「海をあげる」上間陽子
上間陽子さんのエッセイ。
いきなり、強烈な話から始まる。
それは、夫が不倫を告白するシーン。
P10
長く恋人がいたこと、その恋人は近所に住んでいる私の友だちであること、ひと月前に別れたこと、いまはもう、私の友だちに新しい恋人もできたということ。
長い時間をかけて話を聞いて、「で、これを聞いてどうしろと?」と聞くと、「もうウソをつきたくないと思った。(これを読んでどう思う? この夫は恋人に振られ、妻に戻ろうとした。振られなかったら、ずっと二股を続けていただろう。告白したのは、自分が楽になりたいから。そんな「正直な」自分を妻は許してくれると? 不倫をするなら、それなりの覚悟が必要。相手の女性も、妻側から訴えられたら2,000万円くらい請求される)
著者はソッコー、相手の女性にも会いに行く。
さすがノンフィクション作家、聞き取り調査のプロだ。
P16
「とりあえず、4年間のことを彼の口からぜんぶ聞いたから、今度は○○が私にちゃんと説明して」
そしたら、「もともとは遊びだった。そこからはまった」と言われた。それから、なんやかんやこれまでのふたりが付き合い続けた理由を説明された。
でも、私が聞きたいのはそういうことではなく、私のつくったごはんのことだった。
なぜ私のつくったものを食べに来ていたのか、何を思いながらごはんを食べていたのか。日常生活に浸食して、ひとの善意を引き出すのはどういう気持ちなのか。
「なんで私のつくったごはんを食べたの? なんで京都に帰るっていうときに、私に植物の面倒をみるように頼んだの? なんで隣の家に住み続けていたの?」
私の質問に彼女はなにひとつ答えなかった。そして、「離婚するのをずっと待ってた。でも一度も離婚するって言われたことはなかった」と言うと、今度は顔を覆ってさめざめと泣き出した。
泣いているひととは話ができないから、泣き止むのを黙って待つ。泣いている彼女はとてもはかなげで美しくて、なんだか京都の女って本当にタチ悪いなぁと思いながら、それにしても4年間、うちの家とふたつ隣の家で離婚を待ち続けていたっていうのは、なかなかの辛抱強さだなぁとふと思う。
(中略)
本当に苦しかったのはそのあとだ。夫に恋人がいた、それが私の友だちだった。いまふたりは別れていて、彼女には新しい恋人ができたらしい。つまり、私にいま残されたのは、夫のことを許すか許さないかの選択しかない。
咀嚼して咀嚼して、これはもう私には受け入れることができないとわかったとき、私の前に現れたのは、まったく音がなくて、ごはんが食べられないという時間だった。
P206
「私はお母さんが好きじゃない。子どものときは、もうずっと怒鳴られながら指示されてきた。(中略)どれだけやっても、この人は感謝もなにもしないんだなぁって、本当に嫌だなと思ってきた。今、おばちゃんたちはおばあちゃんに触るでしょう?でも私は、触りたくない」
(中略)
私もまた、「そうだよね、おばあちゃんの怒鳴り声って、ほんとひどいよね」と母に言う。そして、「自分の母親嫌いで触ることができないっていうひと、いっぱいいるよ。そういう本とかエッセイなんかもあるよ」と話し、佐野洋子さんの『シズコさん』というエッセイ本を母にあげた。(佐野洋子さんのエッセイは、最高レベルの面白さ、と思う)
【参考】1
以下、「シズコさん」佐野洋子より
P154
私は母を好きになれないという自責の念から解放された事はなかった。18で東京に出て来てからずっと、家で母に優しく出来ない時も一瞬も自責は私の底を切れる事のない流れだった。罪であるとも思った。
P178
家族とは非情な集団である。
他人を家族のように知りすぎたら、友人も知人も消滅するだろう。
P217
神様、私はゆるされたのですか。
神様にゆるされるより、自分にゆるされる方がずっと難しい事だった。
【参考】2
以下、「問題があります」佐野洋子より
P166
夫婦は中からは容易に破れるが、外からつっついて壊そうとしても決して壊れないものである。
妻子持ちの男と不倫をするお姉ちゃん、やめときなさい。骨折り損です。
多分それは、愛ではなく情だからである。愛は年月とともに消えるが、情は年月と共にしぶとくなるのである。
夫婦とは多分愛が情に変質した時から始まるのである。情とは多分習慣から生まれるもので、生活は習慣である。
離婚した友人夫婦が、何年かして、ある結婚式で、顔を合わせた。式が終わった時、もと亭主が、もと女房に「おい、帰るぞ」とつい言ってしまい、もと女房も「はいはい」とあとをついて行ってしまったそうである。
私は二度目の亭主に、前の亭主の名前で呼びかけてしまうことがあった。
【ネット上の紹介】
おびやかされる、沖縄での美しく優しい生活。幼い娘を抱えながら、理不尽な暴力に直面してなおその目の光を失わない著者の姿は、連載中から大きな反響を呼んだ。ベストセラー『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』から3年、身体に残った言葉を聞きとるようにして書かれた初めてのエッセイ集。
美味しいごはん
ふたりの花泥棒
きれいな水
ひとりで生きる
波の音やら海の音
優しいひと
三月の子ども
私の花
何も響かない
空を駆ける
アリエルの王国
海をあげる
調査記録