「今日はヒョウ柄を着る日」星野博美
著者の、最新エッセイ。
P24-25
女子校出身の私は、女性の言動には非常に神経質なところがある。十代の頃、同級生たちは、あとで引きずり下ろすために相手を持ち上げたり、散々叩きのめしておいて救いの手を差し伸べ、恩を売ったりと、手のこんだ距離の構築を図っていた。女性の発する、真意の見えない曖昧な発言を真に受けると、十中八九、捕食者の餌食となる運命が待ち受けている。
著者は、理屈っぽく、面倒な性格である。
身近な存在だと、しんどいかもしれない。
だが、作家だと、それが利点となる。
こだわりのある変人万歳、である。
今回、少し内容が薄味になったような気がする。
(歳をとって一般の人に近づいたのだろうか?)
いや、のりが死んでしまったからかもしれない。
活力の源である猫が、これで一匹も居なくなってしまったから。
この悲しみを乗り越え、さらなる活躍をされるよう期待する。
P165
世の中には、猫のいる人間と、猫のいない人間の二種類しかいない。
のりが亡くなって、はや一年半になる。私はとうとう、猫のいない人間になってしまった。
【ネット上の紹介】
朝から賑わう戸越銀座商店街。そこでおばあちゃんたちがまとう「ヒョウ柄」の存在に気づいた著者は、人間界と動物界の相似性に敏感になる。そして若い世代‐高齢者、記憶‐真実、現世‐あの世といった境界を行き来しはじめ…。星野博美ワールドの「その先」を指し示す、あやしくてせつない、ユーモアあふれる豊かな異界の淵へ、ようこそ!新境地をひらく最新エッセイ集!