としていた。しかし、両角氏は虐殺現場には立ち会っておらず、後付けで自身の免罪のために話したものであった。

なるほど、怪しげなネタをもとにした歴史修正主義は、地道な一次資料で潰していかねばならないということである。素晴らしいドキュメンタリーだった。

●南京事件
清水潔『「南京事件」を調査せよ』
『南京事件 兵士たちの遺言』(2015年)
『従軍作家たちの戦争』、笠原十九司『南京事件論争史』
陸川『南京!南京!』
盧溝橋(「中国人民抗日戦争記念館」に展示がある)
テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない』(歴史修正主義)
高橋哲哉『記憶のエチカ』(歴史修正主義)

●NNNドキュメント
『南京事件 兵士たちの遺言』(2015年)
『ガマフヤー 遺骨を家族に 沖縄戦を掘る』(2015年)
『9条を抱きしめて ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』(2015年)
『“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー』(2015年)
『100歳、叫ぶ 元従軍記者の戦争反対』(2015年)
『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(2014年)
大島渚『忘れられた皇軍』(2014年)
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』、『基地の町に生きて』(2008、11年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『風の民、練塀の街』(2010年)
『証言 集団自決』(2008年)
『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』(1979、80年)
『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1971、79年)
『沖縄の十八歳』、『一幕一場・沖縄人類館』、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』 (1966、78、1983年)


金城功『近代沖縄の糖業』

2018-05-20 09:04:38 | 沖縄

金城功『近代沖縄の糖業』(ひるぎ社おきなわ文庫、1988年)を読む。

沖縄における砂糖(伝統的には黒糖が中心)の歴史をまとめた本である。名嘉正八郎『沖縄・奄美の文献から観た黒砂糖の歴史』よりも体系的・分析的に記述されている。

古くは15世紀の三山統一の頃には砂糖が生産されていたらしい。もとは中国の技術である。その後、1609年の島津による侵略を経て、17世紀には、琉球王国は多額の借金を島津に負わされた。その返済のためにはじめられたのが、砂糖の専売である。平たく言えば経済的な支配のはじまりである。

江戸末期からは「前代」という農民への借金制度が導入され、明治期に本格化した。甘蔗(さとうきび、なお甘藷はサツマイモ)の農民には生産や資本のためのオカネが足りない、そのために借りるのはいいとしても、容易に想像できるように、それは生産した砂糖を安く買い叩かれることとセットであり、農民はたいへんな困窮へと追いやられることとなった。また明治期には砂糖消費税も課せられ、それは卸売価格や消費者価格へは上乗せされる結果にはならず(いまの感覚では当然だが)、やはり、農民の生産原価を圧迫した。

一方、1895年から領有した台湾においても甘蔗と砂糖の生産が本格的に進められた。台湾では構造的にうまく砂糖生産地としての形を作ることができたにも関わらず、同じく植民地支配を行った沖縄では、さほどうまくいかなかった。より消費者に求められるようになった砂糖は黒糖ではなく精製する分蜜糖であったが、その転換もできなかった。明治になって大きな期待とともに八重山でも糖業が開始されたが、やはり結果は思わしくなかった。

本書からは、その根本的な原因が、糖業をモノカルチャー化してしまい、また農民を抑圧するだけでは産業として健全に育成することは難しかったところにあったのだということがよくわかる。

沖縄といえば黒糖だ、といういまのローカルフード的な目線を外してみるための良書。

●沖縄の糖業
名嘉正八郎『沖縄・奄美の文献から観た黒砂糖の歴史』

●ひるぎ社おきなわ文庫
郭承敏『秋霜五〇年―台湾・東京・北京・沖縄―』
加治順人『沖縄の神社』
金城功『ケービンの跡を歩く』
保坂廣志『戦争動員とジャーナリズム』
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』
望月雅彦『ボルネオ・サラワク王国の沖縄移民』


アンテローパー『Kudu』

2018-05-20 08:22:10 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンテローパー『Kudu』(International Anthem、2017年)を聴く。

Anteloper:
Jaimie Branch (tp, synth)
Jason Nazary (ds, synth)

このアンテローパー(Anteloper)は、ジェイミー・ブランチとジェイソン・ナザリーとのデュオユニットである。どうやら共演は2002年から積み重ねてきたようなのだけれど、今回の新機軸は、トランペットとドラムスとのデュオというだけでなく、お互いにシンセも弾いて新たなサウンドを志向したところにある。

聴いてみると、なるほどご本人たち曰くの「electric brain child」という言葉がハマる。キーボードの存在で、カラフルになり、ダンサブルでもあり、かなりうきうきする。そしてやはり、ジェイミーのトランペットが本当に好きである。パワフルだからこそ、音量だけでなく振幅がとても大きく、そして何よりも色気がある。

それにしても、「International Anthem」レーベルによるシカゴからの新たな波は最近刺激的だ。

●ジェイミー・ブランチ
マタナ・ロバーツ「breathe...」@Roulette(2017年)
ジェイミー・ブランチ『Fly or Die』(-2017年)

「JazzTokyo」のNY特集(2017/9/1)

●ジェイソン・ナザリー
クリス・ピッツィオコス『One Eye with a Microscope Attached』(2016年)