MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『幻影』『イェラ』

2013-08-18 22:36:07 | goo映画レビュー

原題:『Gespenster』
監督:クリスティアン・ペッツォルト
脚本:クリスティアン・ペッツォルト/ハルーン・ファロッキ
撮影:ハンス・フロム
出演:ユーリア・フンマー/ザビーネ・ティモテオ
2005年/ドイツ

原題:『Yella』
監督:クリスティアン・ペッツォルト
脚本:クリスティアン・ペッツォルト
撮影:ハンス・フロム
出演:ニーナ・ホス/デヴィッド・シュトリーゾフ/ヒンネルク・シューマン
2007年/ドイツ

「幻想」と「現実」に関する考察

 『幻影』はクリスティアン・ペッツォルト監督の「幻影三部作」の『Die innere Sicherheit(The State I Am In)』(2000年)に続く第二作である。孤児院で暮らしている主人公のニナは公園の清掃作業中に男性たちから暴力を受けているトニと出会い親しくなる。ニナは親に捨てられた過去のトラウマを引きずるように生きており、清掃作業にも身が入らず怒られているが、トニは現実的であるがゆえに他人との争いごとが絶えないのである。そんな2人が映画のオーデションを受けることになり、監督から2人の関係を話すように求められる。最初に喋りだしたトニは上手く話を作ろうとするがありきたりなものになってしまう。オーデションが終了しようとした時に、ニナが喋りだした話は夢と現実を織り交ぜたトニに対する想いで、感動した監督は2人をパーティーに招待する。
 一方で、車で迎えに来た夫に引き取られてベルリンの精神科病棟から退院したフランソワーズは、偶然見かけたニナを自分の行方不明になっている娘ではないかと思い、彼女の後を追う。実際に、フランソワーズはニナの足に傷があることも、背中にハート型のあざがあることも言い当てるのであるが、それを怪しんだトニはフランソワーズから財布を奪いニナと一緒に逃げてしまう。
 監督と良い仲になったトニを置き去りにして、ニナが公園に戻ると再びフランソワーズと出会う。2人がカフェで語り合っているとフランソワーズの夫がやって来て、ニナにお金を渡して帰らせようとする。理解出来なかったニナに夫は、自分たちの娘は誘拐されて殺されたことを伝え、泣きじゃくるフランソワーズの肩を抱いて去っていってしまう。
 トニがゴミ箱に捨てたフランソワーズの財布をニナが拾って中身を確かめると、フランソワーズの子どもらしい写真と成長した時を想定した複数のモンタージュ写真が入っていたのであるが、確かに子どもは金髪で、黒髪のニナとは似ても似つかなかった。何度も同じように女の子に声をかけていたフランソワーズは特徴を捉えることが巧かったのであり、ニナの背中にあざはあったのであろうが、トニはそれがハート型かどうかはニナに教えていなかった。ニナはその写真を捨てて去っていくのであるが、写真という‘現実’が必ずしも人に幸せを保証するわけではないのである。
 『イェラ』は「幻影三部作」の最終作である。仕事が上手くいかない夫のベンに愛想をつかした主人公のイェラ・フィヒテは夫を残して故郷のヴィッテンベルクからエアバス操縦室を製作しているアルファウイングス社に就職するためにハノーヴァーに向かおうとしていた。ベンに邪魔されながらも何とかハノーヴァーに到着するものの、社長の不正が明らかになりアルファウイングス社に就職出来なかったが、偶然に出会ったフィリップという男の秘書として働くようになる。ベンの存在に悩まされながらも仕事は順調で、得意の経理の知識を駆使して契約を有利に成立させていくのであるが、ここでイェラは致命的なミスを犯してしまう。無理な契約を交わしてしまった取引先相手の一人が自殺してしまい、ここでイェラも‘目覚める’のであるが、‘夢’の中では何でも上手くいくとは限らないという意味において本作は『幻影』とは対照的な作品である。


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野心に燃えない女性

2013-08-18 00:05:20 | Weblog

林真理子『野心のすすめ』が激売れ 野心に燃える女性たち(dot.) - goo ニュース

 8月4日に放送されたTBSの『情熱大陸』に林真理子が出演していた。現在、執筆だけで

生計が成り立っている作家は50人いるらしく、もちろん林はそのうちの一人なのであるが、

例えば、私は週刊文春の連載されている、小林信彦の「本音を申せば」は必ず読んで

いるが、その前のページに書かれている林真理子の「夜ふけのなわとび」を読むことは

全くない。どうも小林とは映画など興味の対象が共有できても、林とは合わないので

あるが、サインペンで原稿用紙5枚程度を30分でさらさらと書き上げてしまう林はやはり

本物の作家なのだと思う。文章のクオリティがどうであれ、やはり作家は原稿用紙の枡目

を埋める事が仕事なのだから、到底私には真似が出来ない。元々野心も無いのだけれど。


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