「津波と原発」佐野眞一
これだけ大きな災害が起こると、節目として戦後史を振り返りたくなる。
どこで道を間違ったのだろう?
いい加減に処理したこと、後回しにしたこと、具合の悪かったことが、浮き彫りになってくる。
いくつか文章を紹介する。
P84
誤解を恐れずに言えば、大津波は人の気持ちを高揚させ、饒舌にさせる。これに対して、放射能は人の気持ちを萎えさせ、無口にさせる。(中略)
放射能被爆の本当の恐ろしさとは、内面まで汚染して、人をまったく別人のように変えてしまうことなのかもしれない。
浪江農場代表取締役・村田氏の言葉・・・
P92
――最後に、東電にいま一番言いたいことは何ですか。
「ここへ来て、悲しそうな牛の目を見てみろ。言いたいのはそれだけだ」
P96
浪江農場長・吉沢氏は17日(水素爆発が起きた翌々日)車で夜通し四号線を走って東電本社に行ったそうだ。
――そのとき東電の総務担当者に、どんなことを言ったんですか。
「どうしてくれる、もう浪江に行かんねえし、電気もねえし、牛が死んじゃうと。あんたらのせいで、こうなっちまったよ、この300頭の償いは絶対裁判にかけるからな、と言った」
聞けば、吉沢氏は東京農大の元自治会委員長だという。さすがに啖呵のきり方が堂に入っている。吉沢氏は、そのあと、こうまくしたてた。
3月11日から17日の1週間、お前ら本当に何やってたんだ。本気で原子炉制御する気があんのか。おれだったら、死んでもいいから特攻隊になって、ホースもって原子炉に水かけるぞ。お前らのやってることは、後手後手で、本当にどうしようもねえ。お前ら本当に死ぬ気でやる気あんのか・・・・。
吉沢氏がそうたたみかけると、東電総務担当者の主任は泣き出した。
P99
「花兄園」取締役・平本氏の言葉・・・
オレは昭和41年からニワトリを飼い始めたんだ。(中略)
だいたいニワトリは設備に金がかかるんだ。1羽あたり最低でも7千円は必要だ。十万羽なら七億円だ。それにエサ代が月に百五十万、人件費が五百万、電気代、燃料代などを合わせると、月に千五百万円くらいかかる。従業員から給料はどうなるって連絡がくると、何とかするとは言っているけど、本当は途方にくれるばっかりだ。
P107
私たちは原発建設に反対しなかったから、原発事故という手痛い仕返しをされたわけではない。原発労働をシーベルトという被爆量単位でしか言語化できなかった知的退廃に仕返しされたのである。
P140
第五福竜丸の被爆で、マグロの値段が半分に暴落し、原水爆実験禁止署名運動が三千万人の賛同を得ていた頃。
日本に原発を導入する重大なシナリオが出来上がっていた。
数日後、柴田はワトソンに結論を告げた。
「日本には昔から、“毒をもって毒を制す”という諺がある。原子力は諸刃の剣だ。原爆反対をつぶすには、原子力の平和利用を大々的に謳い上げ、それによって、偉大なる産業革命の明日に希望を与えるほかはない」
P203
反対運動が盛り上がらなかったのはなぜだと思いますか。
元大熊中学校教諭・大和田氏の言葉・・・
「東電がうまかったからです。第一原発を稼動させると今度は第二原発をつくる。それだけでも反対運動が拡散してしまうのに、すぐそばの浪江、小高に東北電力の原発が建設されるという話になる。反対派は、第一はできてしまったから仕方なく安全にというほかなくなり、第二はこれ以上増やすな、浪江と小高は土地を売るな、と三つの活動を同時にしなきゃいけないことになった。そうこうするうちに原発でうるおう人が多くなり、反対運動ができにくくなってしまった」
P204
「田中町長が双葉町に君臨した背景には、原発利権を手中にしていたことがあります。とりわけ、福島県知事として権勢をふるった木村守江とは昵懇の仲でした」
あるとき丸添が議会で田中に「原発を推進すると言っているが、こんなことはいつまでもつづかない」という質問をしたことがあった。
「すると、田中町長は烈火のごとく怒ったんです。要するに『オレを誰だと思っているのか。オレに意見するとは何事か』ということなんです。彼の周りには土建屋の取り巻きが大勢いて、彼が社長をやっている田中建設の三階は朝も夜もいつも明かりがついていた。(後略)」
P213
「ただ、あとで調べてわかったんですが、県警も警視庁も含めてですけど、電力会社は、彼らのものすごい天下り先になっているんですよ。特に原発関係はすごいです。関電を調べているとき、地域対策室というのが関電本社の社長室の隣に直属の部署として置かれていましてね。そこで作ったコピーを見たことがありますが、敦賀原発が立地している地域全戸の家族リストが載っていました」
P219
福島第一原発はまったく収束のメドさえついていません。この状況をどう思いますか。
元赤旗記者、フリージャーナリスト柴野氏の言葉・・・
「飛行機でいえばダッチロール状態です。どっちに向かって、どう進んで行ったらいいか、誰にもわからない状態です。原発というのは要するに、運転しているときが、つまり動いているときが一番安全なんです。逆にいえば、止めた後が大変なんです。東電がオール電化を進めていたのも、原発を運転しつづけるという大目標があったからこそ、できたことなんです」
【参考】
3.11以降、震災関連で読んだ作品を羅列する。
今まで、次のような作品を読んだ。
どの作品も特色があり、読みごたえがあった。
文藝春秋増刊 2011年8月号2011年8月号 つなみ~被災地のこども80人の作文集
「大津波と原発」内田樹/中沢新一/平川克美
「私たちはこうして「原発大国」を選んだ」武田徹
「三陸海岸大津波」 吉村昭
【ネット上の紹介】
日本の近代化とは、高度成長とは何だったか?三陸大津波と福島原発事故が炙り出す、日本人の精神。東日本大震災にノンフィクション界の巨人が挑む、書下ろし四〇〇枚。東日本大震災ルポの決定版。
[目次]
第1部 日本人と大津波(重みも深みもない言葉;志津川病院の中に入って;おかまバーの名物ママの消息;壊滅した三陸の漁業;熱も声もない死の街 ほか);
第2部 原発街道を往く(福島原発の罪と罰;原発前夜―原子力の父・正力松太郎;なぜ「フクシマ」に原発は建設されたか)