花の詩女 ゴティックメード
2012年/日本
‘手塚治虫的’の現代性について
総合 60点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
冒頭のシーンを観た第一印象は宮崎駿でも富野由悠季でもなく、何故か手塚治虫のような作画のタッチだったが、物語の進行と共にこの印象は確信へと変わる。巨大戦闘ロボットは登場するものの、平和をテーマとする本作は、例えば『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(庵野秀明監督 2012年)のような派手な戦闘シーンは一切ないどころか、ヒロインのベリン・アジェリから主人公のドナウ帝国のドナウ・ガァ・トリハロン皇子は武器を使用しているところや皇帝機自体でさえの人々の目につかないように注意を受ける。そんなベリンに対してトリハロン皇子は彼女に付いている護衛の女性たちの存在を指摘し、平和を唱えながら護衛が付いているという矛盾を突くのであるが、この議論はそれ以上発展しない。
尽力により周辺諸国と共に東西に分断されていた列強を一つにまとめる17年前のトリハロン皇子と、先祖から営々と受け継ぐ預言者の詩女(うため)である少女のベリンの出会いが‘前日譚’として描かれている本作は、流血を減らす約束を交わし平和の願いを込めて花の種子を撒くというオチで終わるのであるが、その手塚治虫的な善良なストーリーはその気持ちは分かるものの時代に沿っていないと思う。
「調教されてる動物と一緒や」…体罰問題報告書(読売新聞) - goo ニュース
2013年2月14日付の毎日新聞夕刊に文芸評論家の斎藤美奈子が「甘い社会が見過ごす
暴力」という論評を寄稿しており、詳細は避けるが、2007年2月に文部科学省が体罰の
一部を事実上容認する通知をだした第一次安倍内閣において、第二次になって変わったか
と言えば、例えば、谷川弥一文科副大臣が昨年の12月に「いじめ問題では学校に怖い人、
武道家がいる方がいい。一番いいのはボクシング。空手・プロレスも。いなかったら警察の
OB」という発言から、「このような認識が体罰をはびこらせる。脅しの奨励である上、格闘技
への誤解も甚だしい。」と、全く暴力に関して旧態依然としている日本の惨状を憂いている。
ところで先日の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」においてココリコの遠藤章造が
女性の“調教”の仕方をとつとつと語っていたが、おそらく高校の野球部で受けた“調教”の
快感が忘れられないのであろう。