青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

塩浜に、DFがやって来た。

2018年02月20日 19時00分00秒 | 関西本線

(私の青空@近鉄富田駅)

日光川で8271レを抑えた後は、永和で撮影した5263レを追います。5263レは塩浜に着くまでに富田で25分、四日市で約30分の停車時間を持つので、8271レを撮影した後でも塩浜線内の追っ掛けが可能なのです。ってな能書きは関西本線のDDマニアには常識も常識でしょうか…。ともあれ蟹江ICから東名阪道を四日市方面に向けて爆走するのですが、今回は近鉄富田の駅にクルマを停めて近鉄電車で塩浜に向かう事にしました。朝の名四国道で霞ヶ浦から四日市にかけての渋滞にハマるのがやきもきしますのでね。待っていた松阪行き急行が、団体専用列車「あおぞらⅡ」とすれ違い。


塩浜に着いたのは5263レ到着の20分前。いっつもクルマだとギリギリに飛び込む感じになるので、やっぱ電車速ええ。ですが、既に塩浜のシンボルであるアーチ橋の上や近鉄の跨線橋、そしてそこかしこに同じような目的の同業者の影がワラワラ…(笑)。アーチ橋の上は金網ゴニョゴニョのポイントであまり好きではないので、定番の塩浜到着正面撃ちの構図で。遠く陽炎の向こうから、ゆっくりと5263レが塩浜に到着です。


積み出し基地のある四日市界隈と、遥か信州・南松本へ鉄路で繋がる長いパイプライン。返空タキとはいえ、無事故で任務を全うしたハンドルを握る機関士さんの顔にもほっとしたような笑みが漏れます。いつもの操車さんに労をねぎらうように迎えられるDF200、それを遠く後ろから眺めているのがDD51。新旧の顔が入り混じった構図も、関西本線の貨物運用の過渡期として後で見れば思い出記録になるんじゃないのかな。


到着後、以前はここで操車さんとのタブレット収受が行われていたんですが…塩浜支線もCTC化が完了したようで、列車無線の授受だけに変わってしまいましたね。


威風堂々とした体躯のDF200。DD51が重連で担当するところを単機牽引してしまうのだからそのパワーはさすが平成生まれのハイテク機関車。DD51が重油を燃焼させてエンジンを稼働させる文字通りの液体式ディーゼル機関車であるのと対照的に、DF200は燃料こそ同じ重油を使っていますが、重油で車体に搭載された発電機を回し、電気の力で駆動する電気式ディーゼル機関車なのです。そのため、音に関してはDD51に比べると圧倒的に静かだな、と感じます。


名泗コンサルタントラッピングの近鉄2610系と。JR貨物の塩浜駅は、見た目で何となく近鉄の線路の一部のような雰囲気がある。塩浜は近鉄も検車区を設置しており側線が多いのでそう見えるのかもしれない。とはいえJRは狭軌単線非電化・近鉄は広軌複線電化とそのレギュレーションがあまりにも違うので、隣り合っていたとしても永遠に交わる事はないのでしょうけど。


DF200の入換風景。この時間の塩浜が、この日一番の青空だったな。相も変わらずたくさんのギャラリーがその機関車の一挙手一投足にレンズを向けていますが、DF初の本州運用ということで注目度の高さは相当なもんだ。紛れもなくこの機関車が、新時代の関西本線の顔となるカマなのでしょうしね。


あいつウワサの転校生。塩浜に、DF200がやって来た。
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水郷地帯のあさぼらけ

2018年02月19日 17時00分00秒 | 関西本線

(日光川の岸辺@蟹江~永和間)

永和で5263レを撮影した後は、後続の8271レを撮影しに日光川の土手に出て来ました。東海水郷とも言われる名古屋市西部から木曽三川にかけての地域は、大小さまざまな河川が複雑に絡み合って広い低湿地帯を形成しています。最近日の出る時間は若干早くなって来たかな…と思わせておいて、6時半を過ぎても海抜ゼロメートル地帯に太陽は昇りません。そう言えば名古屋は関東に比べればだいぶ西の街である事を思い出す。そりゃ日の出も遅いよね。鏡のように滑らかに流れる日光川、たまに水面に何か魚がバシャと跳ねて、水面の静寂をかき乱します。


一応「晴れ」の予想だったこの日の愛知県内。しかしながら北側の空からなんともジトーっとした黒い雲が広がって、とても(撮り鉄ベースで)晴れとは言えないビミョーなお天気。昇る朝日に輝く水面、そして重連で走るDDの独特な凸型をシルエット気味に捉えようとイメトレだけはバッチリ決めて意気揚々と川上に座を構えた…はずだったのですが。僅かな雲の隙間から辛うじて昇る朝日が見えたものの、DD通過時は雲隠れ…

関西本線名撮影地の一つ、日光川橋梁。
雲のフィルターを透過した鈍い朝焼けが水面に映るその上を、返空のDD重連が軽やかに駆け抜けて行くのでありました。
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終わりの始まり

2018年02月18日 09時07分08秒 | 関西本線

(西尾張、払暁の空@永和駅)

払暁の西尾張、関西本線永和駅。もうこの時期の恒例行事…とでも言いましょうか、関西本線にタンカートレインをまたまた追い掛けて来ました。本当だったら一泊くらいさせてもらって中央西線のEF64とセットで回らせてほしかったんだけど、先月の飯山線雪中ツアーに続いての遠征なのでそこまでの贅沢は言えず。そして連月の遠征ということで、高速代節約のために行き帰りとも下道とか使ってみた。まあR1の東京~名古屋間なんてバイパスが整備されてて深夜帯にでもなればみなし高速道路みたいなもんだしな。若いみぎりは下道で名古屋とか笠松まで競馬やりに行ってた訳だし、深夜の藤枝BPとか走りながらなんだか懐かしい気分になったねえ。


昨年の3月改正で一応(?)運用のスジが引かれた稲沢機関区のDF200は、改正後も運用には就かず、引き続きDD51の重連が代走と言う形でDFの運用を担当していました。いつ本格運用に入るのだろう?と稲沢のロコファンをやきもきさせていたのですけど、今月のアタマからいよいよ関西本線でのDF200の運用が開始されています。時間はAM6:20、まだ夜も明けきらない永和の中線に、ゆっくり進入して来た5263レ。こういうシチュエーションで活かせるかと思って、レンズのチョイスは先月購入した明るい単焦点で。こんな条件下でもSS稼げるのは安レンズでもF1.8の破壊力か。


関西本線の貨物は編成が長いせいでたいがいアタマ出しになってしまうので、構外に出てもうワンカット。地上設備がグサグサ刺さって来るのが若干目障りなんだけど致し方なし。愛知機関区で長年に亘り関西本線方面の主役であったDD51は既に今後全般検査を通さない事が決定しており、検切れにより順次廃車という道筋が付けられているのは周知の通り。それでもDF200が実際に本州運用を開始したというのは、いよいよDD51最後の楽園であった稲沢の「終わりの始まり」という感じがしますよね。

DDを追いやるDF。DDファンから見れば、ワルモノ扱いされかねないシチュエーションです。
ただ、永和の中線に堂々と進入して来たその姿を見て、DFはDFで魅力あるなあと思ったのも事実だったりする(笑)。
発車して行くDF200。西尾張の低湿地帯に、北海の赤熊の咆哮が轟きます。
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眼福茶釜

2018年02月14日 22時17分08秒 | 秩父鉄道

(チョコ色のデキ505@武川駅)

バレンタインデーらしく、チョコ色(茶色?)の電気機関車を。スカイブルーのカラーリングが中心の秩父デキですが、光沢のある丹色のデキ201、チョコバナナこと黄色に茶帯のデキ502、そしてこのチョコ色のデキ505は秩父のカマの中でのレアキャラと言えるのではないでしょうか。この日はヒサシガマが東武の甲種に入り、デキ201が貨物の本務機に入り、そしてデキ505まで運用に入っていたというネタガマ愛好家万々歳の一日でありました。


操車係さんが手旗を使っての入換風景。秩父のカマはデッキがある分まだバランスは取りやすそうですけども、生身の体で鋼鉄の塊に捕まって旗を振っているのですから簡単そうに見えていつ事故があってもおかしくない危険な仕事だよなあ。落ちて轢かれでもしたら一巻の終わり。趣味としてレンズを受けさせていただいていることに感謝せにゃならない、まさしく身を挺しての仕事です。


前日夜に武州原谷から7108レで送り込まれてきたヲキを継走して、デキ505が7004レとして三ヶ尻の工場へ鉱石を運び込みます。あと一区間なんだから前の日に運び込んでおけばいいじゃないかと思わなくもないのですが、そこは工場の操業時間とか機関士さんの行路とか諸事情があるのでしょう。秩鉄貨物の運用を見ていると、影森留置はあっても三ヶ尻留置はないようなので。


デキ201とデキ505がともに運用に就いていたために、この日は茶釜系のデキ両機が和銅黒谷で交換するシーンなども見られました。


有効長の長い副本線に7404レを待たせ、返空の7005レがゆっくりと和銅黒谷駅を通過して行きます。駅横の踏切には、子供に貨物列車を見せに来たらしいお母さんが散歩に来ていて、小さい子がしきりに手を振っていました。貨物の和銅黒谷交換というのはダイヤ的に結構あるのだけど、201と505の交換シーンと言うのはなかなか珍しいものを見たなあと言う感じ。いつもの風景の中の、今日はちょっと特別なスペシャル・デイなのであります。
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地元の慶事

2018年02月12日 12時00分00秒 | 相模鉄道

(変わり行く西谷を@相鉄20000系)

昨年夏に日立の笠戸工場(山口県)で製造された相鉄の新車20000系が、この2月11日からデビューしました。相鉄100周年事業に合わせてロールアウトされた車両は、専門のデザイナーを付けて車内外装をグランドデザインさせた相鉄キモ入りの車両でもあります。日々の生活ではお世話になっていても、あまりにも日常過ぎてカメラを向ける事はめったにない相鉄の車両ですが、やはり新車導入となれば地元の慶事。ファーストショットは来たる横浜羽沢への東部方面線延伸を控え、鋭意工事の進捗が図られている西谷の駅で。トンネルの行く先に相鉄の未来予想図が広がっている…はず。


本当なら昨年12月の相鉄100周年に合わせて華々しくデビューを迎える予定だったみたいなんだけど、諸般の事情(踏切のシステムと車両の制御機器が干渉したらしい)で2か月ほどデビューが遅延してしまったようです。そう言えば、前回の新車(11000系)導入の時もやっぱり踏切の誘導障害が起きて、シテンはやっててもなかなか本運転が出来なかった記憶が。まあそれにしてもデザイン発表の時点でマニアから「アルファードかよ!」という総ツッコミを食らった特徴ある20000系のフロントグリル…じゃなくてフロントマスク。個人的には一昔前の東京モノレール感ある。東京モノレールも日立資本だったから、底の部分では繋がっているのかもしれない。もっと言えば姫路モノレールっぽいのだが、誰も知らないので割愛w


家族で横浜へ出かけた帰り、運用の流れを合わせて乗ってみました。ユニバーサルデザインに基づいた設計と言う事で、まあ難しい事は良く分からんのですけど椅子の座り心地がいいです。これは9000系のリニューアル車にも言える事なんですけど、使われている生地の材質がいいのかね。ドア上のディスプレイは当たり前になって来た時代ですが、中吊り代わりの両面ディスプレイは贅沢ですねえ。握りやすくなった横広の吊り革と、ガラスでスケスケの網棚。ドア横のパーテーションもガラスで、網棚上までしっかり作ってある。パーテーションという概念なんぞなく、混んで来るとドア横の客のリュックが容赦なく襲い掛かって来た旧7000系からよくもここまで進化したものだ(笑)。


初日は横浜駅で出発式を執り行い、10:30海老名行きの特急で華々しくデビューした20000系。ですが、初日の運行途中で車内の映像表示に不具合が出てしまった模様。たぶん行き先とか運行情報の車内インフォメーションがうまく運行システムと同期していないのかねえ。夕方に少し早目の車両交換でかしわ台に収納されてしまいましたが、微調整を行いつつ今日も日中のみの短縮運用に入りました。かしわ台車セを出て海老名に送り込まれる20000系。41運行を途中差し替えでの出区です。


さて、撮りの観点からの感想ですが、YNB塗装は周りのモノが映り込み過ぎるし光を跳ね返すしで正直昼間の順光では撮りづらい。被写体としてはフロントマスクのデザインとか絶対バルブで良さが出ると思うので、いずれ夜のいずみ野線各停運用でじっくり、という気分。春の宵、弥生台の桜と合わせて20000系とかおそらくかなり映えるのではないだろうか。
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