(りんかんニュータウン@美加の台駅)
高野線の山岳部から離れ、紀見峠を抜けて河内の国に戻って来ました。これからはジワジワ自宅に戻る方向に向かって進んで行く作業になるんですけど、まあスルKANのエリアは広いので乗った事のないゾーンを潰しながら有効活用しないのはもったいない。南海高野線の山岳部の車両は撮影しましたが、平坦線を行く車両って撮影してませんでしたよねって事で降りたのが美加の台駅。紀見峠に繋がる丘陵地帯に開かれた南海のニュータウン、急行に乗ればなんばまで35分の位置ではあります。
美加の台駅は元々単線の地上線だった区間を、橋本までの複線化工事に伴い高架化して出来た新駅。なんば方が緩やかに高架線を立ち上がって来るアングルで、編成撮りには好適です。高野線山岳部の主役が2000・2300系のズームカーグループだとしたら、平坦線の主役はこの6000系グループ。堺の東急車輌で製作されたステンレス製の車両で、初期ロットは昭和37年の製造。もう車齢は50年を超えたというのに東急車輌のクルマは持ちますなあ。さすがに錆びないステンレス。
早朝新今宮から河内長野まで乗った6200系。顔からして東急の8000~8500系をコテコテっと関西バージョンにしたようなデザイン。出目金顔。6連固定編成なので高野線の各駅停車に主に投入されている感じです。
同じ6000系グループでもスカートを履いている6300系。旧6100系を更新したグループが6300系だそうです。ちょっと南海の付番って山陽の3000系もそうだけど細かくてわかりづらい。デビュー年で並べ直すと、古いほうから6000・6100・6200系→現在は6000・6300(6100更新)・6200系と言う並びになります。わざわざ改番なんかするからややこしくなる(笑)。
このシリーズ、2連4連6連とそれぞれ様々なユニットの編成があって、実情に応じて2+2で4連、単独4連、単独6連、2+4で6連、2+2+2で6連、2+2+4で8連、4+4で8連と時と場合によって様々な組み合わせで走っている。デビュー当時は東急のライセンシーで外付けディスクブレーキ台車(パイオニアサード)を履いていた関西唯一の車両でもありました。今は全部履き替えられちゃってますけどね。パイオニアサードが見たかったら貝塚から水間鉄道に乗れば元東急の7000系が走っているので見る事は出来ますけどw
ちょうど区間急行の林間田園都市行きのなんば寄りに6000系のトップナンバー6001がぶら下がっていた。こっち側の面構えいいっすね。丸みを帯びた妻面から屋根への造形は、飛躍してるけどB29とかの初期の大型爆撃機のような…いずれにしろ初期の東急車輌のステンレス車ってアメリカの技術(バッド社)を元にして作っているので、アメリカンな魅力に溢れていますよね。屋根上の細かい分散型のクーラーは京王の5000系を思い起こさせます。大手私鉄で未だに片開きの4ドアで頑張ってるの、この車両と京急の800系くらいなもんじゃないですか。
6000・6300(旧6100)のグループは、同じ6000繋がりで東急の6000系(初代)と意匠に共通するところがあって、調べたら東急6000が昭和35年製ですから影響を受けているのは間違いなさそうですね。ただ本家の6000は平成になるかならないかくらいの時期に全廃されており、未だに高野線の主力として活躍する南海6000系シリーズの驚異的な長寿命には驚きを感じます。沿線住民の人も「そろそろ新車出してくれへん?」とか言わないのかな。だって昭和37年とか南海ホークスが監督鶴岡一人で4番野村克也(27歳)とかの時ですよ?(笑)。名物オーナー川勝さんの死去とともになんばを去ったホークス、確かファームの球場と寮は高野線の中百舌鳥にあった事を思い出します。