MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『左きゝの拳銃』

2017-06-20 00:10:40 | goo映画レビュー

原題:『The Left Handed Gun』
監督:アーサー・ペン
脚本:レスリー・スティーヴンス
撮影:ペヴァレル・マーレイ
出演:ポール・ニューマン/リタ・ミラン/ジョン・デナー/ジェームズ・コングドン/ジェームズ・ベスト
1958年/アメリカ

「ボニー(Bonney)」と「ボニー(Bonnie)」について

 後にアメリカン・ニューシネマの代表作とされる『俺たちに明日はない』(1967年)を撮ったアーサー・ペン監督のデビュー作で、主人公のウィリアム・ボニー(=ビリー・ザ・キッド)を無法者という雰囲気では描写していない。
 ビリーは自分を雇ってくれた牛商人のジョン・タンストールを銃殺した犯人を追いかけていくのであるが、相棒となるチャーリー・ボウドレーとトム・オフォリヤードに翻弄されてしまう。ビリー自身はあくまでも「正攻法」でタンストールの仇を討とうとしながらも社会に適応するために保安官のパット・ギャレットの結婚式に出席したりするのだが、「慎重派」のトムと「過激派」のチャーリーに挟まれて自分でも思いがけない展開を強いられ、ついには「自滅」のような形でギャレットに撃たれる。それはまるで『俺たちに明日はない』でも描かれたように袋小路に追い詰められたボニーとクライドと同じような運命をたどることになるのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パトリオット・デイ』

2017-06-19 00:06:05 | goo映画レビュー

原題:『Patriots Day』
監督:ピーター・バーグ
脚本:ピーター・バーグ/マット・クック/ジョシュア・ゼトゥマー
撮影:トビアス・シュリッスラー
出演:マーク・ウォールバーグ/ケヴィン・ベーコン/ジョン・グッドマン/ミシェル・モナハン
2016年/アメリカ

「足」にまつわる不穏な「物語」について

 まずは2013年に起きたボストンマラソン爆弾テロ事件の裏側でこのような派手な逃走劇があったことに驚かされたのであるが、本作はその派手な逃走劇の裏に隠された繊細な演出も注目されるべきであろう。
 主人公のトミー・サンダース刑事は同僚を殴ったことで謹慎させられ、復職のための研修目的で現場に駆りだされるのであるが、容疑者が隠れている部屋のドアを蹴破ろうとした際に、膝を痛めてしまう。その晩(事件が起こる前の晩)、妻のキャロルと地元のメジャーリーグのボストン・レッドソックス(Boston Red Sox)が話題になった際に、トミーはキャロルの「ソックス(Socks)」という発音が間違っていると指摘する。キャロルは「ソークス(Soaks)」と発音しているのであるが、「レッドソークス(Red soaks)」と解釈するならば、「赤が滲む」となる。つまりここで既に「足」にまつわる不穏な空気を醸し出しているのである。
 実際に、爆破が起こった現場にいたカップルが足を負傷し、病院で2人共に膝から下を切断せざるを得なくなるのであるが、クライマックスにおいてジェフ・ピュジリーズ巡査部長が犯人の一人であるタメルラン・ツァルナエフの足を撃ったことをきっかけに事件は解決の方向に向かうのである。
 それにしてもタメルランの妻であるキャサリン・ラッセルの言動には驚かされた。幼い娘と引き離されても爆弾の在りかを警察に白状しない強い信念は、私の知る限り怪我をして輸血が必要な瀕死の子供に対する輸血を拒否して子供を死なせてしまったエホバの証人の信者のそれと重なる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

センスの悪い内閣府がする仕事の信頼度

2017-06-18 20:44:28 | Weblog

内閣府が立ち上げた「おとう飯」に疑問の声多数

 今日の毎日新聞のコラム「松尾貴史のちょっと違和感」は「文科省『再調査』 証人喚問や内閣府の調査は?」というタイトルだった。

 「日本中が、疑惑について注視している問題の当事者である加計孝太郎氏(加計学園理事長)は、いったいどこで何をしているのだろう。社会的地位も責任もある重要人物が、これほどまでに徹底して生で動く姿を現さない、生の声も生の言葉も発しない状況に、強い違和感を覚える。バリューがあるわけでもないくだらない私的スキャンダルで芸能人の自宅に押し寄せ呼び鈴を鳴らし取り囲んでマイクを突きつけるマスコミの皆さんが、なぜこれだけの問題の当事者に直接取材しようとしないのか。桁違いの『アンタッチャブル』な恐怖が、この事件の闇を取り囲んでいるのだろうか。ひょっとすると、取材しようと挑戦してはいるのだけど、『上から』の意向、プレッシャーによって握りつぶされている、などということがないように祈る。」

 確かに学校法人森友学園の籠池泰典理事長の派手の露出と比較するならば、もちろん全てのメディアをチェックしているわけではないのだが、加計学園の加計孝太郎理事長の姿は安倍首相と一緒にゴルフをしている場面と安倍昭恵夫人がフェイスブックにあげている写真以外に、まるでそもそも実在するの、というくらいに見かけない。前川喜平前事務次官が代わりのようになっていたこともあるだろうが、この「静けさ」は気味が悪い。本当に誰も突撃取材を試みていないのだろうか。自由党の森ゆうこは頑張っていたと思うけど。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』

2017-06-17 00:32:35 | goo映画レビュー

理不尽な時代を繰り返しちゃいけない 「共謀罪」法成立 
「共謀罪」法成立 千葉大生「心の中の自由侵害を懸念」
山本宣治の選挙ポスター発見 治安維持法に反対し暗殺
「共謀罪」法成立尽きぬ不安 「生活図画事件」で投獄 音更・松本さん「心の中踏みにじられるのでは」
“良識の府”とはかけ離れた狂乱国会「テロ等準備罪」成立 与野党が徹夜で攻防、「女の壁」で抵抗も怒号の中…

原題:『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』
監督:河邑厚徳
脚本:河邑厚徳
撮影:中野英世/海老根務
出演:むのたけじ/笹本恒子/谷原章介
2016年/日本

「よく分からない」の恐怖について

 ここでは作品前半のむのたけじと笹本恒子の対談時のエピソードを取り上げたい。笹本は第二次世界大戦が起こる頃に家に自転車が近づいてくる音を聞くと夫との会話が途切れるという話ををしていた。その自転車が「赤紙」を運んできたのではないのかという恐怖が2人を黙らせるのであるが、自転車が通り過ぎたら、まるで何事もなかったかのように会話を続けたそうである。
 その話を引き継ぐようにむのたけしは当時の新聞記者としての「心得」を話し出す。政治家の斎藤隆夫を引き合いに出しながらむのは、相手が一人の場合は、もしその時に交わされた情報が漏れたならば相手が誰かはっきりわかるが、三人以上になるとどこから情報が漏れたのか分からなくなる。つまり問題なのはこのように自分で「忖度」することで自己規制(=セルフコントロール)がかかってしまうことだと喝破している。「テロ等準備罪」、いわゆる「共謀罪」が成立した今日、本作が上映される意義は深い。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『盲獣VS一寸法師』

2017-06-16 00:27:42 | goo映画レビュー

原題:『盲獣VS一寸法師』
監督:石井輝男
脚本:石井輝男
撮影:石井輝男
出演:リリー・フランキー/塚本晋也/平山久能/リトル・フランキー/藤田むつみ/丹波哲郎
2001年/日本

盲獣と一寸法師の「二面性」について

 「処女作にはその作家の全てがある」と言われる。残念ながら石井輝男監督の処女作である『リングの王者 栄光の世界』(1957年)は未見なのであるが、逆にこの遺作に石井監督の全てを見るような気がした。
 「盲獣VS一寸法師」というタイトルではあるが、盲獣と一寸法師の事件がリンクすることはない。それどころかストーリーを捉えることも難しいのだが、一寸法師の物語が石井監督の『網走番外地』(1965年)のようなある事件にまつわる起承転結がはっきりとした物語を表すとするならば、盲獣の物語は『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(1969年)のようなロジック無視のエログロ作品を指しているはずで、つまり「盲獣VS一寸法師」とは石井監督作品の2面性を象徴し、監督の心の中でお互いを意識しながら競い合わせていたのだと思う。
 ラストで丹波哲郎が演じる丹下博士が盲獣が自分の身を犠牲にして作った「目開きにはわからない触覚芸術」作品に対して、「こんなものは芸術ではない」と啖呵を切ってぶっ壊す。おそらくここでは盲獣を石井監督自身の分身として描き、自身の作品を「目開き」の大御所に「否定」してもらったのだと思う。あくまでも石井監督自身は難解な「芸術」ではなく娯楽作品に徹していたはずだからである。
 しかし以上のことは石井監督作品のファンが観るから分かることであって、石井監督を知らない観客がいきなり本作を観ても、脚本も画面も音声も俳優の演技も全てが荒くて楽しめる要素がなく、とてもお勧めできる代物ではない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『異常性愛記録 ハレンチ』

2017-06-15 21:56:17 | goo映画レビュー

原題:『異常性愛記録 ハレンチ』
監督:石井輝男
脚本:石井輝男
撮影:わし尾元也
出演:橘ますみ/若杉英二/吉田輝雄/小池朝雄/丹下キヨ子/賀川雪絵/有沢正子/花柳幻舟
1969年/日本

「ハレンチ」と呼ばれたサイエンス・フィクションについて

 主人公の典子は「non(ノン)」というバーを京都で営んでいる。典子は「深畑染工」の3代目社長の深畑と付き合っているのだが、深畑には妻と幼い息子がおり、更に母親と病気の妹と同居している。家に帰ると寝ていた布団から出て三つ指をついて「お帰りなさい」という妻の様子など明らかに厳粛な家庭環境なのであるが、その憂さを晴らすかのように深畑は典子と様々な変態な性戯に溺れる。典子には妻と別れて結婚するという約束をしているようであるが、もちろんそんな大それたことを言える立場になれないまま、典子は妊娠してしまい中絶手術をするはめになっている。
 そんな深畑に嫌気がさした典子がデザイナーの吉岡に心を惹かれることは自然な流れで、なかなか典子に会えなくなった深畑は「金髪」の女性のみならずジミーを初めとするゲイボーイたちと付き合うようになるのだが、ゲイボーイたちが踊る場面のフラッシュライトを連続して点滅させる演出は冴えている。
 深畑の行動を典子は当時の流行り言葉で「ハレンチ」と言うのであるが、今でいうストーカーであろう。しかし冒頭のジャングルの喧騒をバックに深畑の目や舌や鼻の穴などをアップで映したり、あるいはラストで自分が持っていたナイフに落雷して感電死した深畑が真っ黒くなった死体と化した時、これはただのドラマではなく『怪奇大作戦』のようなSF作品と観るべきであろう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』

2017-06-14 00:36:27 | goo映画レビュー

原題:『Demolition』
監督:ジャン=マルク・ヴァレ
脚本:ブライアン・サイプ
撮影:イヴ・ベランジェ
出演:ジェイク・ギレンホール/ナオミ・ワッツ/クリス・クーパー/ジューダ・ルイス
2015年/アメリカ

壊れてわかる「当たり前」の存在の重要性について

 ロマンティックな邦題に誘われて観に行ったら、全く正反対の作風で、原題が「破壊(Demolition)」ということで納得した次第である。
 主人公のディヴィス・ミッチェルは義理の父親の会社に就職し、投資銀行の社員として何不自由なく暮らしていたのであるが、妻のジュリアが運転している車に乗っている際に交通事故に遭い、ディヴィスは助かったのであるが、ジュリアは亡くなってしまう。ところがディヴィスは妻が亡くなっても思ったほどに悲しみが湧かないことに自身が戸惑うことになる。それは事故の際にディヴィスが見た「走馬灯」の中に巨大なカエルがいたことからも想像がつくし、病院でも妻の安否よりも自動販売機で買った「M&M'sピーナッツ」が取り出し口まで出てこなかったことに気を取られてしまうからである。
 ディヴィスは妻を愛していない理由を探すために、冷蔵庫や電灯やパソコンなど次々と壊していき、ついには他人に家を壊して予行演習をした後に自分に家も壊し始める。そんな時に見つけたものが「胎児」の写真である。自分が知らない間にジュリアは堕胎をしていたのだと思ったディヴィスだったが、それは浮気相手の子供だったとジュリアの母親に教えられる。
 そこで見つけたのが邦題にもなったジュリアのメモである。「もしも雨ならばあなたは私(=ここでは車のサンバイザー)を見ることはないし、もしも晴れているならばあなたは私のことを思い出すでしょう。(If it's rainy, You won't see me, If it's sunny, You'll Think of me)」と書かれているのだが、さらに敷衍するならば、人は本当に必要とする時になって初めてそれまで目立たない存在だったものの重要性を思い知るのである。例えば、ケイトの息子のクリスは自身のセクシャリティーに悩んでいるのだが、そのように苦悩するからこそ一般的には当たり前のように扱われる性の同一性が深刻な問題になるのである。
 それまで投資という刹那主義的に物の価値を判断してきたディヴィスはようやく「当たり前」の中に愛が存在することに気がつき、自身にとってのジュリアの存在の重要性を思い知らされる。「当たり前」に価値を見いだしたディヴィスはラストで身寄りのない子供たちに「当たり前」を提供することにしたのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『光をくれた人』

2017-06-13 21:44:55 | goo映画レビュー

原題:『The Light Between Oceans』
監督:デレク・シアンフランス
脚本:デレク・シアンフランス
撮影:アダム・アーカポー
出演:マイケル・ファスベンダー/アリシア・ヴィキャンデル/レイチェル・ワイズ
2016年/アメリカ・イギリス・オーストラリア・ニュージーランド

戦争後も続く人生の選択の厳しさについて

 1918年の12月、主人公のトム・シェアボーンは第一次世界大戦に従軍したことですっかり疲弊し、世の中の喧騒から逃れるようにオーストラリア西部のバルタジョウズ岬から160キロ離れたヤヌス島の灯台守の仕事に就く。前任者が復職するまでの臨時採用だったが、精神を病んだ前任者の復職の見通しがたたないことに加え、トムの仕事ぶりが高く評価され間もなくして正式採用になる。
 バルタジョウズの街で世話をしてくれるグレイズマーク家の娘のイザベルに気にいられたトムはしばらく文通した後に、結婚するのであるが、最初の子供を妊娠するも1921年5月31日に流産してしまい、次の子供も1923年7月25日に流産してしまう。
 7月27日に漂流しているボートを見つけたトムがイザベルと向かうと、既に亡くなっている男性と一緒に泣いている赤ん坊を見つける。流産したばかりのイザベルの懇願にトムは強く言えず、男性を埋葬してから赤ん坊をルーシーと名付け自分たちの子供として育てることにするのである。
 2年後のルーシーの洗礼式の際に、トムは教会の墓地で2年前にフランコというドイツ人の夫とグレイスという名前の赤ん坊を失ったハナ・ローエンフェルトという女性の存在を知り、トムはとりあえずハナの娘は生きているということを匿名の手紙で知らせる。
 その2年後、灯台建設40周年を祝う式典に出席したトムとイザベルとルーシーは、ハナと彼女の姉のグウェン・ポッツと知り合い、イザベルは事実を知り、ハナとグウェンの姉妹も薄々感づくことになる。トムは全ての罪を負うために、ハナが娘に関する情報に懸けていた懸賞金を、いつも自分を島まで送迎してくれていた若者が手に入れられるように細工した後に、トムは投獄される。イザベルはトムの「裏切り」を許すことができず亡くなっていた男性は生きており、トムが殺したと裁判で嘘をつき、トムは一人で罪を負うつもりだったが、移送するためにトムを乗せた船が出港する直前に、イザベルが事実を告白し、2人ともに罰が下される。
 それから23年後の1950年、イザベルは病気で亡くなり、独りで暮していたトムのところへルーシー=グレイスが赤ん坊を連れて訪れ、彼女は4年間育ててくれたことに感謝していることを伝える。
 トムは戦争が終わった後でも絶えず厳しい選択を迫られる。イザベルの愛を拒むわけにもいかず、まるで神からの贈り物のように漂ってきた赤ん坊に対するイザベルの想いを否定するわけにもいかず、ハナの気持ちも無視するわけにはいかないトムの言動に筋を通すために他にどのような選択があったというのだろうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『LOGAN/ローガン』

2017-06-12 00:38:36 | goo映画レビュー

原題:『Logan』
監督:ジェームズ・マンゴールド
脚本:ジェームズ・マンゴールド/スコット・フランク/マイケル・グリーン
撮影:ジョン・マシソン
出演:ヒュー・ジャックマン/ダフネ・キーン/パトリック・スチュワート/ボイド・ホルブルック
2017年/アメリカ

決してキリストにはなれないヒーローの最期について

 「マーベル・コミック」作品の中では出色の出来栄えだと思う。ここではラストシーンを取り上げてみたい。
 ローガンを埋葬後、ホテルのテレビで観た『シェーン(Shane)』(ジョージ・スティーヴンス監督 1953年)の一節を引用しながら弔辞を述べるローラ・キニ―のシーンのBGMにはジョニー・キャッシュの「ハート(Hurt)」が流れるのであるが、この引用の組み合わせが絶妙なので、それぞれ和訳しておきたい。
 ローラ「男というものはなるべき者であらねばならないんだ、ジョーイ。ブレてはダメなんだ。殺し屋との生活はありえない。後戻りできないんだ。正しかろうが間違っていようが殺しという烙印は捺され、ずっとまとわりつく。おまえは母親の元に走って帰れ。全てのけりはついたと母親に言えばいい。この渓谷にもう銃は無いと言うんだ。(A man has to be what he is, Joey. Can't break the mold. There's no living with the killing. There's no going back. Right or wrong, it's a brand. A brand that sticks. Now you run on home to your mother... you tell her everything's alright. There are no more guns in the valley. )」

「Hurt」 Johnny Cash 日本語訳

今日、俺は自分自身を傷つけた
まだ感覚が残っているのか確かめるために
俺は痛みに集中する
それだけがリアルと感じられるから
針が皮膚を通る
いつもの馴染みの刺激で
痛みを全て取り去ろうとするのだが
何ひとつ忘れられない

俺は成長しているだろうか?
愛しき友よ
結局、俺は知り合ったところでみんないなくなってしまう
おまえは全てを手にいれられるだろうが
俺の帝国は泥でできているから
俺はおまえを落胆させ
傷つけることになるだろう

俺は棘でできた冠をかぶり
嘘つきの椅子に座り
壊れた思いやりに満ち溢れる
汚点まみれの時間の下で俺は回復できない
感情は消滅し
おまえは別人のようなのに
俺はまだここにいる

俺は成長しているだろうか?
愛しき友よ
結局、俺は知り合ったところでみんないなくなってしまう
おまえは全てを手にいれられるだろうが
俺の帝国は泥でできているから
俺はおまえを落胆させ
傷つけることになるだろう

もしも俺がもう一度やり直せるならば
ずっと俺は自分自身を見失うことなく
新たな道を見つけるだろう

 そしてローラは土葬されたローガンの上に立てられた十字架を傾ける。決してキリストにはなれず、X-MENとして死んだ男として記憶されるべきだと思ったからであろう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ゴールド/金塊の行方』

2017-06-11 00:37:52 | goo映画レビュー

原題:『Gold』
監督:スティーヴン・ギャガン
脚本:ジョン・ジンマン/パトリック・マセット
撮影:ロバート・エルスウィット
出演:マシュー・マコノヒー/エドガー・ラミレス/ブライス・ダラス・ハワード/コリー・ストール
2016年/アメリカ

「ゴールド」に対するこだわりがない探鉱者について

 本作は1993年の「Bre-X鉱山事件」を基にしているのだが、意外とストーリーが弾けない原因は主人公で探鉱者のケニー・ウェルスが破産寸前の自身の会社を1988年9月8日の株式取引所への上場させたことを頂点として最後のオチまでストーリーに「ブレ」がないためにテレビドラマとして見るならば良質なものであるにしても映画的な驚きを観客に与えないからであろうし、なによりもケニーに自身が言うほどゴールドに対するこだわりが無かったことが残念な感じをもたらすからであろう。
 敢えてオチは書かないが、最後にケニーが家に帰ってきた時、ケニーに声をかけてきた隣人がマイケル・アコスタだったら面白いと思った。
 それよりも気になったことは本作の主題歌である。イギー・ポップによって歌われた「ゴールド」という曲は、本当はそれほど良い曲ではなく、どれだけ低いのかというくらいのイギー・ポップの歌声に魅了されてしまっているのかもしれないが、とりあえず本作のストーリーを暗示しているので和訳はしておこう。

「Gold」 Iggy Pop 日本語訳

大丈夫だ、心配ない
今夜、口約束は物事を置き去りにするが
今度こそ
組んで行なおうと思っても
また仲間割れだ
もう俺には方向転換する時間は残されていなかった

泥棒に万歳
これ以上得るものはおまえにはない
泥棒に万歳
俺たちは今夜残されたものを慈しもう

多少の信念と、ちっぽけなプライド
俺たちはそれを正しく扱えたことがあるだろうか
今夜、タイミングを探し続けているが
組んでしようとしたことが
また仲間割れに陥った
もう俺には方向転換する時間は残されていなかった

泥棒に万歳
これ以上得るものはおまえにはない
泥棒に万歳
俺たちは今夜残されたものを慈しもう
泥棒に万歳
一致協力すればおまえたちが好機を逸することはないだろう
泥棒に万歳
俺たちは今夜残されたものを慈しもう


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする