歴史の愉しみ方 忍者・合戦・幕末史に学ぶ」磯田道史
ちょんまげについて
P34
頭頂の毛を抜くのは兜をかぶったとき蒸れないためとされる。ちょんまげは戦闘の準備行為であり、間接的に主君への奉仕を象徴していた。ちょんまげを結わぬというのは武家社会からの逸脱であり主君の無視であった。
国民的作家
P44-46
国民歴史意識への最大影響者は頼山陽→徳富蘇峰→司馬遼太郎と推移してきた。それで戦前まで頼山陽の書は目の玉が飛び出るぐらい高価で「掛け軸一本で家が買える」とさえいわれた。
イザベラ・バードの所見
P90
英国女性イザベラ・バードは明治初年に日本各地を旅行。公共事業の無駄が多いことに驚いている。「日本行政の弱点の縮図がここにある。公共のお金が給料の安い大勢の役人によって喰い尽くされている」「日本の官僚主義はお金に関する限りあてにならない」といった。
胎盤と呪術について
P103
わざと人に踏まれる場所に埋める地方も多い。赤子は埋められた胎盤のうえを最初に踏んだ者を恐れるようになる。埋めた上を最初に犬が通れば、その子は生涯、犬を恐れる。猫が通れば、一生、猫に頭が上がらなくなる。だから父親が埋めた胎盤の上を最初に踏みつけ、父の権威を確立するまじないが行われた。
経理の歴史
P104
経理の歴史はおそろしく古いに違いない。おそらく、農耕や貨幣が生じる以前、狩猟や採集をしていたころから、経理はあったと断言できる。むしろ、農耕や貨幣がなかった時代のほうが、経理は大切であったであろう。
というのも、縄文時代の遺跡などを発掘すると「貯蔵穴」というのが出てくる。どんぐりなどの食料を貯蔵していた穴である。狩猟採集社会の人間にとって、食料の残量を知っておくことは、死ぬか生きるかの分かれ道となる。おそらくドングリやら干し肉の残量を計る原始的経理が存在し、うまく食料を「計れた」ものが、生き残っていっただろう。
なぜ、関ケ原で島津軍は中央突破して敗走に成功したのか?(私も気になっていた)
P188
島津軍の強さの秘密は火力に合った。関ケ原にきていた島津軍は「ゑり勢三千人」といわれるように選りすぐった精鋭部隊。近代軍のように全員ではないが他軍からみれば異常なほどの銃を装備していた。当時、鉄砲は主に足軽だけの携行武器。ところが島津軍は「みな腰さし鉄砲」を用意していたというから、絶大な火力を持っていた。これにぶつかった徳川軍の指揮官はそろって銃創を負ったのである。
銃装備。これこそが島津義弘が生還できた本当の理由であろう。当時の武士は鉄砲を卑怯な飛び道具と考え、足軽に持たせたが、薩摩ではこの考えがうすかった。
【ネット上の紹介】
忍者の子孫を訪ね歩き、東海道新幹線の車窓から関ケ原合戦を追体験する方法を編み出し、龍馬暗殺の黒幕を探る―。著者は全国をめぐって埋もれた古文書を次々発掘。そこから「本物の歴史像」を描き出し、その魅力を伝えてくれる。同時に、歴史は厳しいものでもある。地震史研究にも取り組む著者は、公家の日記などから、現代社会への警鐘を鳴らす。
第1章 忍者の実像を探る(忍者の履歴書
秘伝書に残された忍術 ほか)
第2章 歴史と出会う(「武士の家計簿」のその後
ちょんまげの意味 ほか)
第3章 先人に驚く(天皇土葬化のきっかけ
江戸の狆飼育 ほか)
第4章 震災の歴史に学ぶ(和本が落ちてきて
小早川秀秋の墓 ほか)
第5章 戦国の声を聞く(石川五右衛門の禁書を読む
五右衛門が獲ろうとしたもの ほか)