Sightsong

自縄自縛日記

アルド・ロマーノ『Liberi Sumus』

2017-12-23 08:55:49 | アヴァンギャルド・ジャズ

アルド・ロマーノ『Liberi Sumus』(le triton、2014年)を聴く。

Aldo Romano (ds)
Henri Texier (b)
Vincent Le Quang (ts, ss)

ヴィンセント・レ・クアンは1975年生まれの42歳(このときまだ30代)。はじめて聴くのだが、テナーもソプラノも、その音色がクラを思わせて柔らかく、しかも表現が多彩。柔らかいといえばアンリ・テキシェも昔から柔らかくて好きである。

アルド・ロマーノ。 この人を2010年に観たときにマニッシュな魅力があるのだなと思った。かれのパルスは、肩や肘の起点から短く、しなやかさよりも、最短経路でボディを攻める感じ。

●参照
オーネット・コールマン集2枚(1989、2013年)
アルド・ロマーノ『New Blood Plays "The Connection"』(2012年)
アルド・ロマーノ『Complete Communion to Don Cherry』とドン・チェリーの2枚(1965、88、2010年)
アルド・ロマーノ、2010年2月、パリ(2010年)
ジャズ的写真集(5) ギィ・ル・ケレック『carnet de routes』 (1995年)
スティーヴ・レイシー『free for a minute (1965-1972)』(1965-72年)


ジョアン・レンカストレ(コミュニオン3)『Movements in Freedom』

2017-12-21 07:38:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョアン・レンカストレ(コミュニオン3)『Movements in Freedom』(clean feed、2017年)を聴く。

João Lencastre (ds)
Jacob Sacks (p)
Eivind Opsvik (b)

オーネット・コールマンの「Street Woman」からはじまるピアノトリオのアルバム。とはいえオーネットのような天然ブルース感はない。

どちらかと言えば知的に遊んでいるような感覚で、ジェイコブ・サックスのピアノは内部奏法や特定の音域しか使わない時間など野心的なのだが、上品すぎてちょっと物足りない。アイヴィン・オプスヴィークはここではさほど自分のカラーを押し出していない。

聴きどころはレンカストレのドラムスで、ビートから自由に外れて横方向に広がる不定形ぶりはラシッド・アリも思わせる。

●ジェイコブ・サックス
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas V』(JazzTokyo)
(2016年)
デイヴィッド・ビニー『The Time Verses』(2016年)
スペラッツァ+カマグチ+サックス『Play Dameron』(2015年)
アイヴィン・オプスヴィーク Overseas@Seeds(2015年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas IV』(2011年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas III』(2007年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas II』(2004年)

●アイヴィン・オプスヴィーク
ブランドン・シーブルック『Die Trommel Fatale』(JazzTokyo)(-2017年)
デイヴィッド・ビニー『The Time Verses』(2016年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas V』(JazzTokyo)(2016年)
アイヴィン・オプスヴィーク Overseas@Seeds(2015年)
トニー・マラビー『Incantations』(2015年)
ネイト・ウーリー『(Dance to) The Early Music』(2015年)
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas IV』(2011年)
ネイト・ウーリー『(Put Your) Hands Together』(2011年)
トニー・マラビー『Paloma Recio』(2008年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas III』(2007年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、12年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas II』(2004年)


ルイ・ヘイズ@Cotton Club

2017-12-21 00:12:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

丸の内のコットンクラブで、待望の再来日ルイ・ヘイズ(2017/12/19、2nd)。

Abraham Burton (ts)
Steve Nelson (vib)
David Bryant (p)
Dezron Douglas (b)
Louis Hayes (ds) 

2015年の来日メンバーと同じであり、また、最新作『Serenade for Horace』からトランペットのジョシュ・エヴァンスが欠席の形(残念!)。とはいえとても嬉しいのだ。

曲は、デイヴィッド・ブライアントのオリジナル、ホレス・シルヴァーの曲。そして「Don't Explain」においては、ヘイズのブラシが静かにしゅばるばっと舞い上がってきて得も言われぬ感動にとらわれた。ヘイズは聴こえるか聴こえないかくらいの音にもたいへんな存在感がある。もちろん、かれならではの嵐のようなシンバルワークも、それが勢いにのってきてバスドラムと一緒に巻き起こす暴風雨も、それはもう見事であると同時に、ヘイズにしか出せない味わいとなっている。

今回もエイブラハム・バートンは熱かったが、余裕もあった。ブライアントのリズムを微妙につっかかるように変化させるプレイも良いし、それゆえに、ピアノとヴァイブとが一緒に混ざり合わず、異なる層を形成した。ネルソンのヴァイブは、たとえばミルト・ジャクソンの丸くヴェルヴェットのような音色とは対極にあり、エッジが四角く、ユーモラスでもあった。

テナーのレイモンド・マクモーリンは翌日のショウを観るんだと言っていたので、また感想を聞くのが楽しみである。ブライアントはかれともしばしば共演しており、終わった後に話すと、今度の来日は来年の7月あたりかなと言った(9月にNYのスモールズでは1-2月くらいにと口にしていたが、それがヘイズとの共演で前倒しになった)。真面目で彩りがあって、実にいいピアニストである。

ご一緒したライターの小峰さんとTOKIAの酒場で楽しく呑んで帰った。

●ルイ・ヘイズ
ルイ・ヘイズ『Serenade for Horace』(-2017年)
ルイ・ヘイズ@COTTON CLUB(2015年)
ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』(2013年)
ジャズ・インコーポレイテッド『Live at Smalls』(2010年)
ルイ・ヘイズ『Dreamin' of Cannonball』(2001年)
ルイ・ヘイズ『The Real Thing』(1977年)
フレディ・ハバード『Without a Song: Live in Europe 1969』(1969年)

●エイブラハム・バートン
エイブラハム・バートン・カルテットとアフターアワーズ・ジャムセッション@Smalls(2017年)
ルイ・ヘイズ『Serenade for Horace』(-2017年)
ジョシュ・エヴァンス@Smalls(2015年)
ルイ・ヘイズ@COTTON CLUB(2015年)
ルシアン・バン『Songs From Afar』(2014年)
ジョシュ・エヴァンス『Hope and Despair』(2014年)
ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』(2013年)

●デイヴィッド・ブライアント
エイブラハム・バートン・カルテットとアフターアワーズ・ジャムセッション@Smalls(2017年)
ルイ・ヘイズ『Serenade for Horace』(-2017年)
レイモンド・マクモーリン@Body & Soul(JazzTokyo)(2016年)
ルイ・ヘイズ@COTTON CLUB(2015年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)


アーチー・シェップ『Tribute to John Coltrane』

2017-12-19 08:29:26 | アヴァンギャルド・ジャズ

アーチー・シェップ『Tribute to John Coltrane』(Jazz Time、2017年)を聴く。

Archie Shepp (ts, vo)
Marion Rampal (vo)
Shabaka Hutchings (ts)
Amir ElSaffar (tp)
Jason Moran (p)
Daryll Hall (b)
Nasheet Waits (ds)

今年2017年7月3日、フランスでの演奏。「Syeeda's Song Flute」、「Naima」、「Cousin Mary」といったジョン・コルトレーンの曲に加え、「Blase」、「Hambone」などシェップ得意のチューンが演奏されている。

驚いたことに、シェップ爺はシェップのあの味だけで他を圧倒している。かれの音はひっくりかえりでんぐりがえり、内臓をさらけ出す。共演者は気の毒なのか幸運なのか。しかしその中でも、ジェイソン・モランは強靭なピアノを弾き耳に刺さってくる。さすが。

●アーチー・シェップ
ヨアヒム・キューン『Voodoo Sense』(2012年)
アーチー・シェップ+ヨアヒム・キューン『WO! MAN』(2011年)
アーチー・シェップ『Tomorrow Will Be Another Day』(2000年)
アーチー・シェップ+ジーン・リー『African Moods』(1984年)
アーチー・シェップの映像『I am Jazz ... It's My Life』(1984年)
イマジン・ザ・サウンド(1981年)
アーチー・シェップ『The Way Ahead』(1968年)
アーチー・シェップ『The Way Ahead』 その2(1968年)
サニー・マレイのレコード(1966、69、77年)
アーチー・シェップ『Mama Too Tight』(1966年)
ロヴァ・サクソフォン・カルテットとジョン・コルトレーンの『Ascension』(1965、95年)
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド(1962、63、65年)
セシル・テイラー初期作品群(1950年代後半~60年代初頭)


『上野英信展 闇の声をきざむ』

2017-12-16 09:54:57 | 思想・文学

『上野英信展 闇の声をきざむ』と題された展示が福岡市文学館で開かれていた。遠くてちょっと行けないので、図録を読んだ。直接取り寄せるつもりだったが、新宿の模索舎で入手することができた。

山口で生まれ北九州で育った上野英信は、満洲建国大学に進み、大日本帝国のエリートの道を歩みはじめていた。ところが宇品で原爆にあい、心の中に闇を抱える。敗戦後編入した京都大学を中退し、かれは筑豊の炭鉱へと向かった。これが、記録作家・上野英信のはじまりである。

たえず現場や個人を追っていた上野に対し、谷川雁は「鬼ゴッコ」と揶揄した。『追われゆく坑夫たち』の出版記念会においては、谷川は、「せっかく一度、思想の範型として追いつめられようとしたイメージが実態と縁を切ることができないために、マイナスの労働者像が形而上化され、聖化されてしまっている」と批判もしている。また、谷川は、石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(タイトルは上野が考えた)に対しても、<水俣以前>の水俣や患者を聖化したと、同様の批判を展開している。しかし本書において井上洋子氏が指摘するように、それは、暗部や闇を掘り下げていった上野や石牟礼の世界を正当に評価したものとは言えまい。「鬼ゴッコ」こそが上野英信が残した作品の価値に他ならない。

上野は、炭鉱離職者たちが南米移民になった姿を『出ニッポン記』で描いている。これは政府の棄民政策のひとつだが、さらにさかのぼり、20世紀初頭に沖縄からメキシコ、キューバへと出て行った者の存在は、上野にとっては発見であり驚きであった。やはり炭鉱労働者として。これが『眉屋私記』として結実するわけだが、実は、その続編的な作品の構想もあったという。上野がもっと生きていたなら、沖縄についてさらに掘り下げていたのだろう。

それにしても、炭鉱、移民、沖縄。また、熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』にあるように、原発。すべてが差別政策と棄民政策というキーワードでつながってくる。これは結果ではなく明確な政策であった。本書の巻末に収録された、上野による講演「解放の思想とは何か」に次のようにある。まさに現在ゾンビのごとく蘇っているかたちではないか。

「・・・文盲政策というものが日本の資本主義の中には一貫してあったんだということを、私たちは忘れてはならないと思います。覚えたくても覚えさせてくれない。字が読めなければ読めないほどいい。そういう文盲な人を必要とする、そういう資本主義の構造というものを日本の資本主義はもっておったわけです。」

そしてまた、差別にも結果としてではなく意図的な政策の関連があった。

「・・・筑豊だけでも三百を越すが散在しておるということでありますけれども、これはただ単に炭鉱の近くにがあるということだけではありません。(中略)ほとんど例外なしに、炭鉱が坑口をあけるときにはの土地をねらうわけです。」

●参照
上野英信『追われゆく坑夫たち』
上野英信『眉屋私記』
伊藤智永『忘却された支配』
西嶋真治『抗い 記録作家 林えいだい』
奈賀悟『閉山 三井三池炭坑1889-1997』
熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』
熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
本橋成一『炭鉱』
勅使河原宏『おとし穴』(北九州の炭鉱)
友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』
本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(九州の仮想的な炭鉱)
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』
石井寛治『日本の産業革命』
高野秀行『移民の宴』(沖縄のブラジル移民)
松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』(沖縄の台湾移民)
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(日系移民)
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー


TUMO featuring 熊坂路得子@Bar Isshee

2017-12-13 07:39:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

千駄木のBar Issheeに足を運び、TUMO featuring 熊坂路得子(2017/12/12)。

TUMO:
Yuma Takeshita 竹下勇馬 (b)
Yuji Ishihara 石原雄治 (ds)
Guest:
Rutsuko Kumasaka 熊坂路得子 (accordion)

TUMOのゲストシリーズ48回目だそうであり、これまでのゲストを見ると錚々たる面々。メテ・ラスムセンさんがいないと言うと、それは逆にTUMOがゲストだったからだとのこと。今回はアコーディオンの熊坂路得子さん。なお、名前の表記が、特段の使い分けがなく「路得子」だったり「るつ子」だったり「るつこ」だったりして、本人も探すのが大変だと笑っていた。

ファーストセットは初顔合わせのためか、おのおのが接点を探るように音を出し始めた。やがて熊坂さんが跳躍するようにエアとともに音を発し、連続的なものへとつながってゆく。それが大きな波だとすると、TUMOのふたりは遊ぶように波間から顔を出したり隠れたりする。波が鎮まると、竹下さんのベースの音があらわになり、ああこれが基底音になっていたのかと気づかされる局面があった。ドラムスも前面に出てくる時間があり、それでも飄々と遊んでいる感。

セカンドセットは、先の分散型と異なり、最初から連続的。熊坂さんのアコーディオンはまるで波動砲である。サウンド全体も個々の演奏も、コアを見せたりちょっと距離を置いて痙攣したりと、聴く者をくすぐるようですごく面白い。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●竹下勇馬
竹下勇馬+中村としまる『Occurrence, Differentiation』(2017年)
二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+アルフレート・23・ハルト+竹下勇馬@Bar Isshee(2017年)
『《《》》 / Relay』(2015年)
『《《》》』(metsu)(2014年)

●石原雄治
窓 vol.2@祖師ヶ谷大蔵カフェムリウイ(2017年)
『《《》》 / Relay』(2015年)
『《《》》』(metsu)(2014年)

●熊坂路得子
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)


高橋知己『Lady in Satin』

2017-12-12 08:21:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

高橋知己『Lady in Satin』(Aketa's Disk、2011年)を聴く。

Tomoki Takahashi 高橋知己 (ts, ss)
Kazuhide Motooka 元岡一英 (p)
Satoshi Kosugi 小杉敏 (b)
Fumio Watanabe 渡辺文男 (ds)

最近までこの盤のことを知らなかった。ビリー・ホリデイの名盤『Lady in Satin』の収録12曲がすべてプレイされている。思い出してビリーのそれを改めて聴くと、それは涙が出そうに素晴らしいものだが、この再演もまた良い。

尖ったものを求めてばかりいたせいか、高橋知己さんのプレイにしばらく接していなかったのだが、今年のライヴ同様、この盤の音にもやられてしまう。ゆったりとして焦らず、エッジが丸い様は、『In London』や、マット・ウィルソンのリーダー作『As Wave Follows Wave』におけるデューイ・レッドマンの晩年の発酵ぶりを想起させるものがある。「Glad to be Unhappy」なんてグッとくる。

そしてフィーチャーされている渡辺文男もまた、たぶん同じような理由でしばらく聴いていなかった。実に味のあるドラミングなのだ。本田竹広の『Minton Blues』の音が脳裏に蘇ってくる。あれもまぎれもなく渡辺文男の音であったことに、今ころ気づいている。

●高橋知己
本多滋世トリオ@駒澤大学Bar Closed(2017年)
高橋知己『Another Soil』(1980年)

●ビリー・ホリデイ
ビリー・ホリデイ『At Monterey 1958』(1958年)


宮里綾羽『本日の栄町市場と、旅する小書店』

2017-12-12 07:39:59 | 沖縄

宮里綾羽『本日の栄町市場と、旅する小書店』(ボーダーインク、2017年)を読む。

栄町市場の雑踏や雰囲気がとても好きで、那覇に行くたびに中をうろうろするのだが、いつも迷う。実はそれが愉しくもあるし、本書によれば、新しいお店がなお出来ているらしい。「potohoto」や「生活の柄」など知っているお店も登場したり、名前は存じ上げないが、あああそこに、という人のことも書かれている。

著者の宮里綾羽さんは、栄町市場にある「宮里小書店」の副店長である。お父さん(店長)は、里国隆の歌声や、最近発表した『琉球弧の祭祀―久高島イザイホー』を録音したりもした宮里千里さん。書店の本はハトロン紙のカバーがかけられていて、選ぶのが気持ちいい。

最初に訪ねたときは店長が「熱が出た」とかでお休みで、隣のお店の金城さん(この本ではじめて名前を知った)が留守番をしていた。そのときは、澤地久枝『もうひとつの満洲』を選んだ。

次に去年の秋に訪ねたときには、副店長の宮里綾羽さんがいて、なぜか隣の金城さんがコーヒーを出してくださった。そのときわたしは故あって眼帯をしていたのだが、これこれこういうわけで眼帯を、と説明すると、綾羽さんは、絶対治りますよという言葉をくれて、ついでにバス停に案内までしてくれた。言葉というものはとても大事なものだから、わたしはこのことを決して忘れない。

そういえばそのとき買った文庫本2冊をまだ読んでいない。

●栄町市場
城間ヨシさん、インターリュード、栄町市場(2007年)
Leitz Elmarit 90mm/f2.8 で撮る栄町市場と大城美佐子(2007年)
栄町市場ライヴ(2007年)
栄町市場(2007年)


即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』

2017-12-11 21:58:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

大田区のいずるばにおいて、即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017/12/10)。

齋藤徹(コントラバス)
矢萩竜太郎(ダンス)
大塚惇平(笙、うた)
ヤシャ・フィーシュテート(ダンス)
ユーディット・ヴィルヘルム (ダンス)
石川勇太(ダンス)
皆藤千香子(ダンス)
荒川創也 (美術、パフォーマンス)

インプロのダンス、音楽、アートのパフォーマンスを2セット。次々に、その直前の展開を受けて変わり続ける展開があり、意思と意志が場に充満した。

ダンサー5人の持ち味の違いはとても面白いものだった。ヤシャさんは幾何学的でメカニカルな動き。ユーディットさんは鳥が大らかに飛翔するような円環を描く。石川さんは水が流れるようでいて、悲しみの感情も身にまとっている。矢萩さんはその都度泡立つような感覚、ヴァイブレーションか。そして皆藤さんは何かを一身に引き受けて、上下左右にそのエネルギーを弧として形作り消滅させる。

ヤシャさん、ユーディットさん、石川さんが、知恵の輪というか人間の輪のように自ら絡まり相手を引っ張る姿に見とれていると、テツさんの弦の音が響き、心臓がどきりとした。コントラバスによる音の擾乱の横で、大塚さんの笙は、場のエーテルを創り続けている。また、荒川さんのアートは、それを描き出す音がサウンドの一部となり、ときにはカリカチュア化された人間のように介入した。

物語性を説明しがたいというのは矛盾か、しかし、物語性は物語ではない。矢萩さんとユーディットさんとの一体不可分の関係と離別と再会、幽霊のような石川さんの哀しみ、荒川さんが紙をばらばらに引き裂くことの象徴的なもの、音楽があるムードに引き寄せられてゆくことの諦念、……。そんななかで、皆藤さんが介入して場を活性化させるとき、そこには広場やトラフィックが創出された。それこそが人びとの集まる社会という物語のように思えた。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、XF35mmF1.4

●齋藤徹
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
長沢哲+齋藤徹@東北沢OTOOTO(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 


ジョー・ヘンダーソン『Jazz in Marciac 1994』

2017-12-10 10:37:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョー・ヘンダーソン『Jazz in Marciac 1994』(Jazz Time、1994年)を聴く。

Joe Henderson (ts)
Bheki Mseleku (p)
George Mraz (b)
Al Foster (ds)

ジョーヘンにアル・フォスターとくれば、1985年のヴィレッジ・ヴァンガードでのピアノレストリオを思い出す。ベースは、弦がユルユルで好みでないロン・カーターではなくジョージ・ムラーツ。そして最初の2曲はトリオなのだ。

3曲目、上記のVV盤でも演奏していたサム・リヴァースの名曲「Beatrice」になって、ベキ・ムセレクのピアノが入ってくる。2008年に若くして亡くなってしまったが、良い作品をたくさん出していた人である。特に、『Beauty of Sunrise』は、同国人のアブドゥーラ・イブラヒムにも通じるピアノの芳香と、気持ちのいいアンサンブルと、エルヴィン・ジョーンズらの勢いが混じった、なかなかの傑作だった。ここではそれほど特徴的なソロを取るわけではないけれど、ドライな雰囲気に華やかさを与えているようで嬉しい。

そしてアル・フォスターの荒々しい豪放さにも魅かれる。今年の9月にNYに行ったときに、SMOKEに特別出演していた。無理しても駆けつければよかったか。

●ジョー・ヘンダーソン
ジョー・ヘンダーソン『Lush Life』、「A列車で行こう」、クラウド・ナイン(1991年)
ジョー・ヘンダーソン+KANKAWA『JAZZ TIME II』(1987年) 
マッコイ・タイナーのサックス・カルテット


フローリアン・ヴァルター『Bruit / Botanik』

2017-12-09 10:59:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

フローリアン・ヴァルター『Bruit / Botanik』(umland records、2016年)を聴く。

Florian Walter (as, bs, contrabass-cl, reed-tp)

先日のライヴの際に本人の持ち込みを買った。

ここでフローリアン・ヴァルターはさまざまな管楽器を吹いているのだが(リード・トランペットって何?)、まったく多重録音は使っていない。倍音と共鳴とノイズとブレスのショウケースのようなものである。ウェットでありドライ、音もメンタルも。面白い人がいたものである。

●フローリアン・ヴァルター
フローリアン・ヴァルター+照内央晴+方波見智子+加藤綾子+田中奈美@なってるハウス(2017年)


レイモンド・マクモーリン+山崎比呂志@なってるハウス

2017-12-09 09:40:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

入谷のなってるハウスで、3か月前に続き、ふたたび、レイモンド・マクモーリン~山崎比呂志デュオ(2017/12/8)。

Raymond McMorrin (ts)
Hiroshi Yamazaki 山崎比呂志 (ds)

この日もフリー。レイモンド・マクモーリンはジョン・コルトレーンのフレージングを思わせる感じでスタートしたが、その後はトレーンのフレーズもスタンダードの断片もまるで提示することなく、ひたすらに自身の音色を発し続けた。ときにヴォイスを吹き込む野太い音、循環呼吸奏法、抑えてタンポの当たる音、素晴らしい倍音の数々。しばらく寝かせておいたメタルのマウスピースを使ってみたそうであり、その新鮮さも影響したのかもしれない。セカンドセットではネックを外して吹いたりもしたが、あとで訊くと、そのまま吹いていたら出せない音があるからだと言った。

そしてレジェンドの山崎比呂志。大きなホイール、上下が合わないハイハットのシンバル、ぶら下げた鐘など変わらずユニークである。それらを使い、実に拡がりがあり、味わいのある音を出す。スピードでもパワーでも既存のメソッドでもない。山崎比呂志なのだ。やはり聴き惚れてしまった。

山崎さんに、『三里塚のイカロス』のこと、三里塚の野外での演奏でキャベツが飛んできたこと、阿部薫のこと、クリス・ピッツィオコスとの共演のことなどを訊いた。来年の元日には鹿島のショッピングモールでレイモンドとのカルテットで演奏するとのこと。また下北沢のレディジェーンでの演奏の予定もあるそうだ。

雨はやんでいたが山崎さんがクルマで入谷の駅まで送ってくださった。そしてレイモンドさんとサム・リヴァースだのアンソニー・ブラクストンだのジャズ話をしながら帰った。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●山崎比呂志
レイモンド・マクモーリン+山崎比呂志@なってるハウス(2017年)
山崎比呂志 4 Spirits@新宿ピットイン(2017年)
阿部薫+山崎弘『Jazz Bed』(1971年)

●レイモンド・マクモーリン
レイモンド・マクモーリン+山崎比呂志@なってるハウス(2017年)
山崎比呂志 4 Spirits@新宿ピットイン(2017年)
レイモンド・マクモーリン@Body & Soul(JazzTokyo)(2016年)
レイモンド・マクモーリン@h.s.trash(2015年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)


南方熊楠『森の思想』

2017-12-08 07:53:01 | 環境・自然

南方熊楠『森の思想』(河出文庫、編集版1992年)を読む。

「南方熊楠コレクション」として熊楠の書いた文章をテーマ別に編集したシリーズ全5冊のひとつであり、2015年に、いまの河出文庫のカバーデザインに新装された。

編者は中沢新一であり、535頁のうち約4分の1の134頁が氏の「解題」によって占められている。わたしは氏のもっともらしく牽強付会的な文章はまったく好みでない。ここでも、熊楠が粘菌を植物ではなく動物だと考えたことから、マンダラ論や東アジア独自論に結び付けている。もはや80年代の古臭さしか感じないのであり、あまり読む必要はないだろう。

もちろん耳を傾けるべきは、好奇心が無数の触手となって話があちこちに飛ぶ熊楠の語りである。

よく言及される、粘菌や冬虫夏草などの特異性はそのひとつだ。また、ヘンなキノコが陰部に似ているといって騒いでみたり、いちはやくマッシュルームの缶詰について論じてみたり(栄養は汁にあるので捨てずにすべて調理に使うよう指導している)。陰部といえば、自分自身も実験台としているし、ほとんど猥談のような文章も少なくない。あるいは、森の中で樹液等が発酵して酒のようなものがぶくぶくと湧いてくるくだりなど、おとぎ話を聴かされているようだ。

「前年切った竹株から第二図のごとく葛を煮たような淡乳白色無定形の半流動体がおびただしく湧き出で、最初はその勢凄かったと見えて、少団塊が四辺へ散乱して卵の半熟せるを地に抛げ付けた状を呈し、竹の切口内には蟹が沫吐くごとくまだブクブクと噴いておった。」

本書の後半には、明治末期からの神社合祀に抗する文章が収録されている。熊楠が、森の生物多様性や、治水を含め環境保全などについて、強いヴィジョンを持っていたことがよくわかるものである(それにより金儲けをする者への怒りも少なくない)。これが当時から広く受容され共有されていたならば、昭和の環境破壊の様子もずいぶんと異なっていたことだろう。


松風M.A.S.H. その2@なってるハウス

2017-12-07 23:51:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

松風鉱一さんはもともとあまりフリージャズには近くなくて、曲から発展していく人だった。ところが今年になって、いきなりM.A.S.H.への客演(2017/6/23)。仕掛けたのは松風さんの弟子であり(不肖のわたしともきょうだい弟子)、M.A.S.H.のセッションにも頻繁に参加しているSさんである。その2回目の邂逅(2017/10/20)には行けなかったのだが、先日、なってるハウスでばったり遇ったときにSさんがその録音を貸してくれた。

写真もSさんによる

Shiro Onuma 大沼志朗 (ds)
Junji Mori 森順治 (reeds)
Hiraku Amemiya 雨宮拓 (p)
Guest:
Koichi Matsukaze 松風鉱一 (sax)

確かに前回は、M.A.S.H.のサウンドに対して、松風さんはどう介入していこうかと見極めていくような過程があった。ところがこの第2回は、最初からがっちりと入っている。

大沼さんのマッシブなパルス、雨宮さんの知的な流れがあって、そのうえで、森さんと松風さんというまるで異なる個性がぶつかり重なっている。森さんはアメーバのように不定形、松風さんは構造と複雑な旋律、そしてややささくれた音色。これは面白い。セカンドセットではSさんも参加したといい、その効果もまた面白い。観にいきたかったなあ。

このライヴのあとに森さんと話をしたら、松風さんはインプロを愉しんでぐいぐい入ってきているそうである。巨匠第二幕か。恐ろしい予感!次の回には万難を排して駆けつけたい。

●M.A.S.H.
鳥の未来のための螺旋の試み@ひかりのうま(2017年)
毒食@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2017年)
松風M.A.S.H.@なってるハウス(2017年)
林ライガ vs. のなか悟空@なってるハウス(2017年)
リアル・タイム・オーケストレイション@Ftarri(2016年)
森順治+高橋佑成+瀬尾高志+林ライガ@下北沢APOLLO(2016年)
本多滋世@阿佐ヶ谷天(2016年)
M.A.S.H.@七針(2016年)
森順治+橋本英樹@Ftarri(2016年)
M.A.S.H.@七針(2015年)

●松風鉱一
松風M.A.S.H.@なってるハウス(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その3)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2016年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その2)
松風鉱一@十条カフェスペース101(2016年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その1)
渋谷毅エッセンシャル・エリントン@新宿ピットイン(2015年)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2015年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)
5年ぶりの松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2013年)
松風鉱一カルテット@新宿ピットイン(2012年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2008年)
松風鉱一カルテット、ズミクロン50mm/f2(2007年)
原みどりとワンダー5『恋☆さざなみ慕情』(2006年)
松風鉱一『Good Nature』(1981年)
『生活向上委員会ライブ・イン・益田』(1976年)
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』 
反対側の新宿ピットイン
くにおんジャズ、鳥飼否宇『密林』


PEOPLEの3枚

2017-12-05 21:35:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

この9月にニューヨークでケヴィン・シェイとハコからハコへ一緒に歩いていったことがあって、その間にTalibam!やMostly Other People Do the Killing(MOPDtK)のことなんかを訊いていると、かれとメアリー・ハルヴァーソンとによるユニット「PEOPLE」の話になった。いや聴いたことがないと言うと、そのあと、MOPDtKのライヴのときに全3枚を持ってきて贈ってくれた。

『People』(I And Ear、-2005年)

Kevin Shea (ds, vo)
Mary Halvorson (g, vo)

真っ赤な半透明のヴァイナル。メアリーの情緒不安定な歌声がひたすらに目立っている。

『Misbegotten Man』(I And Ear、-2007年)

Kevin Shea (ds, vo)
Mary Halvorson (g, vo)

この第2作だけCDで、手持ちのヴァイナルがもう無いのかなと思っていたのだが、実はCDのみリリースされたのだった。

変態ロックはさらに変態臭を増し、メアリーの声もギターも歪みまくりケヴィンのドラムスは不定形。うおお。

『3 X A Woman: The Misplaced Files』(Telegraph Harp、-2014年)

Kevin Shea (ds, vo)
Mary Halvorson (g, vo)
Kyle Forester (b, g, vo)
Peter Evans (tp) (1, 2, 4 and 6)
Sam Kulik (tb, bass tb) (1, 2, 4 and 6)
Dan Peck (tuba)  (1, 2, 4 and 6)

と思っていたら、またさらなる変態的進化。

曲によりピーター・エヴァンスのアレンジによるホーンセクションが入り、メアリーの歪んだサウンドとガーリーな歌声と奇妙にマッチして、異常に快感を覚える。なんというコンセプトなのか、ケヴィン・シェイもカイル・フォレスターも女装した写真が内袋を飾り、かれらの声も性差を越境。

3枚の中ではこれがもっとも好きになった。

●メアリー・ハルヴァーソン
トム・レイニー・トリオ@The Jazz Gallery(2017年)
トマ・フジワラ『Triple Double』(2017年)
メアリー・ハルヴァーソン『Away With You』(2015年)
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
『Illegal Crowns』(2014年)
トマ・フジワラ+ベン・ゴールドバーグ+メアリー・ハルヴァーソン『The Out Louds』(2014年)
メアリー・ハルヴァーソン『Meltframe』(2014年)
アンソニー・ブラクストン『Ao Vivo Jazz Na Fabrica』(2014年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
『Plymouth』(2014年)
トム・レイニー『Hotel Grief』(2013年)
チェス・スミス『International Hoohah』(2012年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
イングリッド・ラブロック『Zurich Concert』(2011年)
メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』(2013年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
ステファン・クランプ+メアリー・ハルヴァーソン『Super Eight』(2011年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
アンソニー・ブラクストン『Trio (Victoriaville) 2007』、『Quartet (Mestre) 2008』(2007、08年)

●ケヴィン・シェイ
MOPDtK@Cornelia Street Cafe(2017年)
Pulverize the Sound、ケヴィン・シェイ+ルーカス・ブロード@Trans-Pecos(2017年)
Bushwick improvised Music series @ Bushwick Public House(2017年)
Talibam!『Endgame of the Anthropocene』『Hard Vibe』(JazzTokyo)(2017年)
ヨニ・クレッツマー『Five』、+アジェミアン+シェイ『Until Your Throat Is Dry』(JazzTokyo)(2015-16年)
クリス・ピッツィオコス『Gordian Twine』(2015年)
MOPDtK『Blue』(2014年)
MOPDtK『(live)』(2012年)
MOPDtK『The Coimbra Concert』(2010年)
ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』(2009年)
MOPDtK『Forty Fort』(2008-09年)