Sightsong

自縄自縛日記

テジュ・コール『オープン・シティ』

2018-05-25 20:32:05 | 北米

テジュ・コール『オープン・シティ』(新潮クレスト・ブックス、原著2012年)を読む。

主人公はナイジェリア生まれ・NY在住の精神科医。アフリカ人であり有色人種である。そのことからも、世界が自分と隔たっている。かれはNYのアフリカ人と、かつて日系であるためにアメリカで収容された先生と、アメリカからベルギーに戻った老婦人と、誠実に、しかし自らの欺瞞を認識しながらも、話をし続ける。それはどうしたって摩擦と内省を生じる。

視るだけではない。かれは視られもする。世界に自分が溶け込んでいない、それはつねに視られていることでもある。公園の鳥にも視られる。世界からの疎外感は暴力でもあり、かれは自分に理不尽に与えられる暴力を受け容れているようでもある。しかし、暴力は受けるだけではなく、かれが他者に与えるものでもあった。しかも、自分自身が意識しないところで。

この静かで大きな驚きのまま、かれはマーラーのコンサートに出かける。そして、ついには世界の亀裂を視るのだ。読むべし。


シヤ・マクゼニ『Out of This World』

2018-05-25 19:58:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

シヤ・マクゼニ『Out of This World』(2016年)を聴く。

Siya Makuzeni (vo, tb, Pedals / Loops)
Ayanda Sikade (ds)
Benjamin Jephta (b)
Thandi Ntuli (p, key)
Sakhile Simani (tp, flh)
Sisonke Xonti (ts)
feat. Justin Faulkner (ds) on track 6

『ラティーナ』誌2018年6月号の南アフリカジャズ特集に紹介されているディスク。

シヤ・マクゼニは歌い、トロンボーンを吹く。声は少しハスキーで、ぬめりのような独特さがある。サウンドは作曲によるところもあるのか、沈んでいながらも上下左右に飛び出るようなノリがあり、想定外で驚いてしまった。ここにはベンジャミン・ジェフタの躍るベースも貢献している。その中でマクゼニの声がルーパーによってそのあたりをたゆたい、まるで多くの者がざわついているようにさえ聴こえ、ちょっと動悸がする。

もうひとつ特筆すべきはタンディ・ンツリのピアノとキーボードであり、流麗にスウェイして、どうしても耳に飛び込んでくる。

5曲目の「Through the Years」は、なんと、ベキ・ムセレク『Timelessness』(1993年)の収録曲である。当時は日本でも評価されたムセレクだが、やがて日本盤も出なくなり、亡くなっても話題にもならなかった(わたしは翌年になって気が付いた)。『Beauty of Sunrise』(1995年)はいまも傑作だと思っている。ムセレクが母国でこのように大事にされているのだと思うと嬉しい。

●参照
タンディ・ンツリ『Exiled』


ブランドン・シーブルック『Needle Driver』

2018-05-25 19:37:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブランドン・シーブルック『Needle Driver』(Nefarious Industries、-2017年)を聴く。

Brandon Seabrook (g)
Allison Miller (ds)
Johnny Deblase (b)

はじめてシーブルックと話したときに、その前日に知らずに観たNeedle Driverのことを思い出し(クリス・ピッツィオコスの出演前だった)、「ああ昨夜観ましたよ、Needle Point」と失礼なことを言ったのはわたしです。

それはネタとして。本盤も楽しみにしていた(その割にリリースを忘れていた)。

確かに疾走するし、歪むし、スピードの緩急も良いし、大きな音で聴くと気持ちいいのではあるが、どうもそれ以上ではない。なんでかな。他の人の感想も訊きたいところ。


Needle Driver, Don Pedro's (2015年)

●ブランドン・シーブルック
トマ・フジワラ『Triple Double』(2017年)
ブランドン・シーブルック『Die Trommel Fatale』(JazzTokyo)(-2017年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas V』(JazzTokyo)(2016年)
CPユニット『Before the Heat Death』(2016年)
アイヴィン・オプスヴィーク Overseas@Seeds(2015年)
アンドリュー・ドルーリー+ラブロック+クラウス+シーブルック@Arts for Art(2015年)
クリス・ピッツィオコス@Shapeshifter Lab、Don Pedro(2015年)
トマ・フジワラ『Variable Bets』(2014年)
アンドリュー・ドルーリー『Content Provider』(2014年)
ブランドン・シーブルック『Sylphid Vitalizers』(2013年)


大和田俊之『アメリカ音楽史』

2018-05-25 07:13:32 | ポップス

大和田俊之『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』(講談社選書メチエ、2011年)を読む。

本書で対象とする音楽は幅広く、最初は散漫な印象を受ける。しかし読んでいくうちに、ミンストレル・ショウ、ジャズ、R&B、ロック、ヒップホップなど、そのいずれにおいても、その時点から過去に向けられた黒人と白人双方の欲望が交錯する領域に形成されたのだとする大きな視線があることがわかってくる。それが「偽装」というふるまいによってあらわれてくるというわけである。

その視線の中にアフロ・フーチャリズムも入っており、面白い。つまり、サン・ラなど黒人音楽家たちは、SF的想像力によって「惑星的他者」を偽装し、自らのアイデンティティを再確認したということである。ここにもオクテイヴィア・バトラーの名前が登場してくるのだが、そうなれば、ニコール・ミッチェルの活動もその文脈で捉えられる。

一方、ジャズのモード奏法こそが歴史的な断絶であり西洋からの解放だとする論旨には、ちょっと納得しにくいところがあった。