Sightsong

自縄自縛日記

デイヴィッド・マレイ『The London Concert』

2018-05-14 19:46:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

デイヴィッド・マレイ『The London Concert』(Cadillac Records、1978年)を聴く。

David Murray (ts)
Lawrence 'Butch' Morris (cor)
Curtis Clark (p)
Brian Smith (b)
Clifford Jarvis (ds)

20代前半のマレイ。1975年にNYのロフトで活動を始めたというから、勢い大爆発の時期である。ちょっと外れた音程も、フラジオで高音を多発する奏法もいまと同じと言えば同じであり、それは同じ人だから仕方がない。マレイの最初からの個性だったのだ。

現在のマレイはその個性だけを味として悠然と吹く「味おじさん」である。しかし、このときのマレイはまるで違う。音色、裏声、高音、咆哮、すべてをもって、サウンドのあらゆる箇所を休むことなく攻め続ける。すべてが苛烈な表現の手段となっている。躯体のあちこちで爆竹ではなく爆弾を炸裂させながら舞う龍のようだ。

いま、こんな人いないのではないか。文字通り化け物である。わたしも久しぶりに若いマレイの演奏を聴いて感動している。

●デイヴィッド・マレイ
デイヴィッド・マレイ feat. ソール・ウィリアムズ『Blues for Memo』(2015年)
デイヴィッド・マレイ+ジェリ・アレン+テリ・リン・キャリントン『Perfection』(2015年)
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京(2013年)
デイヴィッド・マレイ『Be My Monster Love』、『Rendezvous Suite』(2012、2009年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
ワールド・サキソフォン・カルテット『Yes We Can』(2009年)
デイヴィッド・マレイの映像『Saxophone Man』(2008、2010年)
デイヴィッド・マレイ『Live at the Edinburgh Jazz Festival』(2008年) 
デイヴィッド・マレイの映像『Live in Berlin』(2007年)
マル・ウォルドロン最後の録音 デイヴィッド・マレイとのデュオ『Silence』(2001年)
デイヴィッド・マレイのグレイトフル・デッド集(1996年)
デイヴィッド・マレイの映像『Live at the Village Vanguard』(1996年)
ジョルジュ・アルヴァニタス+デイヴィッド・マレイ『Tea for Two』(1990年)
デイヴィッド・マレイ『Special Quartet』(1990年)
デイヴィッド・マレイ『Live at the Lower Manhattan Ocean Club』(1977年)


フリート横田『東京ヤミ市酒場』

2018-05-14 15:59:21 | 関東

フリート横田『東京ヤミ市酒場 飲んで・歩いて・聴いてきた。』(京阪神エルマガジン社、2017年)を読む。

というのも、藤木TDC『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』によって、戦後ヤミ市の跡(主に、ヤミ市そのものではなく、GHQの命令等によって行き着いた場所)が、いまもこまごました飲み屋が軒を連ねる横丁やビルになっていることを知り、その実践版として、雑誌『東京人』2017年11月号の「高架下の誘惑」特集を紐解いていたからである。

『東京戦後地図』によれば、神田駅北口側はスラブ式鉄筋コンクリートで線路直下を使える。一方南側は明治期の煉瓦アーチ式ゆえ、神田小路のように小型店舗がひしめく構造ができた。そこに今もある飲み屋が、たとえば「ふじくら」「宮ちゃん」が一緒になったところであり、その横の「次郎長寿司」。「ふじくら・宮ちゃん」では先日ちょっと飲み食いしてきた。良いところだった。

アーチの中には中二階がありお店の人が寝起きもしていたようであり(プラスアルファ?)、そのことについて、『東京人』にはもう少し解説がなされていた。それが、本書の著者であるフリート横田氏によって書かれていたのだった。

そんなわけで順番が前後したが、本書を見つけて喜んで買ってきて、一通り読んだところである。神田だけでなく、新橋、新宿、渋谷、池袋、大井町、赤羽、西荻窪、吉祥寺、溝の口、横須賀、野毛、船橋について、ヤミ市跡がどのように形成されたのか手短にまとめられ、いくつかの酒場が紹介されている。『東京人』と同様の実践版である。

まあとにかく自由になればまた好きな街をふらつくつもりである。


ハンナ・アーレント『活動的生』

2018-05-14 10:09:59 | 思想・文学

ハンナ・アーレント『活動的生』(みすず書房、原著1960年)を読む。

従来『人間の条件』として英語で出版され邦訳されていたものだが、2015年に、ドイツ語原著から新訳がなされた。入院中で時間もあり、ゆっくりと読むことができた。

この大著において、アーレントはああでもないこうでもないと思索しさまよう。この一読してのわかりにくさは翻訳の質とは関係がない。しかしそれがアーレントを読むということなのであって(彼女に限らないけれど)、それは思想書を何かのキーワードで代表させる安易さとは正反対にある(「アイヒマン」とか「パノプティコン」とか「リゾーム」とか)。したがって、以下はわたしの中をいちど通過した感想に過ぎず、レジュメなどではない。

公的な空間と私的な空間とがあり、両者は歴史的にも精神的にも明確に定義され区切られるわけではない。わたしは本書を読むまで、アーレントは公的空間における「ヨーロッパ市民」としての共通ツールを用いての活動こそを重視しているのかと思っていた(実際、本書でも「ヨーロッパ」と限定しているくだりもあるのだ)。だが、必ずしもそうではない。

愛だとか恍惚だとか痛みだとか、あるいは私的財産など、公共空間に出てこないものは、「私秘的」な不可侵の私的空間にある。公共空間と私的空間とは実は喰いあうものでもあって、統治や社会のありようによっては、私的な本性のものであろうとも、公共のものにされてしまう。いまになってみれば、公共的な性質を持たせたはずのものが実のところ私的空間に取り込まれていたことが、資本主義の本質だったのかもしれないと想像できるデヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』トマ・ピケティ『21世紀の資本』)。

一方で、私的な空間にあると信じていたはずのものも、実のところ、近代においては生政治という形で統治されていたのだというのが、ミシェル・フーコーが見出した権力構造であった(『監獄の誕生』)。

もとより労働というものが、アーレントによれば、蔑視されていた。公共空間に出てきてものを語るという前段階にあって、それは特筆すべき付加価値を持たず、奴隷的な活動に他ならなかった。ここではマルクスの思想や、現代の経済的な付加価値計算のことは忘れよう(本書では縷々述べられているが)。アーティストの「表現」のような公共空間での付加価値、あるいは、「搾取」と自虐的にも語るように私的空間に封じ込められてきた労働、それらのどこに「活動的生」を見出すのか、それは明確ではない。

どこまで両空間の喰い合いを許容するのか、またどこまで喰い合っているのかを見出すのかは簡単ではない。現代のSNSこそが、他者の私的空間に奪われた公共空間の創り直し、私的空間と公共空間との流通量を激増させる関係の創り直しなのではないかと思えたりもする。私的空間の公共空間における可視化は、歴史的にも、明らかに新しい動きに違いない。

アーレントにとっての「政治」とは、くだらぬ統治構造のことではなかった。政治とは力量であり、僭主制の特徴たる無能と悪徳が滅ぼされるのはむしろ暴力によって、なのである。これこそも、SNS空間において何を獲得していくべきかという観点では重要か。

「僭主性が、権力の代わりに暴力を用いようとするつねに空しい試みだとすれば、僭主制と好対照をなす衆愚制つまり愚民支配は、力量を権力によって埋め合わせようとするはるかに有望な試みである。」
「・・・権力とは、人間の手によって形づくられた対象物としての世界を、文字どおり活気づけるもの、すなわちそもそもはじめて生き生きとさせるものである。」

本書の後半では、アーレントは、近代の科学や哲学における目覚めの影響を説いている。すなわち、もはや何かを位置付けるのは大きなマップの上に俯瞰的に行わざるを得ないのであり、私的な「真実」はそこには居場所を持たない。しかし、「世界ではなく生命こそ最高善だとする公準を、近代は無条件的に掲げてきた」、「現代世界にあっても、生命の絶対的優位は明白だと信ずる力はいささかも失われていない」。 

そしてアーレントは思考プロセスの重要性に回帰する。

「外見上は何もしていないときほど、活動的であることはない。独居において自分とだけ一緒にいるときほど、一人ぼっちでないことはない」と。

●参照
ハンナ・アーレント『暴力について』
マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』
仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』
高橋哲哉『記憶のエチカ』


ウィリアム・パーカー『Live in Wroclove』

2018-05-14 09:34:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウィリアム・パーカー『Live in Wroclove』(fortune、2012年)を聴く。

William Parker (b)
Rob Brown (as)
Lewis Barnes (tp)
Hamid Drake (ds)

ポーランドでのライヴであり、豪華なカルテット。誰の演奏も良い(特に闊達なハミッド・ドレイクのドラミング)が、主役はウィリアム・パーカーのベースである。

最初の47分を超える曲では、パーカーはほとんどピチカートにより、柔らかい轟音を創り出し、ただただサウンドを駆動する。駆動の塊である。2曲目のホレス・シルヴァ―に捧げられた曲でのアルコも良い。シンプルな「熱いジャズ」という枷がかけられたフォーマットかもしれないが、その中で最高のパフォーマンスを発揮している。これには誰もが圧倒されるに違いない。

●ウィリアム・パーカー
スティーヴ・スウェル・トリオ@Children's Magical Garden(2017年)
ウィリアム・パーカー+クーパー・ムーア@Children's Magical Garden(2017年)
スティーヴ・スウェル『Soul Travelers』(2016年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
イロウピング・ウィズ・ザ・サン『Counteract This Turmoil Like Trees And Birds』(2015年)
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』(2003、2013年)
ウィリアム・パーカー『Essence of Ellington / Live in Milano』(2012年)
Farmers by Nature『Love and Ghosts』(2011年)
ウィリアム・パーカー『Uncle Joe's Spirit House』(2010年)
DJスプーキー+マシュー・シップの映像(2009年)
アンダース・ガーノルド『Live at Glenn Miller Cafe』(2008年)
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』(2008年)
ウィリアム・パーカー『Alphaville Suite』(2007年)
ウィリアム・パーカーのカーティス・メイフィールド集(2007年)
ロブ・ブラウン『Crown Trunk Root Funk』(2007年)
ダニエル・カーター『The Dream』、ウィリアム・パーカー『Fractured Dimensions』(2006、2003年)
ウィリアム・パーカー、オルイェミ・トーマス、ジョー・マクフィーら『Spiritworld』(2005年)
ウィリアム・パーカー『Luc's Lantern』(2005年)
By Any Means『Live at Crescendo』、チャールズ・ゲイル『Kingdom Come』(1994、2007年)
ウィリアム・パーカーのベースの多様な色(1994、2004年)
Vision Festivalの映像『Vision Vol.3』(2003年)
ESPの映像、『INSIDE OUT IN THE OPEN』(2001年)
ペーター・コヴァルト+ローレンス・プティ・ジューヴェ『Off The Road』(2000年)
アレン/ドレイク/ジョーダン/パーカー/シルヴァ『The All-Star Game』(2000年)
ウィリアム・パーカー『... and William Danced』(2000年)
ザ・フィール・トリオ『Looking (Berlin Version)』
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
ウェイン・ホーヴィッツ+ブッチ・モリス+ウィリアム・パーカー『Some Order, Long Understood』(1982年)
『生活向上委員会ニューヨーク支部』(1975年)