「謝々!チャイニーズ」星野博美
先日読んだ「愚か者、中国をゆく」の関連作品。
本作品は、著者が27、28歳の頃、1993年から94年にかけて行った旅の記録。
全部で9章有るが、終章を除いて、それぞれ独立して楽しめる。
いくつか文章を紹介する。
P28
「髪廊(ふあーらん)」とは、名目上は「床屋」だが、昼間から怪しげな赤い光を発して肌を露わにした女性が鏡の前に座って客を引き、中で売春行為を行う風俗店のことだ。
P176
中国に来てから、この厦門(あもい)に限らず、私が訪れた町には一つの例外もなく「髪廊」が存在した。金になるからそれを商売にする人間が現われ、金を持った人間がそれまで手にしたこともないものを手に入れようとする。資本主義の原点だ。
(中略)
しかし、こんなことをいったらフェミニストから袋叩きにあいそうだが、私には彼女たちを買う男たちを大声で糾弾する気にもなれない。それまで目にしたことのないものが目の前に並んでいる時、人間はどれだけ欲望を抑えることができるものなのだろうか。(イデオロギーや宗教に関係なく、どの国にも風俗店はある・・・性欲は個体差があるので、人それぞれ、と思っている)
P244-245
「黒猫と白猫の話知ってる?」
「ねずみを捕るのがいい猫だ、でしょう」
「そうだ。でも本当の意味は少し違う。黒だろうが白だろうが黄だろうが、自分でねずみを捕ってこない猫は飢え死にする、っていう意味だ。つまりいまの中国では、自分で金を稼がない奴は、死ぬってことだ。(中略)
中国は金がないと生きていけない国になっちまったよ」
P272
それまで中国は、職場や住居の確保から社会福祉に至るまで、すべて国がしてくれる国家だった。ところが改革開放で何でもしてくれた国は「自分でねずみを捕ってこい」という国に変わった。野心に燃える人間にはまたとないチャンスとなったが、それ以外の人たちにとっては、誰も何もしてくれない時代になった。持てる者と持たざる者との経済格差が限りなく広がり、持てる者の富は一族やその故郷にしか還元されない。持たざる者の心には、「誰も何もしてくれない」感が余計に強くなる。
【おまけ】
読んでいて、思った以上に親切な人が多い、という印象を持った。
初めて会った日本人を家に招いて歓待してくれる。
それが、1回や2回ではない。
かなり人相の悪い方の写真が掲載されている。
でも、とても親切にしてくれる。
これは、著者の人柄なのか?
少なくとも、「反日感情」を紙面から読めなかった。
私も中国を訪問したことがある。
(桂林にある岩を登るため・・・2008~2009年末年始)
けっこう親切にしてもらった覚えがある。
また、熱心にものを売ろうとする方が多い、と印象が残っている。
【↑私の撮った桂林の写真・・・岩塔が果てしなく屹立する】
【ネット上の紹介】
時は1993年。中国に魅せられた私は、ベトナム国境から上海まで、改革開放に沸く中国・華南地方を埃だらけの長距離バスに乗って旅をした。急激な自由化の波に翻弄される国で出会った、忘れえぬ人々。『転がる香港に苔は生えない』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した著者の、みずみずしいデビュー作。[目次]
第1章 東興
第2章 北海から湛江まで
第3章 広州
第4章 厦門(あもい)
第5章 〓洲島(めいちょうだお)
第6章 平潭
第7章 長楽
第8章 寧波
終章 東京