tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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白樺派のカレー

2008年01月18日 | 奈良にこだわる
昨日(1/17)の奈良新聞に《「白樺派のカレー」世紀超え復活》という見出しの記事が出ていた。

記事によれば《白樺派のメンバーが移り住んだ千葉県我孫子市で、民芸運動家柳宗悦の妻で声楽家の柳兼子が、志賀直哉や武者小路実篤ら仲間に振る舞ったと伝えられるカレーを、市民有志が1世紀近くの時を超えて再現。「白樺派のカレー」として全国に広めようとしている》。
※同じ記事の全文がこのサイトに出ている。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080104/trd0801040858004-n1.htm

白樺派は、明治43年創刊の「白樺」同人たちのグループだ。柳宗悦夫妻が住んだ我孫子市に仲間も一時居を構え、「文士村」が形成された。

《白樺派カレーは、みそと、大正時代から輸入されている「C&Bカレー粉」、土地土地の野菜、国産の肉を使うことが条件。アレンジは自由で、我孫子市などの有志で作る「白樺派のカレー普及会」の認定を受ければ、全国の飲食店で販売も可能だ》(同)という。
※白樺派のカレー普及会の公式ホームページ
http://shirakabaha.web.fc2.com/index.html

奈良にゆかりの深い志賀直哉は、柳に「我孫子にいい家があるから買わないか」と薦められて購入し、大正7年から7年半ほど我孫子に住んだそうだ。

志賀はその後、大正14年から昭和13年まで14年間奈良市に住み、ここで『暗夜行路』を書き上げた。旧邸は高畑大道町に「志賀直哉旧居」として残されている。

嵐山光三郎著『文人悪食』によると、志賀は健啖家で和食より洋食を好み、自分で料理もしたそうだ。引っ越しのたび、土地の料理素材を使って腕を上げたという。晩年は毎朝、フォアグラとキャビアをパンに載せて食べていた。ガマ(ヒキガエル=漢方では強心剤)をつけ焼き(照り焼き)で食べたというエピソードも紹介されている。

私は以前「志賀は、奈良ではどんなものを食べていたのだろう」と、図書館で『志賀直哉日記』を繰ってみたことがあるが、食べ物の記述はごく少なかった。

志賀の外食は大阪(大丸百貨店などの洋食)が中心で、奈良では東向商店街の中華屋に何回か通っていた。商店街の古老に聞いてみると、店は今の小路谷写真館の辺りにあったそうだが、今はない(同商店街内の「上海楼」は、もっと後の時代にできたもの)。

それにしても、白樺派のカレーとは、面白いアイデアだ。志賀直哉旧居も、かつては白樺派などの文人墨客が集うサロンだった。カレー粉の材料となる香料は、シルクロードを経由して初めて奈良に伝えられたものだし、県の「奈良のうまいもの」メニューには黒米カレーがある。
http://www.pref.nara.jp/norinbu/umaimono/recipe/kuromai-karei.html

いっちょ「白樺派のカレー普及会」の認定を受けて奈良でも売り出せば、新しい名物になるかも知れない。大和野菜や大和肉鶏、黒米などと組み合わせれば、「白樺派カレー」奈良バージョンにできる。どこかの食べ物屋さんが乗り出してくれないものだろうか。それとも、ひとまず県庁の食堂にでも置いてみますか?

※写真は大阪・ガスビル食堂名物のカレー。白樺派なら、カレーライスもこれくらい豪勢に楽しんだに違いない。
コメント
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