青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

巻き巻きで芦ノ牧

2017年12月15日 22時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(会津鉄道リレー101号@塔のへつり駅)

さて、第五大川橋梁からへつり駅に戻ってさらに旅を進めます。やって来たリレー101号に乗って今度は一路芦ノ牧温泉へ。今回購入した会津フリーパスは芦ノ牧温泉まで行けるバージョンなので、せっかくなので北限まで行ってしまおうと言う訳です。もちろん会津フリーパスですから会津若松を超えて喜多方まで行けるVer.もありますが、当然値段は高くなりますのでね。2泊3日くらい日程取れるなら喜多方まで行くのも良いと思うけど。


塔のへつりから芦ノ牧温泉までは列車で20分ほど。湯野上温泉から芦ノ牧温泉にかけては、大川ダムの建設によりかつての旧線を付け替えた新線区間を行きます。ダム建設による付け替え区間というものはどこもご多分に漏れずほっとんどトンネルの中ですが、僅かに芦ノ牧温泉南駅の手前から見えるダム湖の眺めは壮観。若郷湖と言うらしい。

  

芦ノ牧温泉駅に到着。この辺り、会津盆地のおそらく南の端になると思うのだけど、駅から見えるのは飯豊山地だろうか。12月の頭ですっかり雪をかぶっている。木造の駅舎は古いながらもキレイに掃除されていてこざっぱりとしていますが、会津鉄道の有人駅はどこも女性(というか地元のおばちゃん?)の駅員の管理が目立ちますね。12月らしくサンタクロースの飾り付けだったり細かいオーナメントの飾り付けなんかが置いてあるんだけど、そういうのオトコの感覚だとあんまりやらないからさ。

  

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅。最近どこのローカル線も「ネコ駅長」みたいなのやって観光のひとネタにしようという動きが盛んですよね。メディア的には和歌山電鐵貴志駅の「たま駅長」が有名ですけど、その手の「駅住みのネコ」をキャラクターとして売り出した元祖がこの駅なんだそうな。個人的にはそんなにネコ駅長みたいなのには興味がないので大して見学もしなかったんだけど、駅務室の奥でケージに入れられて飼われていたので結構な過保護っぷりであった(笑)。

  

駅横には旧国鉄キハ30系列を改造したトロッコ列車の廃車体が置かれていて、有志の皆さんにおけるプチ鉄道博物館になっているようだ。週末を中心に開館しているようですけど、この手のモノに目がない我が息子。旧会津若松機関区の扇形機関庫のジオラマを見ながら「今度のクリスマスはNゲージが欲しい」「E6系のスターターキットでいいから」とうるさいのだが、さすがにまだ早いと思うんだよなあ。

  

さて、芦ノ牧温泉駅までわざわざやって来たのは、ちょっと早いですけど昼メシのため。なんかネットで調べてたら芦ノ牧温泉の駅前にあるラーメン屋がかなり有名みたいなので寄ってみる事に。「牛乳屋食堂」という名前の店ですが、会津ラーメンとソースカツ丼の有名なお店で、新横浜のラーメン博物館にも出店していたのだとか…その人気を裏付けるように、観光シーズンでもないこんな田舎に開店前から10組以上のお客様。かなりの繁盛店のようです。

  

あまり予備知識もないので、看板メニューであろう醤油ラーメンとソースカツ丼をオーダー。子供と二人で分け分けします。うーん、アタクシはラーメンの中で喜多方ラーメンってのがかなり好きなんですけど、会津地方のラーメンはこの醤油スープが美味しいよねえ。太めの手打ち麺のモチモチピロピロしてるのも好み。昔小田急線の沿線に「麺ロード」っていう喜多方ラーメンのチェーン店があったんだけど、大好きだったもんなあ。


カツ丼もほとんど子供に食われちゃったけど、甘酸っぱい濃厚ソースにラードでカリリと揚げたような分厚いロースカツがさすが繁盛店と思える美味しさ。ご飯の量の割にカツが多いという上下逆転のソースカツ丼、帰りの列車の時間の関係であまりゆっくりと食えなかったのが残念だったのですが、ごちそうさまでした。

 

ラーメン腹とカツ丼腹の親子が荷物を担いで芦ノ牧温泉駅へ。ちなみに芦ノ牧温泉駅と名乗ってはいますが、実際の芦ノ牧温泉の温泉街はここから4km程度南とかなり離れています。一応温泉行きのバスもありますけど、会津バスは駅前には来ないし、もちろん歩いたら1時間近くかかってしまうのでそこそこ看板に偽りありの駅名だと思う(笑)。三セク転換時に観光客を当て込んで現在の名前になったようですが、旧国鉄会津線時代は上三寄(かみみより)駅と名乗っており、それが実態かもしれません。昨日下車した中三依温泉と同様、会津西街道沿いに続く「ミヨリ」地名に何か意味はあるのだろうか。


お帰りの列車はリレー132号。さっき芦ノ牧まで乗ってきた列車が若松で折り返して来たようです。「リレー132号」と言うのは、会津田島で特急リバティ会津132号に接続する列車と言う事ですが、最近の会津鉄道はリバティ優先のダイヤを組んでいて土日は特急接続のない列車が間引かれたりとなかなか使い勝手が悪かったりする。この列車を逃してしまうと次が1時間半待ちになってしまうので必死に巻きでラーメン啜って来たわけですよ(笑)。短い間の芦ノ牧温泉駅滞在でしたが、ここから折り返して再び北千住を目指します。
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阿賀の流れは蒼く冷たく

2017年12月14日 21時35分53秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(一応国の天然記念物です@塔のへつり入口)

国の天然記念物らしい塔のへつり。天然記念物指定されたのが昭和18年の8月らしいのだが、太平洋戦争の戦局がまだ日本優位だったのか、そんな事をしている余裕もあったのかな、と言った感じ。この1年くらい後には「兵隊さんが戦地で頑張ってるんだから物見遊山の旅行禁止!」みたいなお触れが平気で政府広報で出されて、国鉄の切符も長距離のものはよっぽどの理由がないと買えないような極めて厳しい統制経済に陥って行く訳ですが…まあ、どこに行くにもいちいち文句を言われないような平和な世の中が大事なのは、今も昔も変わりません。

  

「塔のへつり」は、阿賀川の流れが大地を刻み、形作られた河食地形の一つ。地層の中でも固いところと柔らかいところがありますので、その浸食の作用は一定でなく、深くえぐれていたり出っ張っていたりと強弱が付いているところが特徴でしょうか。また寒冷期と温暖期で川の流量も一定ではなかったでしょうから、悠久の時の流れの中で長い年月をかけて作り出された自然の造形美とでも申しましょうか。

  

屹立する大岩にはそれぞれ名前が付けられていて、一番大きい舞台岩までは吊り橋で渡る事が出来ます。岩のえぐれた部分を通ると、何だか黒部峡谷の日電歩道っぽさあるよな。そう言えば山歩きする人の言葉で崖にへばりつきながらこんな風に横歩きするのを「へつる」とか言いますけど、「塔のへつり」の「へつり」と何か関係あるのだろうか。それにしても冬の阿賀川の水は透き通りすぎて深緑に沈んでいて、いかにも冷たそう。子供は楽しそうに走り回っているんだが、オトーサン落ちても助けてあげられないからね(笑)。



寒い中の塔のへつり観光を終え、冬の遅い朝日がようやく阿賀川の谷に差し込んで来た頃合いで駅に戻る。戻ったのだが、まだ我々親子が乗る列車まで30分ほど時間があるので、ちょっくら駅からほど近い場所にある第五大川橋梁まで行ってみる。ようは撮り鉄して時間を潰しましょうという事です(笑)。


へつり駅から早歩き5分程度で行ける第五大川橋梁。上路ワーレントラスのいかにも渓谷映えする美しい鉄橋ですなあ。しかもワーレントラスに続いているプレートガーターが橋台に小さいトレッスルで接続されているというのもポイント高い。かように素敵なロケーションの中を、会津田島行きの単行DCが渡って行きます。

ちなみに第五大川橋梁を撮るには並走する町道の橋から撮影する事になるのですが、町道の橋に沿って垂れさがる電線が鬼のように邪魔で極めて限られたアングルしか取れないのには参る。出来れば引きで撮りたいのだが、川面に降りるしかないのであろうか。
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いとうらさびしへつり

2017年12月12日 18時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(今日も元気だご飯が美味い@湯野上温泉某民宿)

湯野上温泉の朝。旅先の朝は、どうしてこうもメシが進むのだろうか。普段会社に行ってる時なんか置いてあるパンかじったりコーヒー飲んだりするくらいで、まともにメシなんか食ってないもんなあ。塩サバとか目玉焼きとかのありふれたおかずだけど、新米の会津コシヒカリとキノコたっぷりの味噌汁がめっぽう美味い。今日もしっかりメシを食って、元気に乗り鉄に勤しむ一日になりそうです。

  

湯野上温泉は、阿賀川(大川)沿いの渓谷に開かれた温泉郷ですがその歴史は古く、奈良時代から阿賀川の河原に湧き出る湯が使われていたそうです。駅から歩いて15分程度の場所にある温泉街は歓楽要素のない田舎のひなびた温泉場、という感じですが、渓谷に面した場所には新しめの立派なホテルもあったりします。以前は阿賀川の河原に無料の露天風呂があって「湯野上温泉露天風呂」の名前で親しまれていたのですが、訪問客のマナーが悪くて閉鎖されちゃったんだそうな。今は河原にその残骸が残るのみ。


宿の裏手にある阿賀川の渓谷にかかる吊り橋の上から温泉街と会津鉄道の線路を望みます。さすがに会津の朝は寒く、吊り橋の踏み板と欄干が白く凍っている。朝一番の下り列車は鬼怒川温泉行きAIZUマウントエクスプレス2号、まだ日の差し込まない暗い湯野上の温泉街を行く。始発列車が7時半とはずいぶんと遅い始発列車だが、会津田島方面への通学需要とかないのかしら。

  

ちょっと早めに宿を出て、ご主人にクルマで駅まで送っていただく。クルマの温度計は氷点下3度を示しており、結構冷え込んだようだ。朝の湯野上温泉駅では、茅葺きの駅舎内で囲炉裏に火が入っていたんですが、火を焚いても寒い。駅舎の中でお土産物なんかを眺めながら列車を待っていると、底冷えする朝の待合室に飛び込んで来たおばちゃんが旅行姿の我々を見付けて「この時期の寒いのはやぁ~ねぇ~!雪でも降ってくれたほうがよっぽどマシだわ!」と話しかけて来た。そんなもんなのかね。


茅葺き屋根にも霜が降りた南会津の白い朝。湯野上温泉を8時半に出るAIZUマウントエクスプレス4号で本日のスタート。昨日鬼怒川温泉から中三依まで乗った編成かな。会津若松を8時前に出て、東武日光に11時ちょうどに着くダイヤ。「快速」と銘打たれていても通過するのは会津田島~会津高原尾瀬口間の各駅と男鹿高原のみなので、あまり速達性はありません。 

  

さて、東武日光行きの快速に乗ってどこまで行くのか…と思わせておいて次の駅であっさり降りてしまうテスト。暖房の効いた車内から再びしばれる寒さのアウトドアに逆戻りだ。子供がブーブー言っている。下車したのは湯野上温泉のお隣・塔のへつり駅。阿賀川が刻む渓谷の奇勝と言う事で、名前だけは知ってたんだけど行った事はなかったのでね。まあご存知かとは思いますがアタクシ割と地形マニアっぽいトコロがあるのでこの手の観光地には目がないのだ。


そもそも「塔のへつり」とは何ぞやと言う事なんですけど、なんか語感だけで言えば椎名へきるの親戚みたいな感じも致しますが漢字で書けば「塔」の「岪(へつり・山かんむりにドル)」。この「へつり」とは、「断崖・がけ」を意味する会津方言なのだとか。ちなみに自分は子供の頃「塔のへ」「つり」だと思ってました。なんか釣り場とか吊り橋のイメージがあったもんで(笑)。「塔のへつり」のアクセントは「正司敏江」と同じと思っていただけると分かりやすいかと(笑)。


紅葉の時期にはかなりの観光客が訪れる名所との事で、駐車場と観光客目当ての土産物屋が立ち並ぶ様はいかにも日本的なザ・観光地といった趣き。駅から歩いて5分くらいだったけど、果たしてハイシーズンでも鉄道に乗って来る人がどれだけいるのだろうか。まあそれにしても紅葉の時期もとっくに終わって山は冬枯れだし、雪景色でもないし、朝早いし、寒いし、だーれもいないよ(笑)。まあ観光客でゴミゴミしているよりはよっぽどいいけどね。
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湯船で汽笛を聞きながら

2017年12月11日 18時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(湯野上、宵闇@湯野上温泉駅)

会津田島からディーゼルカーに揺られる事30分。今回の旅の目的地である湯野上温泉駅に到着した頃には、もう日もとっぷりと暮れてしまいました。湯野上温泉駅は、南会津の観光地として有名な大内宿の最寄り駅で、駅は全国でも珍しい茅葺き屋根の駅舎になっています。駅前に出るとさすがに日の落ちた会津は寒い…子供が吐く息が白くてSLみたいだと無邪気にはしゃいでいる。今日はここ、湯野上温泉の民宿に泊まる事になっています。


乗ってきた列車は、湯野上温泉で下り列車と交換待ちのために10分少々停車。後ろの土手に植えられているのは桜の木で、春には茅葺き屋根の駅舎と駅を囲むように桜が咲き、なかなかフォトジェニックな撮影スポットなんだそうだ。車内に会津田島から一緒だった会津っぽの爺さん二人組がいる。話を聞いていると、今日はこの先の芦ノ牧温泉で同窓会らしい。田島から芦ノ牧なんて普段だったらクルマなんだろうけど、飲んだら乗れないものね。


民宿に到着した旨の電話をして、駅まで車で迎えに来てもらう事に。湯野上温泉の中心街は駅から少し離れていて、歩いて15分程度の場所にあるんだけど、もう日も暮れて寒いのでね。子供に暗い道歩かしたくないし。と言う事で子供と駅の隣に併設された足湯で待つ事にします。この足湯、足湯にしてはエラい立派な作りで、小っちゃい子供だったらそのまま湯船にしてもいいくらいの大きさがあります。

 

今宵のお宿は、会津訛りの中国から来た元気なお母さんが切り盛りする湯野上温泉の民宿。夕飯に会津名物の馬刺しキター。おろしニンニクとゴマ油の合わせ技は至高。なんか煮魚とか餃子とか海老の炒め物とかすごく家庭的な雰囲気のおかずも次々と出て来るのも民宿っぽいね。子供には変に凝られた食事とか冷たくなったお子さまランチとか、大して食べるものもなく終わってしまいがちな旅館の夕食よりは全然こっちの方がいいよ。普通に美味しいおかずを受け止める白米がまた美味い。会津のコシヒカリの新米らしいけど、家で食ってるコメも新米だと思うんだがまるで別物だ。子供も「ご飯がおいしい」と炊飯器にお代わりを取りに行くほど。


小ぢんまりとした民宿なので、お風呂は内風呂だけで露天風呂などはありませんが、蛇口をひねれば純然たる湯野上温泉のお湯を使い放題。線路に近いので、湯船の窓を開けておくと時折思い出したように会津鉄道のDCが宿の裏を通過して行く音が聞こえます。子供と二人で浸かる湯野上の湯に今日の長旅の疲れを洗い流して、明日に備えてゆっくりと休むことに致しましょう。
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野岩国境を往く

2017年12月10日 10時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(銘鈑は黙して語る@中三依温泉駅)

駅の築堤の下にあったボックスカルバート。「1971-8」のプレートがついていますので、これはこの構造物が1971年(昭和46年)の8月に設置された証なのですが、野岩鉄道自体は1986年(昭和61年)の開業ですからだいぶ開きがありますよね。現在の野岩鉄道は、当初の計画では「国鉄野岩線」として会津線の会津滝ノ原(現在の会津高原尾瀬口)~新藤原間に昭和41年から鉄建公団によって建設を進められた路線でした。鉄建公団とは、赤字で首が回らなくなった国鉄の代わりに鉄道の新線建設を担った特殊法人ですが、その中には現在の石勝線や智頭急行など地方の基幹路線として重要な役割を担う路線を建設した一方、「こんなところに必要ねーんじゃねーの?」的なド田舎に「地方社会のインフラ整備」という錦の御旗を立てて、PC高架橋と長大トンネルで高規格なローカル線の建設を押し進めました。

  

鉄建公団の建設した路線はその収益で債務を償還するスキームになっていましたが、「こんなところに(略)」作られた路線から収益が上がる訳もありませんで、さらに国鉄関連の債務を膨らました結果、とうとう昭和55年の国鉄再建法施行により新線の建設は凍結されてしまいます。野岩線計画もこの法律に巻き込まれ、作りかけの状態で約3年の間工事が中断。その後の建設と運営を福島県・栃木県を中心に設立された野岩鉄道が引き受ける事でようやっと開業にこぎつける事が出来た訳ですが、乗り込んだ会津田島行きの車窓から見る風景は人間より圧倒的にサルやシカのほうが多そうな帝釈山脈の深い山の中。こりゃ収益を考えたら建設は出来ないなあと思わざるを得ません(笑)。線路の規格はホントいいんですけどね。

  

野岩鉄道栃木県内最後の駅、男鹿(おじか)高原駅。野岩国境に横たわる山王峠のどん詰まり。関東最強の秘境駅との呼び声も高く、駅の周囲には一軒の人家もないそうです。公式HPにすら「駅付近には、広場(緊急用ヘリポート)以外特に何もありません。」と断言されているのが笑えます。それでも浅草からの直通列車が現在も停車していますから、「浅草から一本で行ける秘境(駅)」としてマニアに静かな人気があります。こんな人跡未踏の峠道に開業したからには、駅の開業に何らかの意図があったはずなのですが、現状は野岩鉄道の変電所と駅の北側にある山王トンネル(3,441m)の保守作業用の基地としての意味合いが大半のようです。


中三依温泉から乗車した我々親子の他は、会津田島行の6050系2連に乗客は僅か1人のみ。12月の閑散期とは言え観光需要もそれほどまでにないのかなあ、と言った雰囲気ですが、列車はそんなことお構いなしに高規格の線路を突っ走り、下野と岩代の国を隔てる県境の山王トンネルを抜けて福島県へ入ります。福島県に入って最初の駅である会津高原尾瀬口が野岩鉄道の終点で、ここから先は会津鉄道になりますが、列車は会津鉄道に乗り入れて会津田島まで行きます。会津田島までは電化されていますから、実質東武と野岩鉄道の管轄のようなものでしょう。

  

会津高原尾瀬口からは線路の規格は大幅に下がり、いかにもローカル線っぽい短尺レールの継ぎ目を激しく叩くジョイント音を聞きながら会津田島へ。南会津町の中心地である会津田島は阿賀川の上流部に開けた小盆地で、文字通り南会津郡の物資の集散地として古くから栄えて来ました。ここで会津鉄道のDCにお乗り換えになりますが、乗り換え時間が30分くらいあるので駅前のコンビニで色々と補給。駅はなかなか立派で、物産館や観光案内所を兼ねています。


16時半過ぎの会津田島発の改札を済ませ、構内踏切から見る初冬の南会津の山々。頂上は若干の雪化粧。白河や須賀川の中通り地方と会津地方を隔てる山々に夕日が当たりとてもきれいだ。今日泊まる宿におおまかな到着時刻を告げ、1両のディーゼルカーに乗り込みます。横浜から乗った電車は東海道の15両でしたから、今日一日でどんどこ減車されて最後は15分の1になったねえ。福島に入ったとたんに目立つ会津っぽの爺様たちの会津弁賑やかに、会津田島を出発するのでありました。
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