Sightsong

自縄自縛日記

アート・ファーマー『Sing Me Softly of the Blues』

2014-03-19 07:57:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

アート・ファーマーの熱心な聴き手でもなんでもないのだが、『Sing Me Softly of the Blues』(Atlantic、1966年)はよく聴く。先日はANAの国際線のプログラムにも1枚まるごと入っていて、やはりこればかり聴きながら読書。

Art Farmer (flh)
Steve Kuhn (p)
Steve Swallow (b)
Pete LaRoca (ds)

ツイッターで、国分寺の小道具上海リルさんが書いていて(つぶやいていて、というべきか)、なるほどと合点。最初の印象深い2曲が、カーラ・ブレイの作曲によるものだった。ゆったりとしたリズムに乗って、しばしば転調し、哀しく漂うようなメロディーを前面に出してくる曲は、カーラ調としか言いようがない。

ファーマーのフリューゲルホーンは、このように曲を大事に吹くときにもっとも魅力的なのだと思う。そういえば、ファーマーの『The Summer Knows』というレコードも甘甘だが、似たような魅力があり、結構聴いた。

そしてサイドメンの演奏がいまだに鮮烈で素晴らしい。特に1曲目(タイトル曲の「ブルースをそっと歌って」)において、ファーマーのソロを受けて、音のフラグメンツを玩具のようにこぼれおちさせるスティーヴ・キューンのピアノには目が醒める。


井上光晴『西海原子力発電所/輸送』

2014-03-18 00:04:31 | 九州

井上光晴『西海原子力発電所/輸送』(講談社文芸文庫、原著1986年・1989年)を読む。

本書に収録された二篇「西海原子力発電所」と「輸送」とは、佐賀県の玄海原子力発電所を一応のモデルとして書かれている。

前者は、原発立地に伴うくろぐろとした闇、原発反対運動と原爆による被爆体験とに共通する自らへの枷を描く。後者は、核廃棄物を収めたキャスクが輸送中に事故を起こし、その町が、放射性物質によって汚染されていく物語。

明らかに、井上光晴は、水俣病を思い出しながら、原発事故被害を描いている。現在の目でみれば、それは間違ったディテールだ。しかし、これらの小説の本質は、人の棲む町が、放射性物質や、噂や、底知れぬ恐怖といった目に視えぬものによって崩壊していく姿の描写にある。その意味では先駆的な作品であるといえる。

井上光晴の小説が新刊として出るなど、久しぶりのことではないか。これを読んでも実感できることだが、ただの「ウソつきみっちゃん」のホラ話ではない。他の作品も文庫として復刊してほしい。

●参照
井上光晴『他国の死』(1968年)
井上光晴『明日 ― 一九四五年八月八日・長崎 ―』(1982年)


大野俊三『Something's Coming』

2014-03-16 22:22:37 | アヴァンギャルド・ジャズ

このところ、大野俊三『Something's Coming』(East Winds、1975年)をやたらと聴いている。

大野俊三(tp)
Cedric Lawson (key)
Reggie Lucas (g)
Don Pate (el-b)
Roy Haynes (ds)
菊池雅章(org:③)

いま聴くと、キーボード、エフェクター付きのギター、エレキベースによるファンクサウンドは、どうしようもなく70年代の音である。ただ、別に古臭くてもカッコ良いし、渡米間もない26歳の大野俊三のトランペットはストレートで気持ちがいい。

3曲目の「I Remember That It Happened」だけは、菊池雅章のオルガンとのデュオであり、異色な辛気くささを湛えている。「日本らしさ」の追求がこのような形になったのかな。菊池雅章が山本邦山とともに吹き込んだ名盤『銀界』(1970年)の延長線上にあるような印象である。

それにしても、菊池さんの手術はどうなったのだろう。
http://gogetfunding.com/project/help-masabumi


鈴木則文『トラック野郎・一番星北へ帰る』

2014-03-16 13:30:41 | 東北・中部

鈴木則文『トラック野郎・一番星北へ帰る』(1978年)を観る。

舞台は岩手県花巻市のりんご農園、岩手県の宮古市、福島県の小名浜港、福島県の常磐ハワイアンセンター。

菅原文太、愛川欽也、大谷直子、新沼謙治、田中邦衛、せんだみつお、黒沢年雄、アラカン、成田三樹夫など、癖があるというより癖しかないような役者を使って、鈴木則文は、迷うことなく娯楽の王道をひた走る。『男はつらいよ』の向こうを張って、70年代に大変な人気を誇った理由が、よくわかる。

●鈴木則文
『少林寺拳法』(1975年)
『ドカベン』(1977年)
『忍者武芸貼 百地三太夫』(1980年)
『文学賞殺人事件 大いなる助走』(1989年)


「郭徳俊 ニコッとシェー 1960年代絵画を中心に」展@国立国際美術館

2014-03-16 10:08:45 | 韓国・朝鮮

大阪の国立国際美術館に足を運んだ目当ては、実は、「郭徳俊 ニコッとシェー 1960年代絵画を中心に」展だった。

郭徳俊は京都生まれ。両親が韓国人であったために、サンフランシスコ講和条約の発効(1952年)とともに日本政府に国籍を剥奪され、在日コリアンとなる。その後、結核を患い、余命10年を宣告され、生への執着を絵という形にしていった。1960年代の作品群は、そのようにして生まれた。

もっとも、そのような背景の物語を意識してもしなくても、この作品群はひたすら愉快で、またひたすらに本能的な域にアクセスしてくる。

デュビュッフェのように天真爛漫かつ邪気溢れるものもあれば、菅井汲のようにかたちへの傾倒が見られるものもある。鳥の目で、存在しない都市のヴィジョンを幻視したようなものもある。すべてが生と性のエネルギーで満ちているようだ。自分もスケッチブックを開いて、思いつくままに線や色を展開していきたいという気持ちになってしまう。


アンドレアス・グルスキー展@国立国際美術館

2014-03-16 09:30:24 | ヨーロッパ

大阪の国立国際美術館で、アンドレアス・グルスキー展を観た。東京への巡回のときに逃していたのだ。

噂にたがわず大変な迫力がある。

<バンコク>という連作では、チャオプラヤ川の水面を撮っている。光の反射は、アメーバ状のさまざまの形をもつ。わたしが小学生のときに、プールの絵を精密に描こうとしたことを思い出す。光の反射を再現しようとして、次々に楕円形やブーメランの形を描いてはいくものの、それらは一瞬現れるだけの存在であり、描く方はまず追い付かない。描きおおせたところで、それは脳内に残るプールの水面の姿ではない。同様に、この写真群は、ある時間断面を精密にカットしており、現実からかけ離れた奇妙さを持つ。

また、<パリ、モンパルナス>では外から視たアパルトマンと個々の窓の中を、<香港、上海銀行>では外から視たオフィスビルと個々の窓の中を、<F1 ピットストップ IV>ではF1車のピット作業時に調整作業やその上から見物する人たちを、同時に、しかも精密に、再現している。

もちろん、これらも現実ではない。現実を写真機で切り取ったものであったとしても、デジタル加工によるコラージュであったとしても大した違いはない。そのようにすべてを同時に視て、瞬時に脳内で処理できる人間はいない。すなわち、これは、監視であり、モニタリングである。

グルスキーの写真から、中世フランドルの画家・ブリューゲル親子を想起する者もあるかもしれないが、ブリューゲルのそれはあくまで全体として成立している世界であり、根本的に異なるように思える。

グルスキーはベッヒャーの教えを受けたのだという。無名の建造物を精密に撮り、形としての力を直接的に示すという点で、確かにグルスキーはベッヒャー派なのだろう。しかし、デジタルを手段として、欲望をここまで作品化できるということは、今後、グルスキーとその影響を受けた者たちが、さらにこれを上回る世界に突入することを意味する。


万年筆のペンクリニック(5)

2014-03-15 22:16:52 | もろもろ

大阪の心斎橋に「Ir Sunrise」という万年筆店がある。調べたところ、ちょうどサンライズ貿易のペンドクター・宍倉潔子さんがペンクリニックを行う日だというので、いそいそと訪ねた。宍倉さんは万年筆の雑誌などにもよく登場する方で、わたしも以前に他の万年筆を調整していただいたことがある。

手持ちの万年筆は2本。

ヴィスコンティの「ミッドナイト・ヴォイジャー」は、2002年・ローマでのNATO-ロシア理事会において署名に使われたものだそうで(もちろん、現物ではない)、大袈裟にいえば、冷戦の終わりを目撃した万年筆か。ペン先は18K、細字で、ちょっと書き出しが渋かった。どうも、ちょっとずれが生じていたらしかった。

パイロットの「カスタムヘリテイジ92」は、インクがたっぷり入る吸入式。透明軸ということもあって、鮮やかなターコイズを入れている。14Kの太字にも関わらず、これも結構インクの出が渋かった。

やっぱり快適に仕事をするための道具であるから、インクは潤沢に出てもらわないと困るのだ。両方とも、見事な手つきで、治具や紙やすりを使って調整していただいた。よかった。

●参照
万年筆のペンクリニック
万年筆のペンクリニック(2)
万年筆のペンクリニック(3)
万年筆のペンクリニック(4)
行定勲『クローズド・ノート』(万年筆映画)
鉄ペン
沖縄の渡口万年筆店
佐藤紙店の釧路オリジナルインク「夜霧」
本八幡のぷんぷく堂と昭和の万年筆


大阪の寿司は醤油を刷毛で塗る

2014-03-15 21:14:53 | 関西

大阪に行ったついでに、布施にある「すし富」に足を運んだ。

Nikon V1, 1 NIKKOR VR 30-110mm f/3.8-5.6 で撮影

以前に紹介してもらって食事をしたとき、これは旨いと感激した。そんなわけで2回目なのだ。

前回、味のほかに驚いたことがあった。カウンターの上に、醤油とタレの小さい壺が置いてあり、中に刷毛が入っている。自分で寿司の上に塗るのである。どうやら、大阪の寿司の伝統でもあるらしい。

ご主人曰く、「大阪では寿司を箸で食べるんですよ。そしたら、小皿の醤油に付けるのはやりにくいでしょ?最近はわりと少なくなりましたけどねえ。」

まぐろの赤身も、大トロも、活海老も(醤油を塗ったらぴくぴく動いた)、その頭を焼いてくれたものも、ひらめの上にエンガワと芽葱をのっけたものも、うなぎも、げそも、それはもう、ひとつひとつが旨かった。早くまた大阪に行かなければ。

iphoneで撮影


李恢成『またふたたびの道/砧をうつ女』

2014-03-11 23:17:57 | 韓国・朝鮮

李恢成『またふたたびの道/砧をうつ女』(講談社文芸文庫、原著1969年、1972年)を読む。

本書には、著者34歳のときの処女作「またふたたびの道」、芥川賞受賞作「砧をうつ女」、同時期の「人間の大岩」の初期3篇が収められている。

著者は、日本占領下のサハリンに生まれた朝鮮民族である。日本の敗戦後、母親を亡くし、父親は翌年再婚。その両親や義母たちとともに日本に渡り、朝鮮への帰還をめざすも果たせず、札幌に住むことになる。この3篇は、その両親の生涯や、自分との関わりを描いたものである。

祖国を去り、祖国にたどり着けず、抑圧され続ける、あまりにも過酷な環境。自分の父や母や兄弟姉妹は、決して美化などされることはなく、むしろ汚く醜く描かれる。被害者意識やプロパガンダによって語られることもない。著者は、閉ざされた無間地獄のなかをぐるぐると歩きまわり、あてどなく何かを求める。「何か」が何かさえ、わかったものではない。

植民地支配の実態とは何だったのか、言語を奪われ強制されるとはどういうことか、故郷とは何か、肉親とは何か、そのようなことに対する思索を抜きにしては読めない作品群だ。そして、血で書かれているだけに、小賢しい知識や予断は許してもらえない。日本人であるわたしも、わたし自身の裡の視たくないものに、視線を向けることを強いられるような作品である。

●参照
李恢成『伽�塩子のために』(1970年)
李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』(1973年)
李恢成『円の中の子供―北であれ南であれわが祖国Ⅱ―』(1974年)
李恢成『流域へ』(1992年)
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(2013年)


北井一夫『フナバシストーリー』

2014-03-09 21:04:27 | 関東

北井一夫さんの名作『フナバシストーリー』(1989年)のヴィンテージプリントを観るため、船橋市役所まで足を運んだ。

会期中は平日の業務時間内にしか開いていないが、この日曜日だけ作家・森沢明夫さんとのトークショーがあって、唯一の観る機会だった。

『フナバシストーリー』には、1989年に六興出版から出されたオリジナル版と、2006年に冬青社から出された新版『80年代フナバシストーリー』の2種類がある。『80年代・・・』の前から、古本屋で立ち読みしては欲しいと思っていたのではあったが、2006年に新版が出されたとき、ギャラリー冬青でプリントを観て、これは素晴らしいと感じ入った。

(ところで、そのときに在廊していた北井さんに、伝説のライカM5を持たせてもらったばかりか、わたしの持っていたM4で北井さんを撮ったところ、どれどれ貸してみな、とわたしを撮ってくれたことがあった。)

ただ、新版は新たなプリントをもとにしているため、80年代に焼かれたオリジナルを観るのは、今回がはじめてだ。

これらの写真群は、船橋市からの依頼によって撮られたものであり、団地で生活する人びとや、雑踏で商売したり酒を飲んだりする人びとや、野原や川辺などまだ残っていた自然のなかにいる人びとの姿が捉えられている。六興出版のオリジナル版は持っていないのだが、冬青社の新版に収められていない作品もあった。焼き方も、随分と異なるものだった。しかし、どちらにしても、柔らかい光で包まれた北井写真であり、素晴らしいとしか言いようがない。

トークショーでは、撮影の苦労を話してくれた。『三里塚』ではフィルムを合計200本程度しか使っていないという、極端に撮影枚数の少ない氏だが、『フナバシストーリー』では、数年間をかけて多くの撮影を行わざるを得なかったという。郊外の団地という一見ドラマチックでなく、また、人工的な環境下で、しかも警戒されながら知らない人の部屋に入って撮影していくことが、いかに難しかったかということである。この作品を公表したあと、同様に、多摩ニュータウンからも、一見人間的でない環境と視られがちだった団地の生活を撮って欲しいとの依頼があったという。しかし、北井さんは、もうこんな苦労はできないと断ってしまう。

とはいえ、北井さん曰く、『村へ』は「長男の世界」、『フナバシストーリー』は田舎の跡を継がずに出てきた「二男・三男の世界」。とっつきの良い人ばっかりだったよ、ということだ。

そして、トークショーのあとに、当時作品が掲載された「日本カメラ」誌を手に、この少女は私なんですと言う女性があらわれた。団地の一室で座ってカメラの方を視る写真である。北井さんをはじめ、残っていた人たちみんな仰天。明らかに、この人にとっても団地がふるさとなのだった。

終わってから、研究者のTさんとカメラ談義。

Nikon V1、Leica Summitar 50mmF2.0(開放で撮影、アダプター利用)

>> トークショーの映像

●参照
『神戸港湾労働者』(1965年)
『過激派』(1965-68年)
『1973 中国』(1973年)
『遍路宿』(1976年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『湯治場』(1970年代)
『新世界物語』(1981年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『Walking with Leica』(2009年)
『Walking with Leica 2』(2009年)
『Walking with Leica 3』(2011年)
『いつか見た風景』(2012年)
『COLOR いつか見た風景』(2014年)
中里和人展「風景ノ境界 1983-2010」+北井一夫
豊里友行『沖縄1999-2010』


万年筆のペンクリニック(4)

2014-03-09 09:53:40 | もろもろ

先週の木曜日に、日本橋丸善の「世界の万年筆展」に行ってみたところ、開始2日目だったというのに、割引の「万年筆袋」がもう売り切れていた。もっとも、冷やかしのつもりでもあったから、余計な悩みを抱えなくてもすむというものだ。

折角なので、パイロットのペンドクターの方に、昭和時代のプラチナ万年筆のペン先を調整いただいた。先日本八幡の「ぷんぷく堂」で購入したものだが、細字とはいえほとんど極細に近く、もっとインクフローを良くしたかったのである。

かなり、書き心地が良くなった。ついでにプラチナのコンバーターも入手した。何のインクを入れようか・・・・・・丸善製の「日本橋リバーブルー」か、釧路の佐藤紙店で買った「夜霧」か、それともペリカンのターコイズか。(下らぬことで悩むんじゃない)

 

●参照
本八幡のぷんぷく堂と昭和の万年筆
万年筆のペンクリニック
万年筆のペンクリニック(2)
万年筆のペンクリニック(3)
行定勲『クローズド・ノート』(万年筆映画)
鉄ペン
沖縄の渡口万年筆店
佐藤紙店の釧路オリジナルインク「夜霧」


アントニオ・ネグリほか『ネグリ、日本と向き合う』

2014-03-09 08:35:10 | 政治

アントニオ・ネグリほか『ネグリ、日本と向き合う』(NHK出版新書、2014年)を読む。

2013年にネグリが初来日したときの発言や、それを受けての日本側諸氏の応答からなる。

<帝国><マルチチュード>とは、わかりやすいようでいて、実のところ混乱を内部に孕む概念でもある。

<帝国>は、米国政府に代表されるような<帝国主義>とは異なる。従来型の国家による支配のかたちではなく、国家や多国籍企業などを含めたグローバルな経済社会ネットワークの調整主体である。また<マルチチュード>は、多種多様な、個々が特異な有象無象である。単純な対立の構図を描くことは難しいものであり、これらの概念は、支配側・被支配側の両者に関わってくるように思われる。

したがって、非物質的な価値を生み出す<認知労働>も、決して将来に開かれた望ましい労働の姿とばかりは言えない。本書での発言を読むと、<認知労働>へのシフトが、個人を統治する<生政治>を生んでしまったのだということである。

むしろ重要なことは、2013年の発言においても強調されていた<コモン>を、政治と社会の中心部に据える方法を模索することのようだ。活動によって生み出される価値を、個人や企業や国家などの<私>に、囲い込ませるのではなく、<コモン>を豊かにするために使うあり方、だろうか。勿論、これは、一元的統治ではなく、マルチチュードによる多元的な民主主義という点で、従来型の共産主義とも、保守政権が重視する<公共>とも全く異なる。

それではどうすればよいのかということについては、大きな飛躍が課題として残されている。不完全な思想ということではなく、誰もが模索しているのである。

●参照
アントニオ・ネグリ講演『マルチチュードと権力 3.11以降の世界』(2013年)
アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(上)(2008年)
アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(下)(2008年)
廣瀬純トークショー「革命と現代思想」(2014年)


灰谷健次郎と浦山桐郎の『太陽の子』

2014-03-08 22:10:00 | 沖縄

灰谷健次郎『太陽の子』(新潮文庫、原著1979年)を再読する。前に読んでから、もう15年以上は経っただろうか。

なお、故・灰谷氏は、1997年の神戸児童連続殺傷事件において、「フォーカス」誌が容疑者少年の顔写真を掲載したことに強く抗議し、すべての作品の版権を新潮社から引き揚げた。現在は、角川文庫より出されている。

港に近い神戸の下町。沖縄出身の両親を持つ女子小学生・ふうちゃんは、自宅が営む沖縄料理店に集う人たちとの交流や、沖縄戦での心の傷が原因で精神のバランスを崩している父親を見つめることによって、沖縄の歴史を学んでゆく。

それにしても、「本土」の「捨て石」としての沖縄戦、皇民化教育や日本軍の支配に起因する「集団自決」、経済的な困窮による集団就職、沖縄への差別など、さまざまな要素が詰め込まれていることに、改めて驚かされる。しかも、それらは小説のスパイスではなく、コアそのものななのである。

もっとも、語り口が平易なため、「沖縄」をスパイスとして読むことができるのは確かだ。しかし、より深く読みこむなら、この傑作小説は、平和教育・歴史教育に使うことさえできるのではないか。

あわせて、浦山桐郎が映画化した『太陽の子 てだのふあ』(1980年)を観る。社会派の映画監督とみなされているだけあって、まるで教育映画のようにメッセージを明確に伝える映画になっている。また、神戸や沖縄の観光的な要素も含んでいて、なかなか楽しめる。

見どころは、なんといっても、沖縄料理店の常連客の役として知名定男が登場し、「花の風車(カジマヤー)」などの沖縄民謡を唄ってくれるところだ。画期的な沖縄ポップス『赤花』(1978年)を出した直後の撮影か。やはり良い声だ。

石橋正次や殿山泰司の起用は、大島渚が沖縄を撮った『夏の妹』(1972年)においても主役を演じていたことも、理由だったのだろうか。

●参照
知名定男芸能生活50周年のコンサート
2005年、知名定男
知名定男の本土デビュー前のレコード
大島渚『夏の妹』


北野武『アウトレイジ』、『アウトレイジ ビヨンド』

2014-03-08 10:35:50 | アート・映画

北野武による暴力団の抗争映画『アウトレイジ』(2010年)、『アウトレイジ ビヨンド』(2012年)を観る。

淡々としたトーンを保ちつつ、アクション、暴力、ユーモアを混ぜ込んでいく手法であり、確かに面白い。また、登場人物たちの味のある凶悪顔は圧倒的。

『ビヨンド』において腕をピンと伸ばして銃を撃ち続けるやり方などは、ジョニー・トーの影響ででもあるのかな。しかし、エンターテインメントとしての豊饒さは、トー映画に遠く及ばない。

 


ノーム・チョムスキー講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」

2014-03-07 12:00:06 | 政治

ノーム・チョムスキーによる講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」が、上智大学で行われた(2014/3/6)。

 

※以下、発言要旨は当方の解釈に基づくもの

○19世紀、ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』において、自由の原則を説いた(ヴィルヘルム・フォン・フンボルトに影響されてのもの)。
○また、18世紀、アダム・スミスは、職業の分業化によって、人びとの知性が後退するとの警告を発した。このことはあまり言及されていないが、スミスの中心的思考である。スミスの『道徳感情論』は、人間は他人の幸福を望み、人間の良い面が支配秩序を形成することを望んでいた。スミスは新自由主義のドクトリンのように扱われているが、実は、その本質は異なるものである。有名な「見えざる手」という表現もまれにしか出てこないのであり、しかもそれは、平等な配分を説くために使っているのである。スミスの言説は、新自由主義の都合のよいように変えられてしまっている。
○すなわち、近現代の経済社会については、2つの相異なるヴィジョンが存在すると言ってよい。(1) 古典的な自由主義、(2) 邪で利己的な競争が社会秩序を形成するという新自由主義、である。
○進化論にもそのことはあてはまる。ダーウィン後、ピョートル・クロポトキンは互助的な世界を説き、一方、ハーバード・スペンサーは適者生存の世界を説いた。
○産業資本主義は(2)の体現として富を追求するが、もとより、ミルは、人びとの奴隷化に結び付く賃金制度に反対していた。
○(1)の古典的な自由主義の形式は資本主義において崩れてしまい、(2)が教義として褒めそやされている。しかし、(1)の精神はなお続いている。
○米国はどうか。失業率は統計以上に進み(働くことを諦めた人も多く数字に反映されない)、インフラや教育の充実など行うべきことは山のようにあるにも関わらず、富は、一握りの大企業に集まっている。富の過度な偏在は政治力の偏在をも生み、貧困層はさらに無惨なところに追い込まれている。すなわち、新自由主義が機能不全に陥っているのである。
○これは意図的な政策の結果である。今や定期的に金融危機が訪れる状況だが、その危機の作り手が報酬を得て、リスク回避策により救済もされている。
○米国では、歴史的に、国家的な保護策により、国家が、軍事産業や、ITや医薬品などの先端産業を発展させてきた。その後に、技術を民間に移転する方法であった。これは、本来の市場経済とは程遠い姿だ。
○そしてこれは米国だけの姿ではない。先進国すべてにおいて、支配者が護られ、無防備な人びとが攻撃されている
○また、選挙にオカネがかかり過ぎることも問題であり(献金により政策がわかる)、このことが、市民と政策との驚愕すべきギャップを生み出している。
○福祉国家を目指した欧州においても、新自由主義からの攻撃がなされている。EC(欧州委員会)、ECB(欧州中央銀行)、IMF(国際通貨基金)のトロイカ体制が、緊縮財政を進め、市民に大影響を与えている。このとき、やはりコストを負担するのは所得の下の人・選挙での影響力を与えにくい人であり、喜ぶのは上の人である。
○かつて「グローバル・サウス」は、IMFのプログラム下に置かれ、構造調整の名のもとに米国等の支配を受けた。その意図せざる結果として、ユーゴやルワンダでの民族紛争さえも起きてしまった。
○この15年間ほどの中南米の動きは、はじめて西側のコントロールから脱したという点で、歴史上貴重な展開だと言うことができる(まだ、グアテマラやホンジュラスは支配下にあるわけだが)。
NAFTA(北米自由協定、1994年発効)はどうか。メキシコの多くの国民は、FTAに反対していた。合意とは言えなかった。結果、イデオロギー的には褒めそやされ、米国の医薬品産業が栄え、富豪が増えた。
TPPも同じだろう。法人の利益だけが追求され、秘密裏にことが進められている。
○現在の市場システムは、直接当事者になった者の利益のみを考え、他者を顧みないという点で、外部性を無視したものだ。その外部性としては、(1) 市場システムのリスク、(2) コモンズへの影響、が挙げられる。
○(2)に関連して、シェールガスなどエネルギー増産に沸いている米国は、公衆の理性を超えようとしている。そして、化石燃料の使用を抑制されないため、大企業や支配層によって、気候変動が人為的なものでないとの主張さえなされている。この主張は、福島の放射性物質についての過小評価と同じものだろう。
○それでは、私たちには生き残る見通しはあるのか? 明るさは決してないが、これまで検討を繰り返してきたのである。すべてが死んだわけではない。この過程によって、私たちがどのような生き物であったかわかるだろう。

<質疑応答>

(Q) 日本では原子力の分野でも言論の自由がなくなっている。
(A) 人類史から得られる答えは、大衆の組織行動が効果的であるということだ。それによって、昔より、政府が弱くなり、直接的な暴力を行使しにくくなっている。市民は甘んじる必要はない。

(Q) 学生へのアドバイスが欲しい。
(A) これまで言った通りだ。学生は常に最先端にあり、もっとも自由である。

(Q) プロパガンダにミスリードされないためにはどうすればよいか。
(A) 情報はたくさんある。

(Q) 自らの命をリスクに賭することのない行動として何を考えるか。
(A) 日本や米国は、天安門事件が起きるような社会ではない。何もやらないともっと危ない。

(Q) 沖縄の米軍基地についてどう考えるか。
(A) 解決は東京の人次第だろう。沖縄では、安倍政権のごり押しにも抗して、辺野古反対の名護市長が勝利した。責任転嫁はしてはならないことだ。

(Q) 精神的なものをより重視する社会の構想についてどう考えるか。
(A) 既に啓蒙の時代にその姿は見出されていた。どの社会に進むかは皆さん次第だ。

(Q) 福島原発の事故についてどう考えるか。
(A) 私の考えは皆と同じだろう。酷いことが起きたし、また起こりうるものだろう。どこかでトレードオフが必要だが、その代替策は化石燃料ではもうダメであり、持続可能なエネルギーにシフトすべきだ。ドイツを見よ。リソースを投入すべきだ。

(Q) 米国との軍事行動展開や排外主義の推進による東アジアの危機についてどう考えるか。
(A) 私のアドバイスによってではなく、「声なきアドバイス」に従い、意志をもって導かれるところに進めばよい。

(Q) 政府による「監視」は、市民活動の「抑制」となっているのか。
(A) 興味深い質問だ。政府は監視したところで大したことはできない。多くの情報を収集しても無意味である。米国政府が「テロとの戦い」を標榜し、監視と情報収集を進めたが、テロなど明るみに出たことはない。1件のみ、ソマリアへの送金事例があっただけだ。

(Q) 米国の組織的な労働運動について。
(A) 1920年代には直接的な暴力により抑圧されたが、30年代には復活を遂げた。NAFTA構築のときにも抑圧があった。しかし、やればできる。

(Q) 自由の本質とは何か。自由になるためにはどうすればよいのか。
(A) ルソーも旧い社会を糾弾しているし、読めばわかることだ。自由は人に何かを教えられて獲得するものではない。誰の命令にも屈服しないということだ。

<聴講を終えて>

新自由主義の機能不全や、意図された不完全さについての主張は、既に著作において展開されており新鮮なものではなかったが、やはり明快であり、納得するところが多かった。

また、民主社会の実現に向けての処方箋などないが、誰かの教義によってではなく、自ら検討・判断し、着実に進んでいけば結果が得られるという考えも、決して楽天的に過ぎることはないだろう。(もっとも、会場からの質問は、その「教義」を求めてのものだったようだが。)

気候変動に対しては、チョムスキーは、『Nuclear War and Environmental Catastrophe』(2013年)においても語っているように、かなりの危機感を抱いている。米国では、「気候変動のウソ」は、既得権を護りたい大企業や保守層によってなされているわけである。一方、日本では、気候変動対策のひとつとして原子力が推進されてきたこともあり、またIPCCの「クライメート・ゲート事件」の影響もあり、いまだ、おかしな陰謀論に惑わされる層が、保守層ではなく、リベラル層のほうに見られている。これも知的後退のひとつの現象ではないか。

●参照
ノーム・チョムスキー『アメリカを占拠せよ!』
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』