(黒部唯一の凸型電機@欅平駅)
欅平の駅で入替に活躍している凸型電機EDS13。箱型電機全盛の黒部のカマの中では唯一残る凸型電機らしい。箱型電機のキャブも決して広くなさそうだけど、凸型のキャブの狭さはこんなところに閉じ込められたら発狂しかねないレベルだと思う(笑)。ナローゲージの規格のため、小ぶりの車体ですが台車がとにかくでかくて図体の半分くらいが台車のように見えます。勾配での粘着力を出すには台車にそれなりの重量がないと貨物なんか牽引出来ないんだろうね。
定期列車の合間を縫ってやって来る、工事用列車のお相手が現在の凸型電機の役割。ウナギの寝床のような欅平駅の構内を行ったり来たり。我々が乗ってきた列車の乗客はとうに改札口の方に向かってしまっていたので、操車係がステップに箱乗りしながらの入れ替え作業を見学しているのはウチらの家族だけであった(笑)。頻繁なエンド交換をする入れ替え作業には、前後の見通しの良い凸型電機が圧倒的に効率がよさそう。
奥の引き込み線から何やら変わった形の箱が乗った貨車を引き出して来た凸型クン。何だかゴミ置き場に置いてある箱みたいだなと思ったら大正解。これは黒部峡谷の観光地や作業場で出たゴミを麓の宇奈月の街まで降ろすためのゴミ収集貨車で、「峡谷美人号」と名前が付けられている様子。想像を絶する自然が立ちはだかる黒部峡谷は、何をするにもこの鉄道が唯一の生命線になります。
深山幽谷人跡未踏の黒部峡谷に、本格的な開発の手が伸びたのは昭和初期のお話。日本が帝国列強と肩を並べるために、急速な工業化と軍需産業の発展を押し進めるためのエネルギー源として、峻険な黒部谷を水力発電の拠点とせんがためでありました。黒部第三発電所への導水路として、上流の仙人谷ダムからここ欅平までの間で行われた隧道工事は、150度を超える高熱の岩盤を掘り抜くという苛烈を極める難工事。300人を超える犠牲者を出しながら、2年半をかけて開通したその工事を巡る異様な姿を描いたのが吉村昭の「高熱隧道」。この小説はあまり本を読まない自分が珍しく何回も読み返すくらい好きなんだよねえ。
ちなみに吉村昭が「小説新潮」に寄稿した際の生原稿と万年筆が、欅平駅の待合室に展示されています。あんまり観光客の人は関心なさそうで見てなかったけど、アタクシ静かに感動してしまいましたねえ。ドキュメンタリーとして不朽の名作だと思うんだよなあ。まあここであれこれ感想を語るのも野暮だから、ぜひ読んでいただきたいとしか。
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