(こちらも懐かしリバイバル・・・@鬼怒川温泉駅前)
夜の山王峠を抜け、コンビニも何もない国道121号をひたすら走る。暗がりの中、道のど真ん中でシカに遭遇する事複数回。夜の山中の走行はこれがあるから怖い。新藤原を抜け、ようやく灯りの見えて来た鬼怒川温泉の駅前でホッと一息。もう駅前には宿泊客も観光客も誰もいない時間でしたが、律儀に転車台のイルミネーションは点灯されていて、そこに最終の特急「きぬ143号」が入線して来ました。東武特急スペーシア、100系の旧DRC色・リバイバルカラーです。
東武鉄道、SL・DLや14系客車の導入や、積極的リバイバルカラーの導入など割と鉄道ファン向け(特に中高年のマニア向け)の施策を色々と繰り出しているのですけど、この1720系DRC塗装の復活というのもその一環なのでしょうか。実は子供の頃、家にある鉄道の図鑑を見るにつけ、「東武鉄道の特急って、小田急のロマンスカーと比べてもなんか変な格好してるし、色合いがジジ臭くて地味だよな!」と思っていたことを告白しておきます(笑)。あのDRCの縦型グリルの美しさと、しっとりと落ち着いたマルーンの色合いをディスってごめんなさい、という気分だ。
同じマルーンの一族の6050系が2連で入線。6050系の足回りにも使われている先代の6000系と1720系DRCが昭和の日光・鬼怒川系統の代表的な優等コンビだとしたら、平成の日光線系統を守ったのがこのスペーシアと6050系だったと言えるでしょう。スペーシアもリバイバルカラーの発表と同時に後継車両の投入が公表されていたり。もうこの組み合わせでの並びも、ほぼ過去帳入りか。
灯りを消し、翌朝まで暫しの眠りに就くDRCリバイバル。構内の水銀灯に照らされたボディが美しい。シックなベージュ&マルーンの塗色に、東武鉄道の矜持とも言える板バネ2枚のミンデンドイツ式台車が鈍色に輝いて・・・おお、もう匂い立つような東武トラディショナル。思えばスペーシアが投入された1990年代前半は、1993年の東武ワールドスクウェア開業と相俟って、鬼怒川周辺のレジャー開発がバブルによって勃興した黄金期。目を閉じると、思わず小田茜が歌い出してしまいそうな光景が広がっていた鬼怒川地域ですが、バブル崩壊からの足利銀行破綻、リーマンショック、そして東日本大震災と、華麗な玉手箱で夢を見ていられた時代は非常に短かったんですよね・・・
ちなみに東武ワールドスクウェアのCMソングは「夢のワールドスクウェア」というタイトルで小田茜が歌っていた。関東の人であれば必ず口ずさめるであろうこの曲、全編を聞いたことがある人はなかなか少ないのではと思われるのだが、普通に世界観の高い名曲なのでぜひ聞いてみて欲しい。オスカーの金看板を背負った国民的美少女こと小田茜、ゴクミの妹の触れ込みで結構好きだったんだが、いつの間にかCMは栗原小巻になっててガッカリしたぞ。小田茜って足銀と東武ワールドスクウェアのCMでバリバリの栃木イメージがあって、栃木では小田茜だったらすべて許されそうな無双感があったよな・・・生まれは真岡らしいが。
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