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「戦争の日本近現代史」加藤陽子

2021年03月21日 07時00分09秒 | 読書(昭和史/平成史)


「戦争の日本近現代史」加藤陽子

本来、戦争というハードルは、相当高いはず。
平和なのに戦争に進む、って何かきっかけがあったはず。
いったいどう、正当化され、合理化され、戦争OKの状態に人びとの認識が変わったのか?

日清戦争→日露戦争→第一次世界大戦→満州事変→日中戦争→太平洋戦争

この流れで、意識の変化を見ていく。

P43
日本にとって「韓」という文字は、地名あるいは民族名として認識されていたため「征朝論」でなく「征韓論」と呼んだものとみられる。

支那という呼称あるいは表記について
P50
1911年に起こった辛亥革命で清朝が崩壊するまで、中国に対する日本側の呼称は、その王朝名から、清あるいは清国と呼ぶのが一般的であった。しかし、1913年、中華民国を中国の正統政府として承認した際、中国の呼称を支那共和国とした。中華民国の公称英訳であるRepublic of China から日本語に重訳したものであり、そこに差別的な意味は込められてはいなかった。支那共和国を略して支那と使われる場合も同様である。しかし、中華民国としなかったのは、中華という言葉がみずからの誇称であり固有名詞ではないとの判断が日本側にあったためとみられる。支那という呼称を問題とする中国側の意向もあり、日本側は1930年、それまでの支那共和国あるいは支那という呼称を改め、中華民国を中国の正式呼称とすると閣議決定している。

紀元前の帝国、秦の国名を表す発音(Chin)が、インドで中国を意味するものとして用いられるなったところに支那の語源はあり、もともと差別の意味あいがなかったことはよく知られたところである。しかし、たしかに日清戦争以降、昭和戦前期を通じて中国あるいは中国人に対する軽侮の念をともなって、支那あるいは支那人という呼称が広く日本社会に用いられていたことも事実である。

【ネット上の紹介】
日本はなぜ太平洋戦争に突入していったのか。為政者はどんな理屈で戦争への道筋をつくり、国民はどんな感覚で参戦を納得し支持したのか。
第1講 「戦争」を学ぶ意味は何か
第2講 軍備拡張論はいかにして受け入れられたか
第3講 日本にとって朝鮮半島はなぜ重要だったか
第4講 利益線論はいかにして誕生したか
第5講 なぜ清は「改革を拒絶する国」とされたのか
第6講 なぜロシアは「文明の敵」とされたのか
第7講 第一次世界大戦が日本に与えた真の衝撃とは何か
第8講 なぜ満州事変は起こされたのか
第9講 なぜ日中・太平洋戦争への拡大したのか

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