日々のつれづれ(5代目)

旅行レポート以外の、細々としたこと。
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2021年4月11日 【ハイク】関東ふれあいの道(千葉ー8)

2021-04-26 20:00:00 | 旅行・ハイク&ウォーク
 関東ふれあいの道ウォーク千葉編、今週は最難関に挑む。距離やルートが難関なのではなく、コースまでのアクセスが難関。高速バス減便もあり、木更津まで自分の車で往復アクアライン経由とした。渋滞が怖いので5時過ぎに出発、駅近くの安い駐車場(24時間300円!)に停めて7時開店の牛丼屋で朝食、7時半前のJR久留里線ディーゼルカーで終点の上総亀山へ。この列車を逃すと、終点まで行く列車は13時過ぎまでない。駅前から予約(0439-27-3188)しておいた君津市デマンドタクシーでコース始点の香木原(かぎはら)バス停へ、500円。列車の時刻、デマンドタクシーの事前電話予約と斯様にハードルが高いのである。
 本日は長袖アンダー+長袖シャツ+ハードシェル、歩行中はアンダーのみか、稜線で風に吹かれた時のみアウター着用。昼食はおにぎり3個、他にチョコとナッツ。水は500mlx2本。もう気温が上がってきたので、500ml+1Lにすべきかな。

千葉県コースマップ

(23)滝のあるみち(約8.5km)
 準備をして9:00香木原バス停を出発。林道香木原線から渕ヶ沢線と緩やかな上りの舗装路を歩いてゆく。一帯は清和県民の森で、深い。林道からそれた自然歩道コースに入ると小さなアップダウン、片側は深い谷とハードコースになる。オートキャンプ場から再び林道に戻り、緩やかに下ってゆく。山道区間には絶景ポイントがあり確かに良かったが、林道を迂回しても緑の中のウォーキングを楽しめたな。
 気に入った休憩ポイントが見つからず、ノンストップで11:40(24)との分岐点着。本コースはバス停に向かうが、そちらへは向かわず反対側へ進む(24)コースへそのまま歩いてゆく。

(24)ニホンザルと出会うみち(約9.0km)
 本コースは公式サイトでは倒木のため通行止となっているが、最近歩いた人の山行録を見つけたのでチャレンジ。通れなかった場合の引き返しも考慮しておいた。
 (23)との分岐点11:40発、ほどなく山道に入る。歩き始め山道に入った途端に倒木。その後も倒木や落石が続くがどこも周囲に迂回する踏み跡がつき、結構な数の人が歩いていると思われる。事実、360度絶景の高宕山頂(写真)周辺で相次いで合計10人ほどのハイカーとすれ違った。
 コースが荒れているだけでなく、山道が苦手な自分には試練の登りが続いたが、高宕山を下り高宕神社からは、トレランもできそうな整ったコースが石射(いしい)太郎山を過ぎ林道高宕線に出る登山口まで続いた。
 途中、鞍部からの高宕山頂往復(0.6㎞)、高宕観音へ曲がらず(看板が破損して表示がなかった!)間違えて行った眺望素晴らしい北テラス往復と余分に時間を要し、コース終点の植畑本郷バス停には15:40着と、4時間もかかってしまった。そのぶん絶景を見られたので、無駄足ではなかったが。それにしても千葉の森は深い。房総丘陵の向こうに東京湾まで見え、天気も良く最高だった。
 バスを2時間近く待つのが嫌でさらに3㎞ほど歩き、他の系統が来る清和公民館16:20着、16:29にバス。待っているより1時間短縮。休憩は高宕山観音の境内で20分、ドリップコーヒーした一回。

 その後の戻りもひと苦労。余分に歩いて乗ったコミュニティバスは駅までは行かず、途中(中島)で路線バスに乗り換え。辿り着いた君津で30分近く待ってJRで一駅、ようやく木更津まで戻ってきた。渋滞で帰宅が遅くなることを見越して駅前で夕食、自車に乗り換え。案の定アクアラインは木更津金田の入口に至る手前から大渋滞、東京湾を越えるのに1時間半近くかかった。
 千葉県コースまだ4,5回は行かなければならないが、ゴールが見えたように感じる。

 本コースの歩行距離:約17.5km
 千葉コース通算歩行距離:約147.3km
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【本】佐藤俊樹著 「不平等社会日本-さよなら総中流」(中公新書)

2021-04-26 06:00:00 | 本・映画・展覧会
 まあタイトルの通りなんだけど、あまり面白くなかった(と書いては身もふたもない)。世代間格差とかホワイトカラーの子はホワイトカラーになりやすい(させやすい)とか、何冊か読んでいる三浦展氏の本に書かれていることと大差なく思えて。なので本書を先に読んでいたらホーと感心したのかもしれないが、三浦氏よりも統計調査の引用が控えめ(紳士的?)であるため、印象で語っている感が否めなかった(むろんそうではないと思うが)。

 ところで、著者にしろ三浦氏にしろ、そういう社会現象を捉えてどうするのだろう?もちろん学者センセイだから、「いま起こっていること」を数字の裏付けに基づき記録化する、発生や維持メカニズムを明らかにすることが仕事と言えるのだけど。彼らの成果は「素材」に過ぎず、だから社会がどうなんだという評価や、問題点を明らかにしたのなら対策や解決策を論じるという次のステップに活かされてこそ本望となるのではないか。それとも彼らは、単に研究の成果を発表するだけで満足し、それで生活してゆけるのだろうか。学者ってそんなものなのかな。

 2020年4月10日 自宅にて読了
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