「朝陽門外の虹 崇貞女学校の人びと」山崎朋子
読み応えのある作品だった。
20世紀初め、北京のスラムに学校を創った日本人がいた。
どのように運営し、どんな内容だったのか?
敗戦後、どうしたのか?
著者は、膨大な資料と取材を重ねて調査している。
群像劇のようになっており、どの方も波瀾万丈の生涯を送っている。
分厚い本で、しかも岩波書店からの出版。
最初、硬い本で読みにくいかな、と思っていた。
ところが、読み始めると怒濤の展開に引き込まれた。
ノンフィクションの名作のひとつ、と思う。
とても面白かったし、興味深い記述も多数あった。
P298
わたしは、与謝野晶子のあの有名な歌を思い浮かべる――「劫初よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘をひとつ打つ」。北京=朝暘門外の蓬の原にあった崇貞学園という小さな女学校は、三つの民族の少女たちの心に打ちこまれた正しく「黄金の釘」だったのである――
P351
天皇が全日本国民に向かって連合国軍への無条件降伏を告げたその当日、国民党の最高指導者にして最高軍事司令官である蒋介石は、これまたラジオをとおして、全中国の人びとに、「われわれは、日本に報復してはならない。まして、日本の無辜の人民に侮辱を加えるべきではない」という演説をおこなった。「怨みに報ゆるに、徳を以てす」という老子の言葉を引いた、近代戦争史に残る有名なスピーチである。
P399
北京は古く十世紀頃より中国の都で、明代に〈北京〉という名になったが、二十世紀、国民党政府が南京を首都と定めた1928より38年までのあいだ〈北平〉(ぺーぴん)と呼ばれていた。
【その後】
創設者である夫妻は、敗戦とともに日本に引き揚げた。
再び学校を創る・・・それが桜美林学園である。
【参考】1
南京大虐殺についてふれている箇所がある・・・P237-238
資料として次の作品を挙げている。
「南京戦 閉ざされた記憶を訪ねて」松岡環編
「第十六師団長日記」中島今朝吾(けさご)
【参考】2
昔、同著者の「サンダカン八番娼館」を読んだが、こちらも面白かった。
【ネット上の紹介】
二十世紀前半、北京随一のスラム。底辺の少女たちの自立を願って小さな女学校を創った日本人青年・清水安三。<志の結婚>によって彼を援けた二人の女性と、その女学校に学んだ中国・朝鮮・日本の少女たちの数奇なる人間ドラマ。取材十年、心血を注いだ傑作歴史ノンフィクション!