原題:『ガッチャマン(GATCHAMAN)』
監督:佐藤東弥
脚本:渡辺雄介
撮影:蔦井孝洋
出演:松坂桃李/綾野剛/剛力彩芽/濱田龍臣/鈴木亮平
2013年/日本
南部博士の怪しさについて
オリジナルのアニメーションのタイトルにわざわざ「科学忍者隊」と付けられているのは科学のうんちくを駆使してストーリーを紡ぎ上げているからで、それに対して本作はハリウッド作品の‘ヒーローもの’や、あるいは『エヴァンゲリオン』と同様にヒーローの実存が問われることになる。
東ヨーロッパを起点に地球を攻めてきた謎の組織ギャラクターに対抗出来る、約800万人に1人といわれる‘石’の能力を引き出せる適合者として、国際科学技術庁(ISO)の南部博士によって選ばれた子どもたちの中からやがて「大鷲の健」、「コンドルのジョー」、「白鳥のジュン」、「燕の甚平」、「みみずくの竜」の5人が科学忍者隊として招集されるのであるが、彼らがギャラクターと戦う動機は微妙に違っている。「大鷲の健」と「コンドルのジョー」は幼少期から一緒に訓練を受けてきたナオミをギャラクターの攻撃で失い、「白鳥のジュン」と「燕の甚平」の姉弟は目の前でギャラクターによって両親を殺され、それぞれ復讐という目的があったのであるが、「みみずくの竜」は、ただ‘石’の能力を引き出せる適合者というだけで選ばれており、親のもとに帰る準備さえしていたくらいである。
このギャラクターに対する恨みの有無というのは意外と重要な要素となる。何故ならば地球の危機を救うためだけに訓練されてきた科学忍者隊のメンバーたちには任務遂行が絶対の掟であり、基本的に彼らには自由がない。そんな彼らの前に現れた者が、今はベルクカッツェを襲名しているナオミであり、元々同じ‘種族’であるギャラクターに加わることで科学忍者隊のメンバーは自由を得られることを説く。そのように言われると、確かに南部博士の佇まいは怪しく、まるで才能を有する子どもをギャラクター専用の‘殺人マシーン’に育てているようにも見え、まだ幼い頃から、所有している‘石’が青さを失い、ギャラクターに変わるようだったらお互いを殺すように約束したりしているのであるが、その約束は南部博士によってあたかも自然にそのようにしむけられているのかもしれない。
だから「みみずくの竜」が「燕の甚平」を助けたり、「大鷲の健」が「コンドルのジョー」を助けたりすることは明らかに彼らの掟に対する違反であり、実際に、ラストで「コンドルのジョー」はギャラクターと化し、改めて科学忍者隊のメンバーたちの‘人間’として存在する意義が次作で問われるはずなのであるが、残念ながら興行的に次回作の製作は厳しいようである。