(今やレトロな電光掲示板@高崎駅)
とある梅雨の一日、上州は高崎から下仁田を結ぶ上信電鉄に乗って来ました。今年の正月・・・長野電鉄からの帰りにちょっと寄ったので、訪問するのはおよそ半年ぶりか。ここに来て少しづつ自分の中で気になり始めて来た鉄道会社と言うか、マイブームになりつつあるのかなと。湘南新宿ラインを2時間半乗り尽くして辿り着いた高崎の駅、改札を抜けて右手に階段を降りて行くと、小さな上信電鉄乗り場への入口があります。壁に掲げられた次の列車の発車時刻を示す電光掲示板。何となく後楽園球場とか神宮球場チックな雰囲気を醸し出しています。
上信電鉄は、大きな国鉄駅の端っこを間借りするような形で高崎駅の一番西側の0番ホームから発車する。1面2線で乗降を分けるタイプの頭端式ホームは、何となくせせこましくて肩身の狭い感じの印象を受けます。高崎に官営鉄道がやって来たのが明治17年(1884年)ですが、上信電鉄の前身である上野鉄道は明治30年(1897年)に早くも現在と同様の高崎~下仁田間を開通させておりまして、今年で開業123年の歴史を数える超老舗鉄道路線なんですよね。鉄道の開通が相当に早かったのは、やはり中山道の宿場町として古くから栄えた富岡の街に、明治5年(1872年)に官営の富岡製糸場が開かれた事なんじゃないですかね。そこに絡んだ人流物流の需要が大きかったではないかと思われます。明治維新と殖産興業、日本史で習いましたよね。
ホームの先には本社と車両区が併設されていて、この日も数々の自社発注車と今や主力となった元JR107系の譲渡車である700形が寝転んでいた高崎の駅。そして、この日のファーストミーツは自社発注車のデハ252+クハ1301のコンビ!ド派手な上信リバイバルストライプを纏ったデハ251とのデハデハコンビは解消されてしまいましたが、最近は検査から出て来たクハ1301とのコンビに戻されて運用に入ってるんですよね。そんなデハクハコンビに乗って揺られて、梅雨の西上州の一日旅であります。
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