以前定期的に読んでいた雑誌だかメールマガジンだかで、ずっと著者のエッセイは読んでいた。いつしか名前を聞かなくなったのは購読を止めたからか、連載が終了したからか記憶になかったが、著者の経歴を見るにひょっとしたら家族の介護とかで疲れて自らも病となり、執筆活動を中断していたのかもしれない。
本書は、著者が四国八十八ヶ所の「歩き遍路」をした記録。四国遍路の中でもっともプリミティブな「通し打ち」「歩き」である。日々の細かな記録ではなく、要所要所での出来事が綴られており、外国人巡礼者の話題が多い。四国遍路以前に行ったサンティアゴ(・デ・コンポステラ)巡礼があったせいなのだろう。
巡礼者とくに歩き遍路の多くは、のべ40日以上の巡礼中にさまざまなことを考え、己を省みて何かに気付き目覚めるようだ。著者も最後に神秘的な体験をし、それが本書のタイトルに結びついたとも思える。
巡礼のスタイルは百人百様、最適解などないはず。この人はこう歩きこう思った、一つの貴重な物語を披露して頂いたと思った時、自分も既に巡礼者の一端にいるのかもしれない。そう、自分も、いつかは。
2020年2月25日 自宅にて読了
本書は、著者が四国八十八ヶ所の「歩き遍路」をした記録。四国遍路の中でもっともプリミティブな「通し打ち」「歩き」である。日々の細かな記録ではなく、要所要所での出来事が綴られており、外国人巡礼者の話題が多い。四国遍路以前に行ったサンティアゴ(・デ・コンポステラ)巡礼があったせいなのだろう。
巡礼者とくに歩き遍路の多くは、のべ40日以上の巡礼中にさまざまなことを考え、己を省みて何かに気付き目覚めるようだ。著者も最後に神秘的な体験をし、それが本書のタイトルに結びついたとも思える。
巡礼のスタイルは百人百様、最適解などないはず。この人はこう歩きこう思った、一つの貴重な物語を披露して頂いたと思った時、自分も既に巡礼者の一端にいるのかもしれない。そう、自分も、いつかは。
2020年2月25日 自宅にて読了