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「日本史の謎は「地形」で解ける」竹村公太郎

2020年08月30日 08時35分47秒 | 読書(歴史/時代)
「日本史の謎は「地形」で解ける」竹村公太郎

地形、気象、インフラから歴史を読み解こう、って試みの書。
興味深く、説得力もある。

P244
この話(旧約聖書)で釘付けになった箇所は、カインが「土を耕す者」でアベルが「羊を飼う者」、つまり「土を耕す者」が「羊を飼う者」を殺すところであった。(中略)
人類最初の物語が「農耕する人」が「遊牧する人」を殺すことだったとは。
世界の歴史は農耕民族による遊牧民族や狩猟民族の圧迫の連続である。

P249
今も昔も、経済の本質は攻撃である。

P325
紫禁城は元朝が建設した。その紫禁城を明朝が改築した際、紫禁城の周辺に防御のため幅50mの濠を張り巡らせた。その濠を開削した残土23万㎥で盛り立てたのが、高さ45mの景山であった。

P367-368
作家の石川秀輔氏によれば燃料、建築などで使用する木材は、江戸時代で1人あたり1年間で20~30本の立木に相当する量であったという。
奈良で時代でも1人当たり最低10本の立木が必要であったと推定すると、奈良盆地で年間100万本から150万本以上の立木を伐採していたのではたまらない。その量は小さな大和川流域の森林再生能力をはるかに超えていた。(中略)
桓武天皇がこの奈良盆地を脱出し、大和川より何倍も大きく「水」と「森」が豊かな淀川流域の京都に遷都したのは当然であった。

【ネット上の紹介】
京都が日本の都となったのはなぜか。頼朝が狭く小さな鎌倉に幕府を開いたのはなぜか。関ヶ原勝利後、家康がすぐに江戸に帰ったのはなぜか。日本全国の「地形」を熟知する著者が、歴史の専門家にはない独自の視点で日本史の様々な謎を解き明かす。歴史に対する固定観念がひっくり返る知的興奮と、ミステリーの謎解きのような快感を同時に味わえる1冊。 
【目次】
関ヶ原勝利後、なぜ家康はすぐ江戸に戻ったか―巨大な敵とのもう一つの戦い
なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか―地形が示すその本当の理由
なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか―日本史上最も狭く小さな首都
元寇が失敗に終わった本当の理由とは何か―日本の危機を救った「泥」の土地
半蔵門は本当に裏門だったのか―徳川幕府百年の復讐1
赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したか―徳川幕府百年の復讐2
なぜ徳川幕府は吉良家を抹殺したか―徳川幕府百年の復讐3
四十七士はなぜ泉岳寺に埋葬されたか―徳川幕府百年の復讐4
なぜ家康は江戸入り直後に小名木川を造ったか―関東制圧作戦とアウトバーン
江戸100万人の飲み水をなぜ確保できたか―忘れられたダム「溜池」
なぜ吉原遊郭は移転したのか―ある江戸治水物語
実質的な最後の「征夷大将軍」は誰か―最後の“狩猟する人々”
なぜ江戸無血開戦が実現したか―船が形成した日本人の一体感
なぜ京都が都になったか―都市繁栄の絶対条件
日本文明を生んだ奈良は、なぜ衰退したか―交流軸と都市の盛衰
なぜ大阪には緑の空間が少ないか―権力者の町と庶民の町
脆弱な土地・福岡はなぜ巨大都市となったか
「二つの遷都」はなぜ行われたか―首都移転が避けられない時
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