Sightsong

自縄自縛日記

ラケシア・ベンジャミン『Rise Up』

2018-05-18 20:46:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

ラケシア・ベンジャミン『Rise Up』(Ropeadope、-2018年)を聴く。

Lakecia Benjamin (sax)
Shawn Whitley (b)
Devone Allison (key)
Yeissonn Villamar (key)
Chris Rob (lead syn)
Eric Brown (ds)
Jamieson Ledonio (g)
Jeremy Most (g)
Brad Allen Williams (g, key, b, drum programming)
Solomon Dorsey (perc, b, vo, g)
Bendji Allonce (perc)
Melusina Reeburg (p)
Jaime Woods (vo)
China Moses (vo)
Akie Bermiss (vo)
Zakiyyah Modeste (spoken word)
Chandler (vo)
Nicole Phifer (vo)
Jessie Singer (tambourine, lead syn, Wurlitzer, b, sound design)
Jesse Klirsfeld (tp)
Maurice Brown (tp)
Gregorio Hernandez (tb)
Chris Soper (sound design, g, key)

このように大所帯だがビッグバンドのようにごみごみにぎにぎしたものではなく、作りこまれたコンテンポラリーサウンドである。

ラケシア・ベンジャミンは2013年にデイヴィッド・マレイのビッグバンドの一員として来日しており、そのときの勢いのあるプレイが印象的だった。後日、彼女のリーダー作『Retox』(2012年)を入手したのだが、ちょっとチャラいなと思って放置しつつも改めて聴いてみると悪くないのだった。

そんなわけでこの新譜。シリアス頭を溶かしてみればやっぱり悪くない。ソウルでR&Bでファンクで、スムースジャズで、カッチョいいな。ベンジャミンのサックスにはデイヴィッド・サンボーンのようなソフトグロウル的な音色を感じるのだが、やはり喉を物理的に開いて吹いているのだろうか。

●レイクシア・ベンジャミン
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京
(2013年)


『Andrew Cyrille Meets Brötzmann in Berlin』

2018-05-18 20:01:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

『Andrew Cyrille Meets Brötzmann in Berlin』(FMP、1982年)を聴く。

Peter Brötzmann (E-flat cl, tarogato, as, ts, bs)
Andrew Cyrille (ds, perc)

ペーター・ブロッツマンについては1960年代後半の『For Adolphe Sax』や『Machine Gun』などがあり、またアンドリュー・シリルについてもやはり60年代後半からのセシル・テイラーと伍しての演奏があったわけだから、その延長線上にあるものとして当然と言えば当然なのだが、やはり、このエネルギー・ミュージックには圧倒される。どうしても比較対象はかれらの現在の音になってしまい、それと比較すると違いはあまりにも大きい。もちろんどちらが良いということではないのだが、何にせよこの共演は凄い。

1曲目の「Wolf whiste」から両者ともに惜しみなくエネルギーを放ちまくる。文字どおりのヘラクレスである。一方のシリルは、現在は武道の達人然としたドラミングを見せてくれるのだが、このときはそれにマッチョな要素も加わっている。

2曲目からの「Quilt」a-cは趣向を変えており面白い(キルトである)。「a」ではブロッツマンは鳥のような高音、シリルはおそらくシンバルをスティックで擦り続けてそれに応える。「b」では一転してシリルの腹に響くバスドラ、ブロッツマンは朗々と吹くのだが、それが苛烈になってゆき、そしてなんと「On Green Dolphin Street」を吹き始める。意外に芸達者である。「c」では、シリルの繊細なシンバルワークから始まる多彩なソロを披露する。これは現在の姿にも通じているように思える。

●アンドリュー・シリル
ベン・モンダー・トリオ@Cornelia Street Cafe(2017年)
トリオ3@Village Vanguard(2015年)
アンドリュー・シリル『The Declaration of Musical Independence』(2014年)
アンドリュー・シリル+ビル・マッケンリー『Proximity』(2014年)
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard(2014年)
ベン・モンダー『Amorphae』(2010、13年)
トリオ3+ジェイソン・モラン『Refraction - Breakin' Glass』(2012年)
アンドリュー・シリル『Duology』(2011年)
US FREE 『Fish Stories』(2006年)
アンドリュー・シリル+グレッグ・オズビー『Low Blue Flame』(2005年)
バーグマン+ブロッツマン+シリル『Exhilaration』(1996年)
ビリー・バング+サン・ラ『A Tribute to Stuff Smith』(1992年)
1987年のチャールズ・ブラッキーン(1987年)
アンドリュー・シリル『Special People』(1980年)
アンドリュー・シリル『What About?』(1969年) 

●ペーター・ブロッツマン
ペーター・ブロッツマン+ヘザー・リー『Sex Tape』(2016年)
ペーター・ブロッツマン+スティーヴ・スウェル+ポール・ニルセン・ラヴ『Live in Copenhagen』(2016年)
ブロッツ&サブ@新宿ピットイン(2015年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』(2011年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
ヨハネス・バウアー+ペーター・ブロッツマン『Blue City』(1997年)
バーグマン+ブロッツマン+シリル『Exhilaration』(1996年)
『Vier Tiere』(1994年)
ペーター・ブロッツマン+羽野昌二+山内テツ+郷津晴彦『Dare Devil』(1991年)
ペーター・ブロッツマン+フレッド・ホプキンス+ラシッド・アリ『Songlines』(1991年)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
『BROTZM/FMPのレコードジャケット 1969-1989』
ペーター・ブロッツマン
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979-86年) 


田中正恭『プロ野球と鉄道』

2018-05-18 13:31:07 | スポーツ

田中正恭『プロ野球と鉄道』(交通新聞社新書、2018年)を読む。

なぜプロ野球と鉄道なのかと言えば理由はふたつある。ひとつは、阪急や阪神のように自社の鉄道を利用した娯楽の開発。もうひとつは、日本列島の遠距離移動に用いられた鉄道移動という制約(もっとも、戦前は満州鉄道の「あじあ号」などを使った事例もあった)。それぞれ知らないことを教えてくれてとても面白い。愛に満ちた本は良いものである。

ひとつめの、自社の鉄道沿線におけるプロ野球のコンテンツ化。阪急の小林社長は相当にこだわり、出張先のワシントンから即座にチームを結成するよう電報を入れたという。その結果、最初の1リーグ時代に間に合って参入できた。お上品な阪急沿線であり観客動員には恵まれなかったが、ヴィジョンはそういうことであった。

もとは1934年の大リーグ代表来日試合(ルース、ゲーリッグ、沢村)があって、翌35年の日本代表(=東京巨人軍)の結成を経て、正力松太郎が音頭を取ってチームが順次できていったわけである。35年12月の大阪タイガース、36年1月の名古屋軍、東京セネタース、阪急軍、など。

従って、いまも巨人阪神戦を「伝統の一戦」と標榜するのはやりすぎである。所詮はひと月ほど他球団より早かっただけだからだ。とは言え、2リーグ分裂時に、阪神は巨人と離されると興業上不利であるから、阪急、南海との関西鉄道系と組む構想から寝返って巨人側に着いた。これがなかったら、パ・リーグはさらに東急、近鉄、西鉄を加え、電鉄リーグになっていた。つまり「伝統の一戦」という言葉は、最初から商売の言葉であったといえる。

なお、東京セネタースの名前は、出資者の有馬伯爵が貴族院議員だったことによる。それが戦時中の1940年に改名し、翼軍となる。これは有馬伯爵が大政翼賛会の理事を務めていたことに由来するという(!)。戦争の汚点は思いがけないところに見出されるものだ。

ふたつめの長距離移動。つまり、地方球団は非常に大変だった。逆にジャイアンツなどは有利であり、1964年の東海道新幹線開業(東京-新大阪)は翌65年からの9連覇を後押しした。また1975年の山陽新幹線全線開業(新大阪-博多)の影響があり、同年に広島カープが初優勝した。交通インフラの発展とプロ野球の成績が連動していたとは、まさに目から鱗である。

本書の最後には、プロ野球OBたちの証言が集められている。いないじゃないかと不満に思っていた今井雄太郎がここで登場する。さすがである。水島新司がどこかで描いていたが、ノミの心臓だったため登板前にビールを飲むこともあったという面白い人である(いつもじゃないと本人の弁)。最後に福岡ダイエーホークスに1年在籍し、西武ライオンズ戦に登板、いいように盗塁されていた記憶がある。つまり古いプロ野球の人だったのだが、それもまた良し。


フランソワ・キャリア+ミシェル・ランベール+ポール・ブレイ+ゲイリー・ピーコック『Travelling Lights』

2018-05-18 11:03:37 | アヴァンギャルド・ジャズ

フランソワ・キャリア+ミシェル・ランベール+ポール・ブレイ+ゲイリー・ピーコック『Travelling Lights』(Justin Time Records、2004年)を聴く。

François Carrier (as,ss)
Michel Lambert (ds)
Paul Bley (p)
Gary Peacock (b)

フランソワ・キャリアはカナダ・ケベック州のサックス奏者。過去にデューイ・レッドマンと共演した盤もあり興味を持ってはいたのだが、本盤ではさほど目立たない。というよりも、相手はポール・ブレイとゲイリー・ピーコックであり、明らかに役者が違う。

2曲目あたりからピーコックの香り高いピチカートが耳に残ってくる。そして3曲目の「Oceania」以降、ブレイがブレイらしさを発揮する。研ぎ澄まされた和音の美しさはもとより、その指の動きによって、タイム感まで完全に支配してしまう。たぶんブレイのファンであればここで間違いなく嬉しさに慄くことであろう。美しさの結晶は、6曲目の「Africa」の後半や7曲目の「Sea」などで惜しみなくあらわれる。

ブレイとピーコックのデュオとしては、名作『Partners』が思い出されるが、こうなるとデュオだろうと何だろうと関係ないのだ。

不思議なことに、ミシェル・ランベールのドラミングにポール・モチアンのそれが憑依したように感じる。

●ポール・ブレイ
ポール・ブレイ『Solo in Mondsee』(2001年)
ポール・ブレイ『Synth Thesis』(1993年)
ポール・ブレイ『Homage to Carla』(1992年)
ポール・ブレイ『Plays Carla Bley』(1991年)
ポール・ブレイ+ゲイリー・ピーコック『Partners』(1991年)
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』(1990年)
チェット・ベイカー+ポール・ブレイ『Diane』(1985年)
イマジン・ザ・サウンド(1981年)
アネット・ピーコック+ポール・ブレイ『Dual Unity』(1970年)
ポール・ブレイ『Barrage』(1964年)
ポール・ブレイ『Complete Savoy Sessions 1962-63』(1962-63年)

●ゲイリー・ピーコック
プール+クリスペル+ピーコック『In Motion』(2014年)
ゲイリー・ピーコック+マリリン・クリスペル『Azure』(2011年)
テザード・ムーン『Triangle』(1991年)
ポール・ブレイ+ゲイリー・ピーコック『Partners』(1991年)
キース・ジャレット『North Sea Standards』(1985年)
キース・ジャレット『Standards Live』(1985年)
ローウェル・デヴィッドソン(1965年) 


シャーメイン・リー『Ggggg』

2018-05-18 10:43:09 | アヴァンギャルド・ジャズ

シャーメイン・リー『Ggggg』AntiCausal Systems、-2018年)を聴く。

Charmaine Lee (voice)

シャーメイン・リーはオーストラリア出身のヴォイス・パフォーマーであり、本盤が初リーダー作である。いまはNYのノイズ/アヴァンシーンの尖った面々と共演しており、動画もググるといくつか見つけることができる。

自らの顔を歪ませるジャケットの印象が強いが、彼女のヴォイスも同等以上に強烈だ。超絶技巧とは言え、機械も自分の肉体と同化し、また根源的に動悸も腐りもする肉体と直結しており、ちょっと聴き手の設定するハードルをやすやすと超えてしまい怖くもある。剛田武さんは「時に金属のように冷たく、時に濡れ場のようにエロチックな口唇の摩擦音こそ、人体の神秘に肉薄する極端音楽のNORD(極北)」と表現しており同感である。

過去には、たとえばサインホ・ナムチラックだって、吉田アミさんだって、ローレン・ニュートンだって、また最近の山崎阿弥さんだって、はじめてその肉声に直接接したときには恐怖を覚えたものである。リーもまた同様に怖ろしい。