青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

岩峅寺演義譚

2020年09月26日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(泰然自若@岩峅寺駅)

80形しか現れずスタートした、秋の地鉄日帰り旅。寺田から立山快急に乗って移動した岩峅寺の駅は、そんな自分のモヤモヤした心を諫めつつも、「それがどうした」とばかりに泰然自若として変わらずにそこにありました。立山の雄山神社の最寄り駅として建造された駅舎は、建造こそ昭和30年代と開業当時からのものが多数現存する地鉄の駅にしては新しい方なのですが、さすがの重厚感を持って訪れる人を迎えてくれます。地鉄の中でも大柄な駅舎で、二階のスペースなどもとても広そうに見えるのですけど、現在は日中に嘱託のおじいちゃん駅員が一人で番をするのみ。

地鉄の神髄は、車両よりも駅にあり。そう言っても差し支えないほど、地鉄の駅は魅力に溢れています。特に、富山平野にデルタを形成する分岐駅である寺田・岩峅寺はいいですよねえ・・・何を愛でても眺めても、その全てが豊かに培われてきた地鉄の歴史がありのまま手つかずに残されています。今はもう使われていない上滝線の4番ホームに「有峰口・本宮方面」の文字は、かつては寺田経由ではなく、上滝線回りが立山への主要ルートだった頃の名残り。閉園してとうに久しい大川寺遊園の文字がちらりと覘くシールの剥がれも味わい深く。ただただ気の向くままに思いのままにカメラを向けて、少しシャッターの速度を落としながらカシャリ、カシャリと切り取って行くだけで、なんだか自分が情景派の写真家になったかのような錯覚に陥る事が出来ます。

地鉄の駅を取り巻く郷土色豊かな広告たち。岩峅寺の駅と言えば立山方面ホームにある「日本海みそ」の大きな看板が印象的。そして富山と言えば、豊富な水力資源を使った発電で製錬されるアルミ産業が地場産業の一つでもありました。現在の日本軽金属に出資されて設立されたホクセイアルミの看板に、いつの頃やら刻まれた相合傘。この二人も、恋物語が成就していれば、今や立派なオジサン・オバサンなのだろうか。

雪に埋もれた際の目印か、車止めの枕木に竿竹が長く刺さった上滝線ホームに、電鉄富山発の上滝線電車がゆっくりと車体を揺らしながら入線して来ました。ああ、お目当てのマイ・フェイバリット60形。正調雷鳥色の14761+14762のファーストロットです。昨年の10020&14720形の引退により、地鉄最後の生え抜き車となった14760形。地方私鉄の自社発注車が全国でどんどんと姿を消す中、その価値は否応なしに高まっていると思うんですよね。そして、この車両がいる限り、地鉄詣ではやめられないのかなと。それだけ好きな車両なんですよね。岩峅寺から車内の真っ赤なクロスシートに深々と腰を下ろし、電鉄富山まで30分の旅の人となるのでありました。


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