tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

ラーメンと戦後社会

2006年01月07日 | 日々是雑感
1月7日は七草の節句。新年の無病息災を祈って、春の七草の入ったお粥を食べる日だ。わが家も朝は、七草粥をいただいた。

「奈良の茶粥」は当地の名物でもあるのだが、お粥ではすぐにお腹が空く。で、お昼にはラーメンを食べることにした。

ラーメンは私の大好物である。1杯の丼で一汁三菜、つまり主食(麺)、汁物(スープ)、おかず3品(チャーシュー、メンマ、ナルト)がとれるというスグレものだ。

仏文学者で評論家の多田道太郎氏は、ラーメンは「戦後この大衆消費者会といわれる中で代表的な食品」であるという。江戸時代(文化文政期)の屋台そば、戦前のカレーライスに続いて出てきた戦後の国民食、というわけだ。そして日本人は「老若男女、ほぼだれもがこれなら食べる」、外国へ行っても食べる、パリにもニューヨークにもハワイにもラーメン屋がある…。

これは「ラーメンと戦後日本社会」(東海林さだお編『ラーメン大好き!!』新潮文庫所収)というエッセイに出てくる話だ。なおこの文庫本は、玉村豊男、荻昌弘など26人のラーメン愛好家による「ラーメン探求の書」で、私の愛読書である。

さてお昼、舞い散る粉雪をものともせず飛び込んだラーメン店は「幸楽苑 奈良大宮店」(奈良市大宮町4丁目)だった。390円(税込み409円)の「中華そば」が売り物だが、今日はそれが「期間限定 醤油ラーメン」として、税込み298円!だった(=写真のラーメン)。

メニューの表紙にある、創業(昭和29年)当時の写真に添えられたコピーが泣かせる。
「そっと丼を持つと、かじかんだ手が暖かくなる。箸を割るのももどかしく、ふーふーいいながら麺をすする。あーーーー旨い。(中略)親父も妹も、みんな無口。昭和二十九年、あの頃の中華そばは、ご馳走だった」

日清のチキンラーメンが誕生したのは昭和33年。戦後日本は、ラーメンとともに歩んできた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする