【ぼちぼちクライミング&読書】

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「津波と原発」佐野眞一

2011年10月20日 23時12分18秒 | 読書(ノンフィクション)


「津波と原発」佐野眞一

これだけ大きな災害が起こると、節目として戦後史を振り返りたくなる。
どこで道を間違ったのだろう?
いい加減に処理したこと、後回しにしたこと、具合の悪かったことが、浮き彫りになってくる。
いくつか文章を紹介する。

P84
誤解を恐れずに言えば、大津波は人の気持ちを高揚させ、饒舌にさせる。これに対して、放射能は人の気持ちを萎えさせ、無口にさせる。(中略)
放射能被爆の本当の恐ろしさとは、内面まで汚染して、人をまったく別人のように変えてしまうことなのかもしれない。


浪江農場代表取締役・村田氏の言葉・・・
P92
――最後に、東電にいま一番言いたいことは何ですか。
「ここへ来て、悲しそうな牛の目を見てみろ。言いたいのはそれだけだ」

P96
浪江農場長・吉沢氏は17日(水素爆発が起きた翌々日)車で夜通し四号線を走って東電本社に行ったそうだ。
――そのとき東電の総務担当者に、どんなことを言ったんですか。
「どうしてくれる、もう浪江に行かんねえし、電気もねえし、牛が死んじゃうと。あんたらのせいで、こうなっちまったよ、この300頭の償いは絶対裁判にかけるからな、と言った」
聞けば、吉沢氏は東京農大の元自治会委員長だという。さすがに啖呵のきり方が堂に入っている。吉沢氏は、そのあと、こうまくしたてた。
3月11日から17日の1週間、お前ら本当に何やってたんだ。本気で原子炉制御する気があんのか。おれだったら、死んでもいいから特攻隊になって、ホースもって原子炉に水かけるぞ。お前らのやってることは、後手後手で、本当にどうしようもねえ。お前ら本当に死ぬ気でやる気あんのか・・・・。
吉沢氏がそうたたみかけると、東電総務担当者の主任は泣き出した。


P99
「花兄園」取締役・平本氏の言葉・・・
オレは昭和41年からニワトリを飼い始めたんだ。(中略)
だいたいニワトリは設備に金がかかるんだ。1羽あたり最低でも7千円は必要だ。十万羽なら七億円だ。それにエサ代が月に百五十万、人件費が五百万、電気代、燃料代などを合わせると、月に千五百万円くらいかかる。従業員から給料はどうなるって連絡がくると、何とかするとは言っているけど、本当は途方にくれるばっかりだ。


P107
私たちは原発建設に反対しなかったから、原発事故という手痛い仕返しをされたわけではない。原発労働をシーベルトという被爆量単位でしか言語化できなかった知的退廃に仕返しされたのである。

P140
第五福竜丸の被爆で、マグロの値段が半分に暴落し、原水爆実験禁止署名運動が三千万人の賛同を得ていた頃。
日本に原発を導入する重大なシナリオが出来上がっていた。
数日後、柴田はワトソンに結論を告げた。
「日本には昔から、“毒をもって毒を制す”という諺がある。原子力は諸刃の剣だ。原爆反対をつぶすには、原子力の平和利用を大々的に謳い上げ、それによって、偉大なる産業革命の明日に希望を与えるほかはない」


P203
反対運動が盛り上がらなかったのはなぜだと思いますか。
元大熊中学校教諭・大和田氏の言葉・・・
「東電がうまかったからです。第一原発を稼動させると今度は第二原発をつくる。それだけでも反対運動が拡散してしまうのに、すぐそばの浪江、小高に東北電力の原発が建設されるという話になる。反対派は、第一はできてしまったから仕方なく安全にというほかなくなり、第二はこれ以上増やすな、浪江と小高は土地を売るな、と三つの活動を同時にしなきゃいけないことになった。そうこうするうちに原発でうるおう人が多くなり、反対運動ができにくくなってしまった」

P204
「田中町長が双葉町に君臨した背景には、原発利権を手中にしていたことがあります。とりわけ、福島県知事として権勢をふるった木村守江とは昵懇の仲でした」
あるとき丸添が議会で田中に「原発を推進すると言っているが、こんなことはいつまでもつづかない」という質問をしたことがあった。
「すると、田中町長は烈火のごとく怒ったんです。要するに『オレを誰だと思っているのか。オレに意見するとは何事か』ということなんです。彼の周りには土建屋の取り巻きが大勢いて、彼が社長をやっている田中建設の三階は朝も夜もいつも明かりがついていた。(後略)」


P213
「ただ、あとで調べてわかったんですが、県警も警視庁も含めてですけど、電力会社は、彼らのものすごい天下り先になっているんですよ。特に原発関係はすごいです。関電を調べているとき、地域対策室というのが関電本社の社長室の隣に直属の部署として置かれていましてね。そこで作ったコピーを見たことがありますが、敦賀原発が立地している地域全戸の家族リストが載っていました」

P219
福島第一原発はまったく収束のメドさえついていません。この状況をどう思いますか。
元赤旗記者、フリージャーナリスト柴野氏の言葉・・・
「飛行機でいえばダッチロール状態です。どっちに向かって、どう進んで行ったらいいか、誰にもわからない状態です。原発というのは要するに、運転しているときが、つまり動いているときが一番安全なんです。逆にいえば、止めた後が大変なんです。東電がオール電化を進めていたのも、原発を運転しつづけるという大目標があったからこそ、できたことなんです」

【参考】
3.11以降、震災関連で読んだ作品を羅列する。
今まで、次のような作品を読んだ。
どの作品も特色があり、読みごたえがあった。


文藝春秋増刊 2011年8月号2011年8月号 つなみ~被災地のこども80人の作文集
「大津波と原発」内田樹/中沢新一/平川克美
「私たちはこうして「原発大国」を選んだ」武田徹
「三陸海岸大津波」 吉村昭


【ネット上の紹介】
日本の近代化とは、高度成長とは何だったか?三陸大津波と福島原発事故が炙り出す、日本人の精神。東日本大震災にノンフィクション界の巨人が挑む、書下ろし四〇〇枚。東日本大震災ルポの決定版。
[目次]
第1部 日本人と大津波(重みも深みもない言葉;志津川病院の中に入って;おかまバーの名物ママの消息;壊滅した三陸の漁業;熱も声もない死の街 ほか);
第2部 原発街道を往く(福島原発の罪と罰;原発前夜―原子力の父・正力松太郎;なぜ「フクシマ」に原発は建設されたか)

 


「世界一やさしい精神科の本」斎藤環/山登敬之

2011年10月18日 21時19分35秒 | 読書(ノンフィクション)


「世界一やさしい精神科の本」斎藤環/山登敬之

思った以上におもしろかった。
中学生か高校生くらいを対象にした本だけど、大人が読んでもおもしろいし、勉強にもなる。
いくつか文章を紹介する。

ひきこもりについて。
日本のひきこもり人口は約70万人と言われている。(H22内閣府発表調査)
P57
日本と同じくらいひきこもりが多いのは、韓国だ。韓国の精神科医の話だと、だいたい30万人くらいいるといわれている。(中略)
若者の奉仕活動の義務化とか徴兵制をやればひきこもりがいなくなるとか、そういうことをいいたがる人がいかに現実をみていないかがわかるよね。


親と同居する子どもが増えているのは世界的な現象らしい。
それでも、日本と韓国がダントツに多いそうだ。
これは文化的な背景が理由ではないか、と。
「年功序列」「血縁主義」といった儒教文化が背景にあるからじゃないか、と。
P59
日本や韓国では、大人になることがなにを意味するかというと、「一人前になって親孝行すること」なんだ。親孝行するには一緒に住んでなきゃ無理。だから、子どもは家から出ない。

ある学会が中国と韓国と日本の3ヶ国で対人恐怖の比較研究を行ったそうだ。
P74-75
日本では対人恐怖が100だとすると、韓国は50で中国はゼロだった。(中略)
日本には世間体というものがある。これにかなり近いものが韓国にもあるんだ。「世上(せじょう)」というんだけど、これは日本の世間体とほぼ一緒の意味とのこと。韓国人は、そこで自分がどうみられるかをすごく気にするらしい。だから、そういう発想がある国ではどうも対人恐怖が出やすいんだろうね。


アメリカでは社会不安障害の人が多いらしい。
P76-77
生涯有病率が12%。ものすごく高い。これはうつ病とアルコール依存症に次ぐ、第3位ぐらいの高さなんだ。(中略)
いっぽう、ヨーロッパで同じような統計をとってみたら、だいたい2%から3%。今度はすごく少ないね。もっとびっくりしたのは日本と韓国、日本では1.4%しかない。韓国では0.2%。だから、対人恐怖とはまったく違うものなんだよね。

『スクール・カースト』について・・・これは興味深い。
P84
多くの学校には「教室内身分制」ってものがあるらしい。いわゆる「スクール・カースト」だ。上位から下位まで、だいたい3階層から4階層ぐらいまである。最下層はオタク。最上位はヤンキーだ。
何がこの較差を決定づけているかっていうと、すべて「コミュニケーション・スキル」なんだね。つまり、子どもたちの対人評価の軸は、いまやほとんどコミュニケーションの上手い/下手という1本になってしまっている。(中略)
こうやってコミュニカティブか否かで階層が分かれてしまうってことはたいへん大きな問題で、ほかの能力があっても、それはぜんぜん評価されないってことになる。さらにいうと、コミュニカティブであることの条件が厳しい。ただ会話が上手いだけじゃだめなんだ。笑いをとらなくちゃいけない。笑いをとることが最低条件。さらに人がいじれなくちゃいけない。マニピュレイティブ、つまり対人操作能力が高いことが、もっともコミュニケーション・スキルが高い人の特性なんだね。
最上部がヤンキーっていうのは比喩的ないい方だけど、要するにコミュニカティブで異性関係が活発な生徒っていう意味だ。いわゆる「リア充」ってやつだね。


抑圧と解離についての説明・・・わかりやすい。
P113
抑圧という方法が、漬け物石かなにかで上から押さえこんで深く沈めることだとすると、解離というのは、心の中に「壁」をつくって、いくつかの部屋に区切ってしまうことだ。そうやって、ひとつの部屋に悪いものを押しこめてしまうことで、ほかの部屋に影響がいかないようにする、そういう方法だと考えておいてほしい。

なぜ、日本に「多重人格」が少ないのか?、について。
P128
日本人っいうのはもともと多重人格的な作法で生きているので、わざわざそんな病気を輸入する必要はなかったのだ、と。相手によって敬語を使ったり、逆に偉そうにしたり・・・・・・これもキャラの使いわけだよね。そういうモードチェンジが日常化しているので、アメリカ人みたいに病気になってまで別人格を作らなくてもなんとかなってしまうとう、簡単にいえばそういう説なんだ。これを「超多重人格」といった人がいるけれども、もともと超多重人格なんだからいまさら多重人格なんかになれるか!みたいな話だよね。

P159
メラニー・クラインという、天才と呼ばれた精神分析医がいたんだけれども、彼女が提唱した決定的に重要な概念に、「妄想-分裂ポジション」というものがある。


文学やサブカルチャーにおける境界性人格障害、について。
世界でもっとも有名なボーダーライン文学はサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」。
P163-165
あれはボーダーラインの標本みたいな小説だから、共感しすぎるのはほどほどにしたほうがいい。あれは深いようで浅いようで深いというヘンな小説でね。少なくとも共感だけで読むとアメリカ版「あるあるネタ」みたいにも読める。(中略)
この小説が発表された50年代のアメリカっていうのは、ホモが統合失調症の原因になるといわれたぐらい同性愛を拒絶していた時代だから、これは非常にリアリティのあるエピソードとして受けとられたと思う。いま考えるとひどい話で、ホモは敵だといってるわけだ。差別丸出しといってもいいくらい。でも、この差別をするのがホールデンっていう汚れを知らない存在だから許されるという、2重3重にいいわけが用意されているという点ではずるい小説でもあるんだな。
ところで、境界性人格障害小説の日本のトップランナーはといえば、こちらは文句なしに太宰治ということになている。(中略)
太宰を超えるボーダーライン・フィクションといえば、やっぱりアニメの『新世紀エヴァンゲリオン』になるかなあ。


【ネット上の紹介】
ひきこもり、発達障害、トラウマ、拒食症、うつ…、心のケアの第一歩に、悩み相談の手引きに、そしてなにより、自分自身を知るために―。一家に一冊、はじめての「使える精神医学」。

[目次]
第1章 みんなのように上手にできない―「発達障害」について;
第2章 人とつながってさえいれば―「ひきこもり」について;
第3章 人づきあいが苦手なんです―「対人恐怖/社会不安障害」について;
第4章 やめられない止まらない―「摂食障害」について;
第5章 自分がバラバラになっていく―「解離」について;
第6章 トラウマは心のどこにある?―「PTSD」について;
第7章 「困った人」とどうつきあう?―「人格障害」について;
第8章 なぜか体が動かない―「うつ病」について;
第9章 意外に身近な心の病―「統合失調症」について

 


ワシントン・ナショナル ・ギャラリー展

2011年10月17日 20時07分22秒 | お出かけ

『ワシントン・ナショナル ・ギャラリー展』に行ってきた。
9月13日(火)から始まっていたので、ずっと気になっていた。
さて、私が特に見たかったのが、次の3点。(生で見ることができて感激)

エドゥアール・マネ 《鉄道》 1873年 油彩・カンヴァス
エドゥアール・マネ 《鉄道》
ピエール=オーギュスト・ルノワール 《ポン・ヌフ、パリ》 1872年 油彩・カンヴァス
ピエール=オーギュスト・ルノワール 《ポン・ヌフ、パリ》
エドゥアール・マネ 《オペラ座の仮面舞踏会》1873年 油彩・カンヴァス
エドゥアール・マネ 《オペラ座の仮面舞踏会》

下の写真が京都市美術館前『ワシントン・ナショナル ・ギャラリー展』の写真。(比較的空いている)
逆に反対側の『フェルメールからのラブレター展』が大混雑。
(こちらは既に、7月訪問済み。早めに行っておいてよかった)
比較のため、今年の7月10日に撮影した京都市美術館の写真を掲載しておく。
(閑散としている・・・暑いから皆さん敬遠したのだろうか?)


PS
11月27日(日)まで開催されている。よかったらどうぞ。

【参考リンク】
「芸術新潮」2011年6月号ワシントン・ナショナルギャラリー特集)
京都市美術館http://www.city.kyoto.jp/bunshi/kmma/

 


2011秋・大文字山▲466

2011年10月16日 21時04分07秒 | 登山&アウトドア(関西)

先週、穂高に行ってきたので、今年はもう大きな山行を予定してない。
だから歩く練習はしなくて大丈夫。
でもよい天気だと、つい登りに行きたくなる。
そんな訳で、アクセスが楽で、京都市美術館に近い大文字山に登ってきた。
写真をいくつか紹介する。

これが山頂。景色も良好。

途中のキノコ。

大文字の火床から京都市内を臨む。

哲学の道に棲息する猫

これが有名なインクライン
さてこの後、京都市美術館に移動。(つづく)


写真一部公開

2011年10月15日 22時00分17秒 | 北アルプス(穂高・槍・蝶)

写真を整理しようと思っているが時間が無い。
そのうちスライドショーにしようと思っている。
とりあえず今日は、4枚だけ紹介する。(御容赦)

↑奥穂高山頂からの景色

↑池に樹の陰が映っていい感じだったのでシャッターを押した

↑上高地散策中、大正池にて撮影

↑今回あまり紅葉しているところが少なく残念。


北アルプス・穂高岳山行・資料編

2011年10月14日 22時11分07秒 | 北アルプス(穂高・槍・蝶)

今回は、今年夏の山行(立山・剱)と比べて、少し改良した点がある。
より安全を意識し、軽量化を図り、コンパクトになるよう考えた。
要点は次の3つである。

①服装・・・防寒対策として、ウールカッター、下はタイツを夏の服装に追加した。
       また、フリースとカッパはかさばらないよう、最新のタイプに買い替えた。
       靴下も買い替えたので、よりフィットするようになって靴擦れもなくなった。
②食料・・・食糧は缶詰を減らし少しでも軽くなるよう内容も変更した。
       (資料最後に詳述)
③装備・・・テントに小さな穴があいていたので、ロッジ経由で、メーカーに修繕してもらった。
       ヘッドランプは最新(100ルーメン)防水タイプに買い替えた。

*もし次回、さらに改良するとしたら・・・
①コンロを軽量コンパクト+熱効率のよいタイプにする。
②食糧はさらに軽量化可能と思う。
③テントマットは銀マットを使っているが、かさばらず保温の効くものを検討中。

(↑今回の装備・・・小梨平キャンプ場でフライを外してテントや寝袋を干しているところ)

【寝袋】
寝袋については迷ったが、夏と同じものを使用した。
私は寝袋を3種類持っている・・・3シーズン用ダウン、オールシーズン用化繊、厳冬期用ダウン。
・・・結局、夏に使用した3シーズン用ダウン+インナー+全てを着込んで寝るという方法でしのいだ。(全てを着込んだので、そんなに寒くなかった。ウールカッターとタイツのおかげである)
今のところ、厳冬期用ダウン寝袋は、備中平川公民館でしか使ったことがない(意味ないやんけ)

★会計報告(1)
【高速バス】JR京都駅23:00-上高地6:15着(片道8000円、途中沢渡で路線バス乗換)

【涸沢】テント幕営費用500円
【小梨平】テント幕営費用700円
【高速バス】上高地14:30-
JR京都駅21:15(片道8000円、沢渡で乗換)
以上、17,200円

★会計報告(2)上記以外の出費
【お土産】カウベル600円、その他1150円
【小梨平】風呂500円、おでん500円、地酒400円、親子丼800円、牛乳120円×2
【上高地】大正池・拝観料300円

【サービスエリア】高速バス往復途中のサービスエリアでの飲料、食糧、雑誌等約2000円
【その他】トイレ使用料100円×回数

【装備】
 Tシャツ、薄セーター、フリース、ゴア雨具上下、帽子、フリース帽子、ウールカッター、 タイツ、
ヘッドランプ、ライター、カメラ、時計、携帯、ゴミ袋、地図、資料、コッヘル、コンロ、カートリッジ、
箸、スプーン、食糧&ペットボトル 、
着替え(Tシャツ・パンツ・靴下)、軍手
テント、フライ、ポール、銀マット、シュラフ、インナーシュラフ、シェラフ用マット、
ザック(65リットル)、ザックカバー、タオル

【テントと料理】
食糧は前回より軽量化を図った。
食事内容は、別途記載。

【テント山行】
涸沢かなり混雑で全てが順番待ち、小梨平キャンプ場は快適。
ネット情報によると、先日3連休涸沢でのテントは、過去最高1200張、約2000人とのこと。
こりゃ混雑するはずだ・・・ムリして穂高山荘まで登った方がよかったか?
(今のところ山小屋に泊まることは想定していない。でも、万一に備え、余分なお金は必要)

【携帯】
涸沢も穂高岳山荘も「圏外」であった。上高地はOK。(私の携帯はau)
以前、『山と渓谷』で携帯電波状況・検証結果が掲載されていた。→山と携帯

【参考リンク】
上高地公式サイトhttp://www.kamikochi.or.jp/index.php
上高地外来入浴http://www.kamikochi.or.jp/modules/weblinks/viewcat.php?cid=25
小梨平キャンプ場http://www.nihonalpskankou.com/
徳沢キャンプ場http://www.tokusawaen.com/camp.html
穂高岳山荘 涸沢ヒュッテ 

【食事表】

10/8

朝食

パン2つ、スポーツ飲料

(土曜)

行動食

アーモンド、SOYJOY、カロリーメイト、フルーツ缶詰、スポーツ飲料

 

夕食

親子丼(ご飯+親子丼の元)、豆のポタージュ、抹茶あずき、プリン

10/9

朝食

ラーメン+餅、プリン

(日曜)

行動食

チーズ柿種、SOYJOY、カロリーメイト、スポーツ飲料(水+ポカリ粉末)

 

夕食

お粥+餅、クラムチャウダー、抹茶あずき、

10/11

朝食

ラーメン+餅、

(月曜)

行動食

フルーツミックス、SOYJOY、カロリーメイト、スポーツ飲料(水+ポカリ粉末)

 

夕食

 

嗜好食

随時

抹茶かたくり2、かんてんクック1本、さとう3袋、紅茶4袋、コーヒーゼリー


北アルプス・奥穂▲3190、前穂▲3090山行編

2011年10月12日 23時33分03秒 | 北アルプス(穂高・槍・蝶)

北アルプス・奥穂高岳▲3160m、前穂高岳▲3090mに登ってきた。
おおよその概略は・・・
①1日目、上高地バスターミナル~涸沢で幕営
③2日目、涸沢~奥穂高~前穂高~重太郎新道~岳沢~小梨平キャンプ場
③3日目、上高地散策、大正池~明神池、帰阪
次に、日付ごとに書いてみる。

●10月7日
帰宅後、装備の確認をしてJR京都駅へ向かう。
22:30集合、23:00出発。高速バスで上高地へ向かう。(沢渡で路線バスに乗り継ぎ)

●10月8日
6時過ぎに上高地到着。早朝の寒さにもかかわらず、登山者の静かな熱気を感じる。
6:30バスターミナル出発して歩き出す。
河童橋を過ぎ、小梨平キャンプ場、明神橋、徳沢キャンプ場、横尾へ到着。(下の写真が横尾)

9時過ぎなので、予定どおり約3時間の行程、順調な出だしである。
横尾から本格的な登山道となる。(皆さんここでトイレを済まそうと考えるのか長蛇の列、40分順番待ち)
私は軽く行動食を食べて、「よし、いくか」と気合いを入れるて出発。
既に3時間歩いているのに、身体が温まらないので、セーターとフリースを着たまま歩く。
行程半ばの本谷橋で少し休憩、やっと身体が温かくなってきた。(下の写真が本谷橋)

少し休憩して、Tシャツ姿で涸沢に向かう。
最初軽く感じたザックだが、肩に食い込んでずっしり感じる。
12時過ぎ、やっと涸沢到着。周りを見渡すと疲れも吹き飛ぶ絶景。
その後、キャンプ場受付で500円支払って幕営許可証をもらう。(これをテント外側にぶら下げる)
出来る限り平坦な場所を探して、テントを設営する。
(でも、大きな石が真ん中にあって困った、贅沢は言えない、ガマン)
それにしても、涸沢は大人気。続々と登山者が到着してくる。
(トイレも水場も順番待ち、キャンプ場受付も大渋滞・・・早めに到着してよかった)
落ち着いたところで、明日のルート偵察を兼ねて、涸沢散策周遊コースに出かける。
涸沢小屋から奥穂高に向かい、トカゲ岩で折り返して、涸沢ヒュッテに戻るコースである。(約1時間半)
テントに戻ると、そろそろ晩飯の時間。今日は親子丼、デザートはプリン。
明日は長丁場なので、早い目に寝る。

●10月9日
午前3:00起床。
どう少なく見積もっても今日は11時間歩く必要がある。
(テント装備一式背負って、大丈夫か?)
とりあえず、朝食のラーメンを食べ、凍ったテントをパッキングして、涸沢出発したのが4:30am。
ザイテングラート登って、奥穂高山荘に到着、7:00am。(行動食を摂って休憩、山荘でトイレもすませる)
ここから急峻な登りで、おまけに凍結している。
慎重にステップを踏んで、奥穂高に登頂、8:30am。
奥穂高岳は標高▲3190m、日本第3位の高さ、立派なケルンもある。(下の写真が奥穂高山頂ケルン)

さて次の行程に備えて休憩・・・足は大丈夫か?
ここから前穂高に向かうが、登山者は一気に減少。(ほとんどの人が涸沢に戻るのか?)


吊尾根を独りでぼちぼち歩いて紀美子平へ到着。10:30am。(行動食を食べて休憩)
紀美子平にザックをデポ、空身で前穂高ピーク往復、再び紀美子平11:30am。

ここから後は、下るのみ。(とりあえず行動食を食べて休憩)
順調にいったら4時間で上高地のはず。(まだ足は大丈夫)
重太郎新道は岩場が多い変化に富んだルート。
岳沢小屋に到着、1:30pm。(行動食+トイレ休憩・・・下の写真が岳沢小屋、清潔で立派)

ここからの下りは普通の登山道で危険度は低い。
約2時間後、上高地の散策コースに合流して河童橋3:30pm。(予定どおり11時間行程)
観光客に圧倒されながら、振り返ると奥穂高と前穂高がそびえ立っていた。
「あんなところから降りてきたのか・・・」と感慨に耽る。

少し歩いて小梨平キャンプ場。
受付をすませて、梓川の川音がする場所に幕営する。(700円)
小梨平キャンプ場の風呂(500円)にもつかり、極楽状態。
食事を作る前に、キャンプ場食堂でおでんを食べ地酒を飲む。(500円+400円)
落ち着いたところで、今日の晩飯を作る。(お粥とクラムチャウダー)
疲れたので早めに就寝。

●10月10日
今日のテーマは3つ。
①上高地散策して、大正池、明神池を見る。
②芥川龍之介、高村光太郎も宿泊したという上高地温泉ホテルの温泉につかる。
③テントと寝袋を乾かして、パッキングする。
ところが、疲れていて起きたら6:30am。
朝食のラーメンを食べて、7:00大正池に向けて出発。

のんびりと写真を撮りながら歩く・・・毎日こんな感じなら最高なんだけど。


大正池もすばらしい景色で、ついのんびりしてしまう。
折り返して上高地温泉ホテルに着いたのが9:00am。
朝の外来温泉は終了していた・・・がっかり。
小梨平キャンプ場に戻り、フライを外して乾かす。
そして、再び散策開始。次は明神池コース。
(明神池は神社の神域で、300円の拝観料必要・・・安全登山祈願)

のんびり戻って、小梨平キャンプ場。
最後の命題「テント装備を乾かす」を実行。
そうこうしているうちに集合時間2:00pmが近づく。
食堂で牛丼(800円)を食べて、急いでバスターミナルへ。
後はバスまかせでJR京都駅到着。(渋滞で21時過ぎ)
こうして、すべての行程が終了したのだった。

(上の写真が小梨平キャンプ場、右端水色が私のテント)

【総括】
天気にも恵まれ、すごく楽しく、充実した時間をすごせた。
秋の上高地はすばらしく、これぞ絶景、って感じだったし。
核心の奥穂高~前穂高11時間歩きに耐えて、時間どおりだったし。
まだまだ私の身体OK?と過信しそう。
(でも、少しずつ衰えている・・・現実を正しく認識したい)
とりあえず、無事終了してホッとした。


涸沢、奥穂高、前穂高

2011年10月12日 01時13分09秒 | 北アルプス(穂高・槍・蝶)


バスターミナルからしばらく歩く、徳沢キャンプ場が見えてくる

横尾から本格的な登山道・・・まもなく涸沢キャンプ場

ここが涸沢・・・私のテントは手前中央水色

奥穂高からさらに歩く・・・ここは前穂高山頂


涸沢~奥穂高、前穂高、小梨平

2011年10月10日 23時59分14秒 | 北アルプス(穂高・槍・蝶)

穂高に登ってきた。
寒かった、大阪の冬くらい寒い。
上高地に到着した時から寒くて(朝6時頃だし)、セーターとフリースのまま歩いていても身体が温まらず、横尾でも長袖のまま、本谷橋でやっとTシャツになった。
涸沢で張ったテントは、翌朝凍ってバリバリだし。
さらに稜線にある穂高岳山荘あたりから2―3日前に降った雪が凍結していて、奥穂高への登りがツルツル滑って困った。
・・・と、別にぼやいているわけじゃない。
天気に恵まれ、すべての景色がすばらしい。
非常に価値のある山行だった。行ってよかった、と感じる。

PS
昨年夏に白馬に登り、今年の夏は剱に登った。
「次は、また来年かなぁ・・・」と思っていたけど、急に涸沢に行きたくなった。
「いま上高地いい感じだろうなぁ」、と。
それに、私も若くないし、足腰も弱ってきている、今のうちに登っておきたい。
ちょっとあせる気もあって、(そんなこんなで)急に涸沢に行きたくなったのだ。

【参考リンク:穂高岳山荘】
http://www.yamakei-online.com/mt_info/mt_info.php?id=117#1047


「悪魔のような花婿~ダイヤモンドは淑女の親友」松田志乃ぶ

2011年10月06日 23時18分57秒 | 読書(小説/日本)


「悪魔のような花婿~ダイヤモンドは淑女の親友」松田志乃ぶ

松田志乃ぶさん最新刊、シリーズ4巻目。
王宮編に入るのかと思ったら、過去に発表された短編を集めてある。
ただし、そのうち1編が書き下ろしで、これが一番面白い。
ウイリアムが過去にタイムスリップして、幼い頃のジュリエットとその家族に会う話。
そのタイトルが「これはかぼちゃ王国の鍵」
・・・う~ん、これって荻原規子さんへのオマージュなんでしょうね。
なんとなく嬉しくなってくる。


PS
あとがきを読むと、王宮編スタートの5巻は12月発売予定、とのこと。
楽しみに待っている。

【ネット上の紹介】
悪魔伯爵とかぼちゃ姫、愛と笑いの短編集! 悪魔伯爵ウィリアム・バジルと結婚し、甘く幸せな新婚生活を送るジュリエット。ある日、義母レディ・ドーラから、宝石を贈られることになり…? 表題作ほか、書き下ろしを含む4編収録の短編集!


2011山口国体競技記録速報

2011年10月04日 22時38分04秒 | クライミング(コンペ、国体)

2011山口国体の競技記録速報がでている。
次のとおり。

成年男子
リード* 予選 決勝*
ボルダリング* 予選 決勝*
成年女子
リード* 予選 決勝*
ボルダリング 予選 決勝
少年男子
リード 予選 決勝
ボルダリング* 予選 決勝*
少年女子
リード* 予選 決勝*
ボルダリング* 予選 決勝*

【参考リンク・昨年2010千葉国体】
http://blog.goo.ne.jp/takimoto_2010/e/51d0d238dad615bb2d17eaccb8facda5


「チャンネルはそのまま!」(4)佐々木倫子

2011年10月04日 22時24分38秒 | 読書(マンガ/アニメ)


「チャンネルはそのまま!」(4)佐々木倫子

佐々木倫子さん最新刊、シリーズ4巻目。
今回も楽しませてもらった。
ハズレはなく、安心して読める。
若い男女が多数登場するが、恋愛沙汰がさっぱりない・・・これぞ佐々木倫子作品!
登場人物の感情のうねりや激しい振幅もない。
物語は淡々と進行し、キャラクターの変な行動が描かれる。
登場人物が、まじめなだけにおかしい。
そこに、そこはかとなく笑いが生じる。

【ネット上の紹介】
謎の採用枠「バカ枠」で北海道☆テレビに入社した雪丸花子。 座礁船取材ではデスクから乗組員のインタビューを取れと命じられ大張り切り。 ライバル局「ひぐまテレビ」の記者も巻き込んで仰天の結末に…!! 一方、花子のバカ係・山根の身にも大きな変化が…


六甲山▲931m

2011年10月03日 22時22分29秒 | 登山&アウトドア(関西)

久しぶりに、六甲山に登ってきた。
六甲山は変化に富んで、味わい深い。
岩稜あり、樹林帯あり、徒渉もあり、景色もよい。
山頂から海が見渡せる景色は格別。
欠点は、人気がありすぎて混雑することかな。

【参考資料】
阪急芦屋川9:15出発-山頂(▲931m)12:15-阪急芦屋川2:45
大ざっぱな時間は・・・登り3h、下り2h、休憩30分=合計5時間30分

【参考リンク】
六甲山(六甲各施設紹介サイト)

【蛇足】
山頂からの景色(夜景も含めて)は摩耶山の方がいいかも・・・自分で比べてみて。

途中の風吹岩・・・たしかに風が吹いていた

海の見える景色

秋らしくススキの中を歩く・・・まもなく山頂

山頂広場で食事をする登山者

山頂に咲く花

たくさんの木の実

はるか大阪の街、右の方に神戸港・・・いい感じ


ルカラ・マンスリー課題、2011年10月

2011年10月02日 07時06分49秒 | ジム練習

ルカラに行ってきた。
白テープ20本でウォームアップ。
その後、10月度マンスリー課題に入る。(今月はどうだろう?)

白テープ5本・・・・サーキット白テープに相当・・・先月と同じくらい。
赤テープ5本・・・・
サーキット赤テープに相当・・・特に2本が難しい。(入口垂壁課題とキノコ岩奥左上する課題)
黄テープ5本・・・詳細は次のとおり。(登った順番に記述)

黄色テープで最初に登ったのは右トンネル奥の薄かぶり課題・・・比較的普通。
2本目に登ったのはルーフ課題・・・出だしが難しい、kihito君にムーブ教えてもらってRP。(足技と持久力必要)
入口垂壁課題・・・ホールドが悪く、バランスが悪い、微妙な体重移動が必要・・・でも先月の垂壁課題ほど難しくない。
左トンネル奥薄かぶり・・・出だしが悪く、核心は途中ポケットで身体をあげる箇所。右手プッシュで一瞬耐える。
最後は奥壁前傾カンテが残った・・・難度もトライしてやっとRP。出だしと最後が悪い。

そんな訳で、めずらしく黄色テープ5課題すべて登れて喜んでいる。
体調がよくなってきたのか?
それともたまたまなのか?
時間があまったので、長モノ少しトライして終了・・・今後も精進したい。


「はむ・はたる」西條奈加

2011年10月01日 09時40分44秒 | 読書(小説/日本)


「はむ・はたる」西條奈加

タイトルについて次のような説明が作品の中でされている。

「異国ではこういう女のことを、――というそうだ」
「『はむ・はたる』?」
「ファム・ファタルだ。長崎に行ったとき、知り合うた通詞の男が教えてくれた」
何度かくり返してもらったが、どうしても『はむ・はたる』ときこえる。
「男を惑わす女のことだ。遠い異国にも同じような女がいるものかと、なにやら不思議に思えた」


江戸時代を舞台に、孤児達の集団がいきいきと描かれる。
これはよかった、おもしろかった。
6つの短編が収録され、連作長編となっている。
それぞれ事件がおこり、解決されていく。
仇の女『はむ・はたる』は最後の章に登場する。
敵討ちのゆくえはどうなるのか?

【ネット上の紹介】
大人になるって、こういう女(ファム・ファタル)に出会うことなのか・・・!?孤児ばかりのすり集団の一味だった、勝平、三治、登美たちは、深川三軒町の金貸し・お吟との縁で、今では御家人の長谷部家に見受けされる身。稲荷鮨売りやお吟の手伝いをしながら、次第に働くことの意味を学び始める中、長谷部家の次男でふらふら病と揶揄される、旅暮らしの柾さまが帰ってきた。柾さまは得意の似顔絵で商いをしながら、子供たちと知恵を合わせて様々な事件を解決していくのだが、そのうちに柾さまには忘れられない男女の仇がいることが明らかになる――