Sightsong

自縄自縛日記

CPユニット『Silver Bullet in the Autumn of Your Years』

2018-05-23 20:29:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

CPユニット『Silver Bullet in the Autumn of Your Years』(clean feed、2017年)を聴く。

Chris Pitsiokos (as, wind controller, sampler, analog synthesizer, and other electronics)
Sam Lisabeth (g)
Tim Dahl (b) on 4, 6, 9, 10
Henry Fraser (b) on 1, 3, 5 ,7, 8
Jason Nazary (ds, electronics) on 4, 6, 9, 10
Connor Baker (ds) on 1, 3, 5, 7, 8

いや何というのか・・・。

CPユニットの前作(メンバーはティム・ダールのみ共通)を含め、最近のクリス・ピッツィオコスの作品で顕著だったことは、80-90年代のジョン・ゾーン的なペラペラな痙攣への回帰、そして機械への擬態といった過激な傾向のように思えた。それこそがキメラたるクリスの真骨頂だった。

本作ではさらに突き進み、音を発する他者や機械への擬態や変身などではなく、音そのものへの変身を遂げているようである。肉体を脱ぎ捨てるだけでは満足しないのだ。クリスはどこまで行くのか。

曲によってはフリーファンクが浮上してきて、それもまた面白い。ジョン・ゾーンの疾走先のひとつがオーネット・コールマンであったことも思い出すがどうか(『Spy vs. Spy』)。

●クリス・ピッツィオコス
フィリップ・ホワイト+クリス・ピッツィオコス『Collapse』(-2018年)
JazzTokyoのクリス・ピッツィオコス特集その2(2017年)
クリス・ピッツィオコス+吉田達也+広瀬淳二+JOJO広重+スガダイロー@秋葉原GOODMAN(2017年)
クリス・ピッツィオコス+ヒカシュー+沖至@JAZZ ARTせんがわ(JazzTokyo)(2017年)
CPユニット『Before the Heat Death』(2016年)
クリス・ピッツィオコス『One Eye with a Microscope Attached』(2016年)
ニューヨーク、冬の終わりのライヴ日記(2015年)
クリス・ピッツィオコス@Shapeshifter Lab、Don Pedro(2015年)
クリス・ピッツィオコス『Gordian Twine』(2015年)
ドレ・ホチェヴァー『Collective Effervescence』(2014年)
ウィーゼル・ウォルター+クリス・ピッツィオコス『Drawn and Quartered』(2014年)
クリス・ピッツィオコス+フィリップ・ホワイト『Paroxysm』(2014年)
クリス・ピッツィオコス『Maximalism』(2013年) 


三木健『西表炭坑概史』

2018-05-23 19:36:20 | 沖縄

三木健『西表炭坑概史』(ひるぎ社おきなわ文庫、1983年)を読む。

よく知られているように、西表島には炭鉱があった(ざっくり言えば、炭鉱は石炭の鉱山を、炭坑はそれを掘りだす坑道を意味する)。その構造や日本との関係については、北海道や筑豊のそれと共通している面も特殊な面もあった。

沖縄に最初に石炭を求めたのはペリーだった。というのも、船の燃料を補給する場所として重要であり、これは現在の根拠希薄な地政学的な観点とはまったく異なる。かれらが可能性ありとした場所はなんと塩屋湾(大宜味村)であった。一方、琉球でも西表に炭鉱があることが知られてはいたが、島津には気付かれないようにしていた。しかし、明治の半ばには、日本の資源として狙われることとなった。

最初は国策として、三井物産が採炭を開始した。視察もした山形有朋の意向により、端から囚人を使う計画であり、これは北海道と同じであった。その多くがマラリアで死んだ(死んでもいい存在だった、ということである)。1895年からの台湾領有後からは、労働者として台湾人も増え、その後も、日本の他の炭鉱とは異なって朝鮮人の強制労働は比較的少なかったようである。やがて直接的な国策事業から多くの下請け業者による遂行に形が変わり、全体の事業規模も大きくなっていった。

坑道が狭く、男女一組で採炭にあたり、労賃はかつかつ(というより業者が握っていて労賃がわからない)、尻を割ることができない。筑豊の炭鉱に似たところがある。植民地支配を行った場所の出身者を除けば、労働者は沖縄ではなく日本出身者が多かったという。異なる特徴はここである。すなわち、あくまで日本のための事業であり、「炭坑切符」という支払い手段のために経済で地元が潤うことはなく、労働者を慰撫するためのお祭りでさえも日本人だけのためのものだった。このことを、著者は、「本土から集った坑夫の集団は、島の社会と隔絶した一種独特な社会を形成していた」と書いている。

三井三池炭鉱では、与論島出身者が差別的な扱いを受けたことが知られている(熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』)。これもまた差別構造を意図的に作り出した歴史だが、著者は、ここに、日本との関わりという点での共通点を見出している。

「与論の場合は、島を出た人たちが九州の社会と接触していった歴史だが、西表の場合は逆に本土の集団が島の共同体社会に割り込む形でできた歴史である。いずれにしろ資本を媒介にした異集団間の接触という点ではかわりなく、両者の間にある種の軋轢が生じていた点でも共通している。」

西表に関してはまさに地元の「搾取」という言葉があてはまりそうなものだが、このことは、戦後の建設業や基地における「ザル経済」(利益が地元を通過して日本へと流れる)と類似すると言ってもよいだろう。

「そして戦争で炭坑が崩壊するや、島の経済は大きな打撃を受けざるを得なかった。基幹産業が根付かぬまま、西表の既存村落は戦後を迎えた。戦後になって、同島が過疎化していく下地がすでにあったのである。」

●炭鉱
上野英信『追われゆく坑夫たち』
上野英信『眉屋私記』
『上野英信展 闇の声をきざむ』
伊藤智永『忘却された支配』
西嶋真治『抗い 記録作家 林えいだい』
奈賀悟『閉山 三井三池炭坑1889-1997』
熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』
熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
本橋成一『炭鉱』
勅使河原宏『おとし穴』(北九州の炭鉱)
友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』
本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(九州の仮想的な炭鉱)
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』
石井寛治『日本の産業革命』

●ひるぎ社おきなわ文庫
石原昌家『戦後沖縄の社会史―軍作業・戦果・大密貿易の時代―』
郭承敏『秋霜五〇年―台湾・東京・北京・沖縄―』
加治順人『沖縄の神社』
金城功『近代沖縄の糖業』
金城功『ケービンの跡を歩く』
保坂廣志『戦争動員とジャーナリズム』
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』
望月雅彦『ボルネオ・サラワク王国の沖縄移民』 


チャド・テイラー『Myths and Morals』

2018-05-23 13:52:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

チャド・テイラー『Myths and Morals』(eyes&eyes Records、-2018年)を聴く。

Chad Taylor (ds)
Elliot Bergman (electric kalimba)

チャド・テイラーのドラムソロ作品であり、一部エリオット・バーグマンの電気親指ピアノが加わっている(「Island of the Blessed」)。

この電気親指ピアノによる悪夢的な繰り返しも麻痺しそうでいいのだが、それはなくても、テイラーのドラムスがもとより多彩極まりない。それでいて演奏の根っこはシンプルな感覚。

たとえば、ジェームス・ブランドン・ルイスとのデュオ『Radiant Imprints』でも親指ピアノを披露してくれたわけだが、ここでも、それによる割れた音を混ぜこんでいる。音は割れることによって、音以外の何かへと聴き手を誘う。それはルーツだとか遠くだとかへの目線となる。またそれはきっかけに過ぎず、大きなアトモスフェアを創り出し、その中からテイラー自らが鋭く丸くもあるパルスを放ちながら、力強く走りはじめたりもする。

いつまでもポテンシャルを秘めていそうなドラム世界か。魅かれる。

●チャド・テイラー
ジェームス・ブランドン・ルイス+チャド・テイラー『Radiant Imprints』(JazzTokyo)(-2018年)
ジェイミー・ブランチ『Fly or Die』(-2017年)
シカゴ/ロンドン・アンダーグラウンド『A Night Walking Through Mirrors』(2016年)
ヨニ・クレッツマー『Five』、+アジェミアン+シェイ『Until Your Throat Is Dry』(JazzTokyo)(2015、16年)
エリック・レヴィス『In Memory of Things Yet Seen』(2014年)
ジョシュア・エイブラムス『Represencing』、『Natural Information』(2008-13年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
マーク・リボーとジョルジォ・ガスリーニのアルバート・アイラー集(1990、2004年)
Sticks and Stonesの2枚、マタナ・ロバーツ『Live in London』(2002、03、11年)


ミルフォード・グレイヴス+ビル・ラズウェル『The Stone - April 22, 2014』

2018-05-23 13:28:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

ミルフォード・グレイヴス+ビル・ラズウェル『The Stone - April 22, 2014』(M.O.D.、2014年)を聴く。

Milford Graves (ds, voice)
Bill Laswell (b)

このようにキャラ化した人たちであるから、名前でまず驚く。凄いですね。Stoneはさぞかし混んだことだろう。

いきなりビル・ラズウェルらしくノイズの膨満感が半端ない(ぶうぉんうぉん、じゃねえよ)。やがて野人ミルフォード・グレイヴスが参入してきて、バスドラも筋肉もヴォイスもなんもかも使いまくって爆走する。それがまったく衰えておらず、途中から想像を超える領域に猛然とダッシュし、驚かされる。わはは。

また観る機会は訪れるだろうか。

●ミルフォード・グレイヴス
ミルフォード・グレイヴス+ビル・ラズウェル『Space / Time * Redemption』(2013年)
デイヴィッド・マレイ『Saxophone Man』(2008、10年)
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』(2008年)
ローウェル・デヴィッドソン(1965年)
ポール・ブレイ『Barrage』(1964年)

●ビル・ラズウェル
『Blue Buddha』(2015年)
ミルフォード・グレイヴス+ビル・ラズウェル『Space / Time * Redemption』(2013年)
デレク・ベイリー+トニー・ウィリアムス+ビル・ラズウェル『The Last Wave』(1995年)
『Improvised Music New York 1981』(1981年)


マイク・モラスキー『呑めば、都』

2018-05-23 12:23:07 | 関東

マイク・モラスキー『呑めば、都』(ちくま文庫、2012年)を読む。

『戦後日本のジャズ文化』を書いた人でもあり、社会学的にぎっしりと蘊蓄が詰め込まれているのかなと敬遠もしていたのだが、そんなことはなかった。東京と東京の居酒屋を愛する人による、実に共感できるエッセイである。

なんといっても、ひとりでふらっと立ち寄ることができる居酒屋こそが良いのだとする価値観にとても共鳴する。当然、チェーン店居酒屋を激烈に嫌悪しており、笑ってしまう。また、後付けのレトロ的な雰囲気づくりにも攻撃の手をゆるめない。やっぱりね。「せんべろ」ブームも悪くはないが、その対象からチェーン店を外すべきである。

ひとり呑みの軽いエッセイだけではない。勉強になったことも少なくはない。

たとえば、かつての洲崎売春街(洲崎パラダイス)の歴史。洲崎とは、もとは根津にあった遊郭が、東大の近くにあって望ましくないというので移転された場所だが(1888年)、今度は海軍省に引き渡しを命じられ、造船所の宿舎となった(1943年)。そして大空襲で焼失し、戦後また赤線として復活。しかし、その1943年の立ち退きにより、業者たちは新吉原、羽田、立川、船橋、千葉、館山へと分散して営業を続けた。立川には「立川パラダイス」というキャバレーもあり、洲崎パラダイスを連想した人も少なくなかったはずだ、と。このように土地の記憶は分散し共有されるというわけである。

また、「下町」という視線。著者はそこに人びとのロマンチシズムを見出す一方、その呼称は不正確で広すぎるのだと言う。これは小林信彦の持論でもあったようで、葛飾柴又のような千葉の隣を下町と呼ぶことへの違和感だった。しかし、ことは簡単ではなかった。江戸時代には、浅草は、そこから神田・日本橋に出ることを「江戸に行く」と呼ぶほどの辺縁であり、戦後では、葛飾で「東京に行く」とは「浅草に行く」という意味であった。

自分などは貝塚爽平『東京の自然史』に激しい影響を受けた者であるから、下町といえば地形と自然史的な成り立ちを基本に考えてしまう。都市の成長や認識は面白い。そういえば浦安市の当代島は、いまで言えば駅のすぐ近くという認識なのだが、前に浦安で呑んでいて古くから住む方と話をしたところ、「むかしは当代島のひとは浦安に行くって言い方をしていたよ」と言い放って、驚いたものである。

ああ呑みに行かないと・・・。


ウェイン・エスコフェリー『Vortex』

2018-05-23 06:46:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウェイン・エスコフェリー『Vortex』(Sunnyside Records、-2018年)を聴く。

Wayne Escoffery (ts)
David Kikoski (p)
Ugonna Okegwo (b)
Ralph Peterson, Jr. (ds)
Jeremy Pelt (tp) (track 8)
Kush Abadey (ds) (tracks 5 & 8)
Jacquelene Acevedo (perc) (tracks 4, 5 & 6)

シンプルな「どジャズ」として最高のメンバーである。「どジャズ」とはいえマインドは保守とは対極。

ウゴンナ・オケーゴは硬く刻んで安心感があるし、デイヴィッド・キコスキーの鮮やかな和音も健在。人間扇風機ことラルフ・ピーターソンもやはり無駄な嵐を起こしており嬉しくなる。

そしてウェイン・エスコフェリー。中音域で乾いているくせに、音色のグラデーションに色気がある。もっと持てはやされてもいいのに。

●ウェイン・エスコフェリー
ブラック・アート・ジャズ・コレクティヴ『Presented by the Side Door Jazz Club』(2014年)
ウェイン・エスコフェリー『Live at Smalls』(2014年)
ウェイン・エスコフェリー『Live at Firehouse 12』(2013年)