原題:『The Lone Ranger』
監督:ゴア・ヴァービンスキー
脚本:ジャスティン・ヘイス/テッド・エリオット/テリー・ロッシオ/エリック・アーロンソン
撮影:ボジャン・バゼリ
出演:アーミー・ハマー/ジョニー・デップ/トム・ウィルキンソン/ヘレナ・ボナム=カーター
2013年/アメリカ
幻想としてのヒーロー像
ジョン・ロックの『統治二論(Two Treatises of Government)』(初版1689年)を片手に、あくまでも法律に則って正義を執行しようとする主人公で検事のジョン・リードにとって1869年のテキサスは余りにも過酷な場所だった。テキサス・レンジャー部隊の仲間であるコリンズに裏切られて兄のダン・リードを殺されたために、法律を遵守させる目的で法律を犯すために顔にマスクをして検事という身分を隠し、「ローン・レンジャー」というヒーローになりきるジョン・リードの活躍劇は「ヒーロー論」としてとても分かりやすい。
ジョンにマスクを着用することを勧めたトントにしても顔に奇妙なペインティングを施している。彼がまだ少年だった頃に、瀕死の状態だったブッチ・キャベンディッシュとレイサム・コールを救い、銀山の場所を教える代わりに懐中時計を貰うのであるが、銀山を独占しようと企んだ2人が、コマンチ族の仲間たちを皆殺しにし、そのことに対する復讐の誓いの印であるはずで、2人の「マスク」が違う理由は、ジョンが法律の執行の不可能性を表していることに対し、トントが古典派経済学やマルクス経済学の概念である交換価値の空論振りを表していると言えるだろう。
しかし、ゴア・ヴァービンスキー監督の前作『ランゴ』(2011年)を観ても分かるように、「ヒーロー」は「精霊(Spirit)」としてしか姿を見せず、それはシルバーと呼ばれる白馬の不思議な力で不死身になったジョン・リードも同様で、「ウィリアム・テル序曲」が派手に流れるクライマックスの中でも、ヒーローの限界を悟る監督の冷静な視線が印象的であるのだが、アメリカにおいては興行的には大失敗したらしい。確かに馴染みがあるとはいえ現代においては黒マスクだけのローン・レンジャーも、バスター・キートンを気取ったトントも地味な感は否めない。それでも個人的には、ラストの名前と名前の間で文字を避けるように砂漠の真ん中を歩いて去っていく老いたトントのエンドタイトルの絶妙さを観る時、本作とは全く関係ないところまで気を配る演出は素晴らしいと思う次第である。