原題:『Man of Steel』
監督:ザック・スナイダー
脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー
撮影:アミール・M・モクリ
出演:ヘンリー・カヴィル/エイミー・アダムス/マイケル・シャノン/ケビン・コスナー
2013年/アメリカ
クリプトン星人と地球人のおおらかさについて
物語は改めて言うまでもなくスーパーマン=クラーク・ケントが誕生する「前日譚」であり、崩壊直前の惑星クリプトンから父親のジョー=エルによって地球に送られたカル=エルが、クラークとしてジョナサンとマーサのケント夫妻によって育てられるものの、幼い頃から同い年の地球人よりも早くプラトンの著書を読み、特異な才能を見せていたクラークは地球人にも理解されず、父親を失ってからは放浪しながら自分のアイデンティティの模索が続いていた。
やがてクラークが発見したクリプトン製の宇宙偵察機から発せられた遭難信号を探知したゾッド将軍が率いるクリプトンの兵士たちが地球にやって来て、カル=エルを引き渡すことを要求する。そのことを知ったクラークは自らクリプトンから来たカル=エルであることを告白し、軍に身柄を拘束される。この時に、尋問されていた軍の施設からワンカットで砂漠に移り、さらにゾッド将軍に捕らえられたクラークが宇宙船からワンカットで地球の戻るものの、地面は頭蓋骨で覆われており、クラークが地面に埋もれていくシュールなカットがクラークのどっちつかずの複雑な心情を表しており、ハンディカメラを多用したかのような派手な戦闘シーンと同様に見せ場だと思う。
しかしクライマックスにおけるクラークとゾッド将軍の対決は、ゾッド将軍が美術館に来ていた家族を攻撃することを止めさせるために、クラークがゾッド将軍の首をひねって殺してしまうというもので、確かに徒手空拳の地球人を殺そうとしている、戦闘員として生まれ育てられたゾッド将軍を仕留めるというシナリオは分かりやすくはあるが、それまでの地球人に対するわだかまりが、それだけで解決できてしまうというのは、クラークが納得出来ても、私が納得出来ない。
ところでこの物語のさらなる驚きは時代設定にあって、ジョナサン・ケントの墓石には「1951-1997」と刻まれており、ジョナサンが亡くなった時にクラークが18歳か19歳だとするならば、「現在」のクラークは33歳だから去年か一昨年の話ということになり、地球人が納得出来ても、私が納得出来ない。